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ブルーフレア  作者: 氷見山流々
紅き君

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同級生の行方 その1

 休日が明けて、代わり映えのない勉学の日々が始まる。頼人はいつものように、生徒が疎らな教室にひっそりと入って、音も立てずに自分の席に座った。

 やることもなく、チョークの跡が微かに残る黒板を呆然と眺めているだけだったが、頼人の頭の中では思考にも満たない記憶の断片が幾つも浮き沈みを繰り返していた。

 やがてそれらの記憶が、何も書かれていない黒板に投影されていった。双子との出会いから、触れ合い、そして謎の美しき女性に助けられたこと。どれも鮮明に映し出されているのは、それほどまでに強烈な出来事だったからだろう。頼人は繰り返し流れる映像を、ただ見つめていた。

 虚ろな上映会は突如、終わりを告げた。頼人の背後から快活な声が聞こえてきた。正気を取り戻した頼人は、瞬時に振り返った。

「おはよう、頼人。何ボケっとしてんのよ」

「ああ、花凛か。何もすることないんだから、ボケっとしてたっていいだろ」

 花凛に話しかけられたことで、頼人は教室の騒がしさに気付いた。いつの間にか、朝のホームルームの時間が迫っていたようだ。

「何もすることないって、余裕見せてくれるじゃない。昨日は1日妖怪退治だったのに、勉強する時間あったの?」

「おいおい、何のことだよ。宿題とかあったか?」

 花凛は頼人が惚けていると思ったが、彼の表情がそれを否定していた。実際、頼人は花凛の言っていることが理解できていなかった。

「マジかあ。今日の数学は小テストやるって、先週言ってたじゃん」

「え……ああ! そういえば言ってた! ヤバい、全く何もやってないぞ」

 頼人は慌てて、机の中から教科書とノートを出した。元々、勉強は出来るタイプではないので、予め対策を立てていないと、悲惨な結果になることは自覚していた。焦りを見せる頼人に、花凛は追い打ちの一言を放った。

「数学は1時間目だから、今から頑張ってもどうしようもないわね。諦めも肝心だよー」

 謎の優越感を醸し出しながら、花凛は自分の席に向かっていった。花凛は成績を全く気にしないので、今回の小テストも眼中になかった。テストの話題を出したのは、成績を気にする頼人を煽るという意味を多分に含んでいた。それが謀らずとも効果を与えたことに、花凛は少量の驚きが混じった満足感を覚えていた。


 昼休みになった。頼人も花凛もあっという間に感じていたが、その理由は異なっているようだ。

 頼人は1時間目が終わってから、休み時間の度に、呪詛のように言い訳を吐いていた。自分でも分かるほど、テストの出来が悪かった。授業中も、その事が頭から離れなかった。花凛も可哀想に思い、励ましていたのだが、結局持ち直すことはなかった。

「小テストの1回や2回くらい、点数悪くても大丈夫だって。頼人の倍は成績悪いあたしでも、今まで大丈夫だったんだから。元気出してって!」

 椅子に座ったまま不動の頼人に、花凛は横から声を掛けた。

「そう簡単に元気を取り戻せたら、人生楽勝なんだろうなあ……俺も花凛みたいに、授業中はずっと寝てられるくらい心に余裕が欲しいよ」

 嫌味とも取れる発言だったが、花凛はそのように捉えることはなかった。軽く聞き流しつつ、頼人の腕を引き上げて、腰を上げさせた。

「とにかく、ご飯食べよう。購買行くんでしょ? 今日はあたしが奢ってあげるから、付いて来なさいって」

 頼人の重い足を引き摺るように、2人は購買へと向かっていった。

 教室を出て間もなく、2人の正面からやたらと目立つ女生徒が近付いてきた。杏樹だ。

 杏樹は学校の鞄よりふた回りは大きい銀のジュラルミンケースと、それに比べてこじんまりとした可愛らしい模様の包みを提げていた。

「あれ、杏樹じゃん。そんな大層な荷物持ってどうしたの?」

「これから其方の教室に伺おうと思ってましたの。お昼休みくらい、一緒に居たいですし……」

「じゃあ、それはお弁当かなんか? やけにゴツいのが気になるけど」

 花凛はジュラルミンケースに顔を近づけて、興味深げに眺めた。

「こっちはお弁当ではありませんわ。これには、ちょっとした物が入っていますの。教室でお見せしますから、しばしお待ちを。それにしても、長永くん、どうかなさったのですか? 顔色がよろしくないのですが、もしや体調を崩されているのですか?」

 心配そうな表情で杏樹は頼人を見つめた。

「いや、体は健康そのものだよ。だけど、心がやられてしまったんだ」

 頼人は低い声で答えた。空元気で笑ってみせても、引きつってぎこちない表情になっていた。

「小テストの出来が良くなかったからって落ち込んでるのよ。まあそんなことより、そんなデカい荷物持って教室来られたら、視線集めて堪んないって。ちょうどいい場所知ってるから、そこでご飯にしよう」

 花凛はそう言って、上りの階段へと向かっていった。その後ろ姿を見て、頼人は独り言のように声を発した。

「購買に行くんじゃないのか……」


 青く澄みわたる空。一片の雲も存在しない、まさに晴天と呼ぶに相応しい天気だ。その空の下、頼人、花凛、杏樹は誰の邪魔も入らない、自由を満喫できる時間を過ごしていた。

「まさか屋上が使えるなんて、知りませんでしたわ。こんなに快適な場所ですのに、誰も使わないのには訳があるのでしょうか」

「知られてないからじゃない? あたしもつい最近、此処が使えるって知ったからさ。まあ一般生徒諸君が来ないから、心置きなく色々な話が出来て都合良いよ」

 3人は昼食を取りながら、声を潜めることもなく会話をしていた。勿論、頼人が購買で焼きそばパンを買ってもらってから、この場所に訪れていた。

「それはそれとして、そのケースの中身が気になって仕方ないの。早く見せて見せて!」

 花凛は逸る気持ちを抑えきれず、ジュラルミンケースに手を出しそうになっていた。頼人も好物の焼きそばパンを食したことで、僅かに気力が回復し、その重厚なケースに好奇心を向けることが出来ていた。

 杏樹は頼人の視線がケースに留まっていることを確認すると、ひとつ咳払いをしてから、にやけ顏のまま口を開いた。

「お2人とも、気になるご様子ですわね。良いですわ、早速お見せ致しましょう。きっと喜んでいただけると思いますわ」

 そう言って杏樹は大きなジュラルミンケースを寝かせて、2人に中身が見えるように開いた。

「お、おお? これは一体なんだ? 大きいポーチか?」

「ふふっ、それはですね、源石を沢山収容出来て、しかもいつでもすぐに取り出せる特製のウエストバッグ……名付けてストーンホルダーですわ」

 杏樹は鼻の穴を膨らませて、興奮気味に言った。ジュラルミンケースの中には、ストーンホルダーと呼ばれた物が2つ、綺麗に収められていた。頼人はその1つを手に取り、観察した。外見は高そうな革で出来た四角い箱のような見た目であり、上に被さる蓋はスナップボタンで閉める仕組みをしていた。側面には同じく革で出来たベルトが通してあり、それを腰に巻いて装備するようだ。

「良いな、これ。凄く便利そうだ。わざわざ作ったの?」

 頼人は視線を杏樹へと向けた。その目には少し輝きが戻っていた。

「ええ、超一流の職人に頼んで、作っていただきました。どうぞ、お2人にそれは差し上げますわ。大事に使ってくださいな」

「流石、ミカドグループんトコのお嬢様ってだけあるわ。こんな物をタダでくれるなんて、太っ腹だよ」

 花凛が嫌味ったらしく言ったが、杏樹はそれを意に介さず、笑顔を保っていた。

「まあ、ちょっと悪い気がするのも確かだな。何かお返しでも出来ればいいんだけど……」

「お気になさらず。これはわたくしたちの友好の証だと思っていただければ良いですから。遠慮などなさらないでくださいな」

「んー、御門さんがそう言うのなら、良いかな。ありがとう、大事に使わせてもらうよ」

 頼人は杏樹に感謝を伝えると、早速ストーンホルダーを装着してみた。さっきまで落ち込んでいたのが嘘かのように、興奮しながら具合を確かめていた。

「ふふっ、頼人ったらすっかり機嫌治っちゃってるじゃない」

 頼人はハッと我に返り、花凛の方へ顔を向けた。

「あー、記憶の彼方に消えかけてたのに、呼び起こすなよ」

「ごめんごめん。悪気はないから」

 頼人は口では不満を言うものの、屋上に来てから、パンとプレゼントのお陰で頼人の調子は正常な状態に戻っていった。それが今更、茶々を入れられたから下り坂になるはずもなかった。

「もう気持ちは切り替えて、期末をいつも以上に頑張るよ。数学が得意な人に色々教えてもらわなきゃな」

「でしたら、わたくしがお力になれると思いますわ。勉学ならこの学校で右に出る者はいないでしょうし」

 杏樹が食い気味に反応した。鼻息が荒く、興奮しているようにも思えた。

「おお、ありがたいよ。でも、御門さんはクラスも違うし、こんなに良い物も貰ってるから、ちょっと悪いかなあ」

「そ、そうですか……でも成績優秀なわたくしなら、1日お時間をいただければ必ずや長永くんの学力を……」

「頼人があんたの助けは要らないって言ってんだから、大人しく引っ込んでなさいよ。それに、うちのクラスにも頭良い奴いるんだから、間に合ってるのよ」

 花凛に制されても、引くに引けない杏樹は必死になって言葉を放った。

「誰なんですの? その頭のよろしい御方とは!」

「ミスターガリガリ勉強マシーンこと、大田島紅蓮おおたじまぐれん君よ。アイツなら人に教えるのも上手いし、頼人も苦労しな……」

 花凛は口をあほっぽく開いたまま続きを発するのを止めた。頼人も何かに気付き、目を細めていた。取り残された杏樹は2人を交互に見て、事態の把握に努めていた。

「どうしましたの? やはり、そのナントカって人はわたくし程優れてはいないのでしょうか?」

 杏樹の問いかけを無視して、花凛は再び口を動かした。

「そういえば大田島、先週から学校に来てないね」

「ああ、そうだな。今日で丸々1週間は来てないことになるな」

「それがどうかしましたの? ちょっと風邪が長引いて病欠をしているんではなくて?」

「いや、病欠じゃないんだ。何の理由もなく、来てないんだよ。俺以上に成績を気にする奴なのに、一体どうしたんだろう」

 頼人は大田島という男を熟知していた。彼は嫌が応にも目立っていたからだ。

 大田島の授業に対する熱意は並々ならぬものだった。常にノートの上を筆が走り、先生の一言一句でさえ、聞き漏らさずにノートに落としているようだった。それに誰よりも積極的に発言をするし、授業が終わった後も先生に質問をしに行ったりと、とにかく学業に青春を捧げている男だった。そんな彼が突然学校に来なくなったのだから、異常を感じずにはいられなかった。

「あのガリ勉君が来なくなる理由なんて、あたしのオツムじゃ思いつかないよ。でも、アレの可能性は疑えるよね」

 花凛は自分の頭をトントンと突き、言わんとすることをアピールした。頼人も杏樹も、それが示すものは容易に想像できていた。

「悪意か。遂に身近な人にまで出始めたってことだよな」

「もし悪意が芽生えてしまっているとしたら、学校に来ないで悪行を働いている、ということでしょうか? これは見過ごすことは出来ませんわね」

「そうね。それに一応クラスメイトだから、助けてあげるってのが義理ってもんよ。よっしゃ、放課後はソッコーで神社に行って、はな婆に相談しよう!」

 花凛は立ち上がり、やる気に満ちた目を光らせた。頼人はその気概が放課後まで保つのか、怪しむばかりだった。


 花凛に急かされたかのように、時間は足早に過ぎていった。3人は神社の鳥居を潜って、社務所の前に向かった。そこにはいつものように、はな婆が源石が溢れんばかりに入ったブリキのバケツと共に待ち構えているはずなのだが、今日はどうも様子がおかしかった。社務所の裏手から、小さな式神たちが空のバケツを数人体制で運んで来ては、しかめっ面をしているはな婆の前に重ねていった。その異変を気にする暇もなく、花凛は用件を口にし出した。

「ちわっす。ねえねえ、あたしたち助けてほしいことがあるんだけどさ……」

「おお、来たか。早速で済まないが今週は休みじゃ。貯めてあった源石がもう殆どなくなってしまってのう。新たに取りに行かなくてはならんのじゃが、少しばかり遠出をしなければならなくて、暫く此処を空けることになる。その間はなーんも出来んから、悪意のことは一旦忘れてしっかりと学業に励んでおくんじゃぞ。それじゃあ、帰りなさい」

 花凛の話をまったく耳に入れず、はな婆は言うだけ言って、玄関の引き戸を開けて、社務所の中に引っ込もうとした。それを慌てて花凛が引き止めた。

「ち、ちょっと待って! あたしたち、はな婆に相談があって……」

「あーあー、今はそれどころじゃないんじゃ。色々な準備で手が回らん。帰ってきてから、聞いてあげるわい。はあ、いつの間に石を切らせたのかのう……」

 ぶつくさと何か言いながら、はな婆は社務所に入り、ピシャリと引き戸を閉めてしまった。呆然と立ち尽くす3人の前で、式神たちは働きアリのようにせっせとバケツを運び出していた。

「どうやら、お婆様のお力は借りられないようですわね」

「帰ってくるのを待つとしても、事態は悪化しかしないだろうし、これは困ったな。俺たちだけで何とか出来るか?」

 頼人は意見を求めるかのように、視線を花凛に向けた。

「やるっきゃないわね。あたしたちだけで大田島を見つけ出して、悪意を取り除いてあげるのよ」

「じゃあ具体的にどうやって見つけるんだ?」

「それは……今から考えるのよ。ほら、2人も考えて!」

 そうは言われたものの、頼人も杏樹も、すぐには良い案は思いつかなかった。ただただ唸っているだけで、全く進展が見られない会議に痺れを切らしたのは、言い出しっぺの花凛だった。

「ああ、もう! 今日はもうヤメよ、ヤメ! こんなところで突っ立ってたって何も思いつかない。今日は一旦、帰りましょ。お家で各自考えて明日また作戦を練ろう。それでいいね?」

「まあ、花凛の言う通りだな。ゆっくり考える時間は欲しい」

「悔しいですけど、花凛さんに従いますわ。お紅茶でも飲みながら、アイディアを練ったほうが良さそうですもの」

 花凛の提案は受け入れられ、3人は解散することとなった。果たして、級友は今、何をしているのだろうか。そして、彼を無事に救うことは出来るのだろうか。


 翌日、3人は昨日と同じように、屋上で昼食を取りながらの会議をしていた。

「やっぱり自宅に突撃するのが一番なんじゃない?」

「花凛は大田島君の家が何処にあるか知ってるのか?」

「あっ……知らないや。あーあ、仲良くしておけば、家の場所くらい知れてたかもなあ。この作戦は無理だとして、頼人の案を聞かせてよ」

「えーっと、俺が考えたのは、今まで見た悪意に飲まれた人たちの行動から推理した案なんだけど、彼らは自分の欲望を解放した行動を取っていると思うんだ。だから、大田島君も欲望のままに行動してるはず。そこから考えて、彼が出没する場所を特定するって作戦はどうだ?」

「ふーん、それじゃあ大田島の欲望ってのが何なのか、分かるの?」

「あっ……分からない……大田島君と仲良くしてれば、それくらいは知れてたんだろうなあ。我ながら良い作戦だと思ったのに」

「わたくしは長永くんの作戦、素晴らしいと思いますわ。今回は仕方がないにせよ、今後の活動で充分に活かせるものですもの」

「あ、ありがとう御門さん。御門さんに褒められると自信になるよ。でも、今は大田島君を見つける策が必要だからね。御門さんはどんなこと考えてきたの?」

「わたくしはですね……何も思いつきませんでしたわ」

「あんた、何のために時間を置いたと思ってるのよ! 頭良いって自負してんのなら、すっごいアイディア持って来なさいよ」

「すみません。優雅にお紅茶を飲みながら、一心になって考えていたつもりなんですけど、星々の輝きで彩られた名画のような夜空を見ていたら、どうでもよくなってしまいましたの」

「はあ、なんかもう期待していたあたしがバカだったわ。うーん、このままじゃ一歩たりとも前に進めないよ」

 一同の会話が途切れ、沈黙が訪れた。頼人は空を見上げ、花凛は腕を組んで目を閉じ、杏樹は保温の効いている水筒から温かい紅茶をカップに注ぎ、それを上品に口へ運んでいた。

 紅茶をひとしきり楽しんだ杏樹は、満足げに息を吐いた後、未だ続く沈黙を終わらせようと、声を発した。

「現状何も思いつかないのでしたら、神社に行くのはどうでしょう? お婆様はいないにせよ、留守番の式神たちはいるでしょう。街の見回りをしている彼らなら、何か情報を持っていると思いますわ」

 杏樹の声が耳に入り、頼人と花凛の硬直は解けた。

「いいね! それ、採用だ。まったくもう、最初からそれを言っておけばいいんだよ」

「流石、御門さんだ。その発想に辿り着くのは、俺たちじゃ無理だったよ」

 花凛の言葉はともかく、頼人に賞賛されたことで、杏樹は思わず顔が緩んだ。

「わたくしの知恵がお役に立つようで、何よりですわ。この調子で、パパッとこの問題を解決させましょう。うふふ」


 昨日と同じく、3人は水ノ森神社にやってきた。案の定、はな婆の姿はなく、社務所も薄暗くなっていた。

「さて、式神はどこにいるのかな。やっぱり、社務所の中かな?」

 花凛はそう言いながら、社務所の引き戸に手を掛けた。当たり前だが、施錠はされていて、中に入ることは出来なかった。

「うん、開いてない。はな婆も耄碌はしてないね」

「呼び鈴を押しても……反応はしないか。俺たちが来たってことを知らせられれば出てくるだろうけど、どうしたものか」

「ご心配には及びませんわ。こんなこともあろうかと、わたくし、良い物を持ってるんですの」

 杏樹はブレザーの内ポケットに手を滑り込ませ、颯爽と用意していた物を取り出してみせた。それは小さな人型の紙切れだった。

「それって式神じゃない。なんで杏樹が持ってるのよ」

「何かあった時に使えると思って、こっそり拝借していたんですの。こうも早く、使う場面になるとは思ってもみませんでしたが」

 花凛は杏樹の行為に、納得は出来なかったが、それを咎めることも出来ず、ただ深く息を吐いた。

「まあ、いいや。それで、見た感じその子は動きそうにないけど、どうすんの?」

「式神って、理の力で動いてるんだよな。だったら、理を注げば良いとは思うけど、どの属性で動くんだろう」

 頼人は杏樹の指先でヒラヒラと揺れる式神を凝視して、答えを見つけ出そうとしていた。杏樹はまじまじと自分の体の一部を見られ、満更でもない様子だった。このままずっと見られるのも悪くはなかったが、花凛から送られてくる視線がそれを阻んだ。名残惜しみながら、杏樹は渋々話し始めた。

「これはおそらく、『心』の理で動くようです。ですので、こんな感じで……」

 杏樹は式神を掌の上に滑らせるように持っていき、軽く握った。そして、直ぐに拳を開くと、式神は身体をうねらせながら、ゆっくりと動き始めた。

「凄い、式神が動き出した! 御門さん、心の理を外に出せるんだ」

 心の理は土や火と同じく、基本の属性であるが、それらとは大きく異なる特徴がある。その根源は外部から取り入れるのではなく、自分の中に潜在していて、他の属性を発現させるのが主な役割である。心の属性単体を発現させようにも、発現させるための別の心の理を用意しなければならないため、それらを混同させないように繊細な感覚を養わなければならないのだ。そんな熟練の技術を必要とする理を、杏樹はことも無げに操ってみせたのだ。

「うふふ、これくらい、どうってことないですわ。さあ、式神よ、中に入って鍵を開けるのです」

 杏樹の命令を受けて、式神は掌から速やかに降りた。そして、軽やかに引き戸まで走っていき、隙間にするりと入っていった。少しすると、鍵の外れる音がした。

「おー、開いたみたい。とりあえずは杏樹のおかげね」

「うん、本当に御門さんは凄い人だ。俺たちより後から理を学んだのに、俺たちが出来ないことを涼しい顔してやってのけるなんて、才能の差を感じるよ」

「お褒めの言葉、有り難くお受けさせていただきますわ。では、中に入って他の式神を探しましょう」

 杏樹はべた褒めされて、震えるほど嬉しかったが、それを抑えて平静を装っていた。ニヤけた顔を隠すために、先頭に立って社務所の中に入っていった。

 社務所の中は静まり返っていて、人がいる気配は当然ではあるが、全くなかった。3人はまず、式神たちがよく居た居間に行ってみた。

「ここには……ひと目見た感じだといないようだけど、何処かに隠れてるのか?」

「それじゃ、探してみる? 戸棚の中とか座布団の下とかテレビの裏とか、隠れる場所はいっぱいあるよ」

 薄っぺらの紙が隠れてそうな場所はいくらでもありそうだった。それを一から見ていくとなると、他の部屋があることを考えても時間が足りなくなるのは目に見えていた。

「流石に虱潰しに探しにいっても埒があかないだろ。あいつらも俺たちのことは知ってるんだから、呼べば出てくるんじゃないか?」

「そんな、犬じゃないんだからホイホイ出てこないでしょ」

「やってみても損はないって。おーい、式神たちー、出ておいでー」

 頼人が間延びした声で呼びかけると、部屋の至る場所から物音がし始めた。そして、一斉に式神が姿を現して、あっという間に3人の足下に集まってきた。

「マジで出てきたよ。意外に可愛とこあるわね」

「言葉に反応するようには出来てるようですし、これくらいは当たり前のことでしょう。だからと言って、これだけの数が一気に出てくるのは少々不気味ではありますが」

 わらわらと群がる式神たちは、彼らの存在理由である指示を待っていた。

「よーし、いいぞ。次は……この中に街の見回りをしている式神、挙手!」

 頼人の号令で数体の式神が両手を挙げてアピールをした。

「おっ、いるみたいだ。じゃあ、君達に聞きたいことがあるんだけど、大田島って奴、見かけたことないか?」

 式神たちは手を挙げたまま、首を傾げた。

「お名前で聞いても、彼らにはちんぷんかんぷんだと思いますわ。見た目を説明すれば、欲しい情報が手に入るかもしれません」

「ああ、そりゃそうか。うーんと、大田島君の見た目は……背が高くて、かなり痩せてる。それに、きっちりとした七三分けで黒縁の丸い眼鏡を掛けてる。どう? 見覚えない?」

 式神たちは必死に記憶を辿っているのか、頭を抱えたり、腕を組んで考え込んだりしていたが、どの式神も最後は知らないとばかりに首を振った。

「見てないか。困ったなあ、目撃情報がないとなると、また振り出しだ」

「結構目立つガリヒョロなのにね。うーん、何処にいるのかなあ」

 悩む2人を余所に、杏樹は膝を下ろして式神たちと目線を合わせた。式神たちも杏樹に顔を向けて、言葉を待った。

「最近、この街で変わったことはありませんでしたか? 些細なことで構いません。悪意と呼べないまでも、悪戯のようなことがあれば、教えていただけませんか?」

 杏樹の問いかけで、1体の式神が自信なさげにオロオロと前に出てきた。

「何か知っていらっしゃるようですわね。花凛さん、書く物と書かれる物を用意してくださいな。これで、目的の御仁に辿り着けるかもしれませんわ」

「えっ、本当に? 大田島は見てないんでしょ。そんな情報が役に立つの?」

「確かに目撃情報はないようですが、最近の異変を辿っていけば、それが目的の御仁と繋がる可能性は低くありませんわ。さあ、早くしてくださいまし」

 花凛は顎で使われているような気がしてならなかったが、話を先に進めるために、渋々鞄からメモ帳とペンを取り出して杏樹に渡した。

「では、この紙に場所を記してください。書ける範囲で構いませんわ」

 杏樹は式神に彼の身の丈ほどのペンを持たせてあげると、式神は覚束ない手つきで地図を書き始めた。

 案の定、線はふらつき、構図もデタラメで不安のある書き出しから始まった。

 徐々に出来上がってきた難解な地図を見ていると、頼人が何かに気付いて声を漏らした。

「あれ、ここって……」

「どうしたの? なんか心当たりでもあるの?」

 花凛はその小さな呟きに、反射的に食いついた。

「たぶん、いや、でも違うか?」

「とにかく言ってみてよ。合ってたら式神も反応してくれるでしょ」

「それもそうか。この地図の場所は大和駅の近くのゲーセンだと思う。どう、当たってる?」

 式神はペンを止めて、頼人を見上げた。そして、力強く何回も頷いてみせた。

「流石、長永くんですわ! 暗号に等しいこの地図を読み解いてしまうなんて」

「あはは、ありがとう。ここはよく行ってたから、なんとなく分かったんだ。それに、理を習いたての頃に、ここで一悶着あったからね」

 頼人の言う通り、この地図が示した場所は、頼人が悪意に飲まれた不良と争った場所だった。そのため、この場所で起きたとされる異変に胸騒ぎが治らなかった。

「このゲーセンで、一体何があったのよ……って、喋れないから無理か。書けっていっても、そこまでは出来なさそうだし、あたしたちが直接行って、確かめるしかなさそうね」

「そうだな。パッと行って調べてみるか。もしかしたら、大田島君もそこにいるかもしれないし、急いでゲーセンに向かおう」

 頼人と花凛は曲げていた腰を正して、部屋から出ようとした。

「ちょっと、お待ちになってください。式神たちを元の場所に戻さないと。それと、ここで少し準備もしなくてはいけませんわ」

 杏樹に呼び止められて、2人は振り返った。杏樹はまた得意げな表情をして、ニヤリと笑った。

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