友の背中
夏休み前のテストは全員つつがなく、満足できる結果で終了した。連日、零子のところに遊びに行っていた花凛と戸張も、夏季補修を受けさせられる一歩手前の点数で踏みとどまり、事無きを得ていた。
無事に夏休みに入ると、早速はな婆から召集がかかった。もう制服を着ることもなく、各々夏らしい装いで神社に集まり、いつもの社務所の居間で卓子を囲む。
「顔を合わせるのが久しぶりな者もおるのう。しばしの休暇じゃったが、羽を伸ばすことは出来たかの?」
「ちょっとだけだよ。ほとんどテスト勉強に時間取られてたから」
「そうか。テストなんてもんがあったのか。まあ、それでも体は休まったじゃろう。とにかく、ようやくわしの負担が減るわけじゃ」
この時のはな婆は本当に喜んだ顔をしていた。頼人たちがいない間、妖怪や悪意と1人で戦っていたのだから、そんな顔もするだろう。
「さて、おぬしらにはまたこの町のために尽力してもらうことになるのじゃが、それにあたって、少し方針を決めてきた。よいか、皆の者、よーく聞いておくのじゃぞ」
はな婆は全員の顔をしっかり見た後、用意していた言葉をすらすらと並べていった。
「今後は町の見回りをやってもらう。最近、悪意の発生が頻繁になってきて式神の報告だけでは対応が遅れてしまっていたのじゃ。夏休みの間はおぬしらに毎日、見回りをしてもらって、町の安全を保ってもらうことにする。その見回りは2人で行ってもらう。まだ1人でやらせるには不安があるからのう。見回り役は1日で交代じゃ。誰がどの日に、というのはおぬしらで決めてくれ。以上」
全てを話し終えて、お茶を啜った。頼人たちは互いに顔を見合わせる。
「シフトを決めてく感じね。みんな、今のとこ予定とかある?」
花凛が音頭を取り、確認を始める。最初にそれに答えたのは杏樹だ。
「社交界やら何やらで、海外に行かなくてはなりませんの。それが確か……」
杏樹が上げる日にちを、花凛は懸命にメモに書いていった。
「……割と多いわね。大変そう」
「大変ですけれど、どれも御門家と会社のために必要なことですから。寧ろ、あまりそちらに時間を取れなくて申し訳ありません」
「気にしてもしょうがないわよ。お仕事、頑張ってね。そんじゃ、次。頼人……はどうせ暇だからいいか」
頼人は言い返す言葉もなく、ただ呑気に頷いた。
「紅蓮ちゃんはどう? なにか予定ある?」
「クリーン隊の活動予定があるな。だが、オレ個人の都合はどうとでもなる」
「そう。まあ一応、予定教えて」
紅蓮の予定を聞き終わると、花凛は次の人物に目を向けた。
「……戸張も人数に入れていいの?」
「君たちには世話になったから、手伝うよ。それに、まだあれを取り返してないから、見回りついでに羽黒を見つけ出したい」
『あれ』とは『夜色の幻想』のことだ。戸張がこの町に来た目的であり、一時はそれを目前にまでしていたのだが、和吉に羽黒ごと持っていかれていた。当然だが、まだ奪還を諦めていなかったし、羽黒との因縁も終わっていない。戸張にとって重要な使命なのだ。
「零子の様子も見ていたいけど、この家にいる間は心配いらないだろうし、僕を毎日見回りに入れてくれてもいい」
「積極的なのは助かるわね。そんじゃお望み通りに、戸張は毎日ヒマ……と」
全員から聞き終えて、最後に花凛の予定も照らし合わせて、見回りのシフトが決まった。
「これで決まりね。どう、はな婆?」
「うむ、良いじゃろう。では早速、今から行ってもらおうか。見回り役は……おぬしらか」
はな婆に視線を送られた2人は、その後、町中での注意や悪意を払うための札を手渡され、町に繰り出した。夏休み初日、久しぶりの戦いの幕開けだった。
見回りと言っても、やることはぶらぶらと徘徊するだけで、はな婆から悪意や妖怪の出現の連絡が来たら、その場所へ向かうというのが主だったもののようだ。それがない今は偶然それらと遭遇するくらいしか臨戦態勢に入ることはなく、真夏の太陽に肌を焼かれて、気力も削がれながら歩くことしかなかった。
近年、市が行っている再開発の手が、依然回っていない神社付近の地域は、とにかく田畑や更地が多く、人の姿はほとんどない。高い建物もないため、遠くに見える住宅街や、大きなビルや建設中のタワーがある新都心地域、まだ開通されていない道路などが良く見えた。
頼人と紅蓮は今からどこに向かうかも決めていないので、散歩気分で他愛無い話をしながら見回りをしていた。
「やっぱ、ありみぃの可愛いところって笑顔なんだよ。元気にしてくれるし、癒やしてくれるし、頑張ろうって思える」
「確かに笑顔もいい。だが、1番はあの甘い声だろう。あれほど心地いい声を聞いたことがねえ。おまけに歌も上手くて、リラクゼーション効果が天井知らずだ」
「あー、声もいいよなあ。スタイルもいいし、性格もいい。まさに天下無敵のアイドルだな」
数奇な出会いを経て友情を育んでいる頼人と紅蓮には共通点が合った。それが今話しているようないわゆるオタク趣味である。どちらもその趣味の幅に差は合ったが、重なり合う部分は少なくなかった。頼人にも紅蓮にも、そのような話ができる友人は今までいなかったので、2人で話す時は濃い話をして盛り上がっていた。
話に夢中になっていた2人は、背後から迫ってくる気配に全く気付かなかった。だが、仮に気付けたとしても、その奇襲に対応できなかっただろう。何かが目の前に躍り出た時には、頼人は地に叩き伏せられていた。
「修行が足りんぞ、若造」
イタチの姿をした妖怪、いわゆる鎌鼬だ。鎌鼬は勝ち誇った顔で頼人を見ていた。
「強者の匂いを感じたのだが、気のせいか。それとも、隣にいる貴様の方が強者なのか?」
紅蓮は既に火の源石を握っていた。火の力が指先に蓄えられ、鎌鼬の出方を伺っている状態になっていた。
「貴様なら拙者を満足させてくれるかな? いざっ!」
鎌鼬は風を纏い、紅蓮に突撃してきた。紅蓮はそれに合わせて、小さな火球を連射した。
しかし、紅蓮の攻撃は鎌鼬に1つも掠ることなく簡単に躱されてしまい、鎌鼬の動きに翻弄されたまま、初撃を許した。風に乗った跳躍からの短い足での蹴りが顎に刺さる。紅蓮は激しい衝撃に脳天を揺さぶられてよろめいたが、なんとか踏みとどまった。
鎌鼬は再び距離を取った。纏っていた風を解除し、紅蓮を憐憫の目で見た。
「酷く弱いな。図体だけの張りぼてなのか?」
「くっ、ナメるなよ!」
紅蓮は力を振り絞り、火球を射出した。鎌鼬はそれを避けようとはせず、ただ風を纏わせて迎えていた。
その風は火球を引き裂くようにしてかき消した。鎌鼬は俯き、ため息混じりに言った。
「風に勝てぬ火か……もはやその力、何のためにあるのか分からん。見逃してやるから、早く失せろ。貴様を見ていると、苛立ちが抑えられん」
屈辱的なセリフだった。自分を否定されたが、反論できなかった。自分は弱いという現実を突きつけられ、呆然としてしまった。
「まだだ、妖怪。まだ俺が相手してないだろ」
頼人が立ち上がり、紅蓮の前に出た。凛然と輝く光の剣を構え、鎌鼬を睨んだ。
「おお、剣士か! 良いぞ良いぞ、血が滾るというものだ。拙者も本気で行くとしよう」
鎌鼬の周囲に渦巻く風が小さな手に集約していくと、爪が急激に伸びた。鋭利なその爪はまるで刀のように鈍い輝きを放っていた。
「拙者の剣と貴様の剣、どちらが上か……参るっ!」
鎌鼬に呼応して、頼人は剣を振るった。飛び込んできた鎌鼬を光の剣が切り裂こうとする。爪によってそれを防ごうとするも、光の剣は爪ごと鎌鼬の体を貫いた。鎌鼬はそのまま地に切り伏せられて、動かなくなった。
「ふう、俺の方が上だったでござるな……なんちゃって」
頼人は気絶している鎌鼬を持ち上げると、立ち尽くしている紅蓮に視線を送った。
「大丈夫、紅蓮? 怪我とかしてない?」
「あ、ああ。大丈夫だ。すまん……」
「良かった。じゃあこいつ、はな婆のとこに持って帰ろう。始まって早々、こんなのが出てくるなんてなあ」
そう言って頼人は来た道を戻った。紅蓮も頼人の後を付いていく。紅蓮は頼人の背中を見つめていた。
鎌鼬に言われた言葉が頭の中に木霊していた。弱い。自分は弱い。妖怪と満足に戦うことも出来ない。なのに、頼人は一太刀で戦いを終わらせた。このままでは、頼人の隣に並んで戦えなくなるのではないか。いや、もう既に隣にいることができなくなっているのではないか。
悩む紅蓮はふいに、あることを思い出した。魂を抜き取られ、深い眠りの中にいた時に聞こえたあの声。あの声も鎌鼬と同じく、弱さを指摘してきた。そして、その後こういうふうにも言った。
「力を求めるなら己を知るべき」
その言葉が意味することは、紅蓮には見当がついていた。強くなるために、頼人と共に戦えるようになるために、紅蓮は自分自身と向き合う決心をした。




