あなたの名前は?
エニシ率いる探検隊は遂に目的地の丘の上に着いた。遠目から見えていた頂上の木は禍々しく、ミイラのような大木で、幹には紙垂の付いた縄が巻かれていた。
「すげえ、いかにも伝説って感じじゃん」
エニシは隊長キャラを忘れて興奮していた。
「なんだかオバケみたいで怖い……ね、ねえエニシ、あんまり近付かないでおこう?」
怖気づくユカリの制止をふりきり、エニシは木に近付く。
「きっとこの木の下にお宝があるんだよ。和吉、一緒に掘り出そう」
「ほーい」
和吉は楽しそうに飛び跳ねながら木に近寄った。2人で掘る場所を探っていると、木の裏から突然、女性が姿を現した。
女性はエニシたちの視線を集めきる前に、木の幹に触れようとした和吉を取り押さえて腕の中に抱えた。
「この木に悪戯するのはやめてくれないかな。かなり繊細な子なんだ」
しゃがんでいたエニシを見下ろして、穏やかに言った。エニシは何の気配もなく現れた女性に驚き、飛び退いた。
「ひぇっ、な、なにいきなり? 守り神?」
「ただの人間だよ。でもちょっと訳ありな身分でね。悪いんだけど、此処をキミたちの遊び場にしてあげられないんだ」
女性はエニシたちに目配せをした。その意味を察したユカリはエニシは呼ぶ。
「エニシ、ここ勝手に入っちゃいけなかったんだよ。もう探検は終わりにしてお婆ちゃんのところに帰ろう?」
「もうお宝は目の前なのにー」
「そんなものないから。ほら、もう行こう」
ユカリはエニシの腕を引っ張った。そのまま女性に深く頭を下げてから、去っていこうとすると、零子がじっと何かを見つめているのに気付いた。その視線はあの女性に向けられているものだった。
零子の視線を受けて、女性も零子を見つめ返した。2人の間に流れる空気に、ユカリもエニシも割り込むことが出来なかった。
「あなたは誰ですか?」
口火を切ったのは零子だった。だが、その言葉に女性が言葉を返すことはなく、ただ黙って零子を見ているだけだった。
「あっ、そうか。こういう時は私から自己紹介しなくちゃ。私は零子って言います。数字の零に子供の子で零子です。でも、ぜろ子って呼ばれてます」
エニシたちにはその意味が理解できなかった。だが、深い意味など零子は持ってなかった。ただなんとなく、女性と話したくなっただけだ。
女性は零子が名乗ると、微笑をたたえて口を開いた。
「ボクの名前は英理。英雄の英に理で英理」
英理は名乗り、言葉を続ける。
「早く帰ったほうが良いよ。キミの大事な人を心配させることになる。それに、せっかく出来たちっちゃな友達が怒られることにもね」
「僕たちがお婆に怒られるってこと? そりゃやばいよ! ぜろ子ねーちゃん、ダッシュで帰ろう!」
今度はエニシが零子を引っ張った。零子はなされるがままエニシについていったが、去る直前に英理に向かって叫んだ。
「また会いましょー、英理さーん!」
返事は返ってこなかった。だが、零子は晴々しい気持ちで別れることが出来た。ほんの少し顔を合わせて、二、三言葉を交わしただけなのに英理とは仲良くなれる気がした。だから、再会を望んだし、その日が来るとも思った。この出会いは零子の感情では表現できないほど複雑な思いを引き起こさせたが、大きな枠組で『嬉しい』に収まるものだった。
零子は帰り道、ずっとニヤニヤと笑っていた。そんな様子に目もくれないでいたエニシだったが、ふいに忘れ物に気付いて振り返った。
「和吉置いてきたままだ」
「そうだねー」
「そうだねーって、呑気すぎるよ、ぜろ子ねーちゃん……」
エニシは肩を竦めて言った。
「帰り道いっしょじゃないし、気にしなくてもいいんじゃないかな」
「ユカリまで……でもまっ、いっか。和吉のこと気にするより、早く帰ることに気を使わなきゃ!」
和吉は蔑ろにされていたが、それを咎める者はいなかった。各人、別のことで頭がいっぱいだったのだ。エニシたちは再び歩き出した。
零子と双子の充実した1日はこうして終わりを迎えることになる。神社に着くまで、零子は嬉々とした様子だったが、社務所に入った瞬間、一気に疲労感が襲ってきた。居間でエニシたちとはな婆の帰りを待つ間、ごろんと寝転がって、すぐに眠りについてしまった。
英理は和吉を捕まえたまま、オバケケヤキの前で目当ての人物が来るのを待っていた。必死に足掻く和吉だったが、英理の拘束が解けることはなく、微塵も逃れる猶予がなかった。
「離せよー! わちき、おねえちゃんとは遊びたくないんだよー!」
和吉の叫びに耳を傾けることもなく、英理はただ一点を見つめていた。目の前の空間が歪み始めた。歪みがはっきりとしないモヤのようになって広がると、人の形を成してきた。モヤとなっていたものに輪郭が出来て、1人の男が姿を現した。鋭い眼差しで英理を見てきた。
「キミが『宿』だった人間か。思っていたより、普通だ」
「……和吉様を離せ」
その男、羽黒は大きな鎌を発現させて英理に向かってきた。
「血なまぐさいのはやめようか」
鎌が英理の首を刈る瞬間、黒い霧となって消えた。英理が羽黒の体を軽く押すと、羽黒は腰を抜かしたかのように倒れた。
「貴様、何をした!」
羽黒の問いかけを無視して、英理は話す。
「ボクの質問に答えてほしい。素直に答えさえすれば、和吉は返すよ」
「貴様が返す保証もないのに、従えと?」
「無益な駆け引きもいらないよ。キミはボクの質問に答えるだけでいい」
英理の視線は羽黒の体に杭を刺すかのように縛り付けていた。羽黒に出来ることは英理の言う通りにすることだけだった。羽黒は英理から感じる得体の知れない威圧感に屈し、悔しさを顔に滲ませながら、英理に従った。
「1つめの質問。『主』と会ったことはある?」
「ない。声だけだ。それも今や聞くことは出来ないが」
「主は役目以外に何かキミに言っていた?」
「何も。宿は主の友人でも愛人でもなければ、ペットですらない。消耗品が勝手に死なないように管理しているだけだ」
英理は淡々と質問を続ける。
「キミはいつ、宿を自覚した?」
「……1年くらい前だ。あの時から俺は狂ってしまった。今まで積み重ねてきたものを、あの日で全て壊してしまった」
「その後、キミはどこで何をしていた?」
「三福という男の下で働かされていた。良質な魂を集めて、奴に渡していたが、それが何に使われて、どこに保管されているのかは分からない」
「なるほど。それじゃあ、次が最後の質問だ」
生温い風が羽黒に向かって強く吹いた。風に靡く英理の髪が怪しく踊る。
「『破滅の炎』という言葉を知ってる?」
「破滅の炎? いや、知らない」
「そう……分かった」
風が止んだ。英理から放たれていた威圧感が薄まっていき、羽黒は自由に動けるようになっていた。
「正直に話してくれて感謝するよ。はい、どうぞ」
英理は羽黒の胸に目掛けて放り投げた。ふわりと山なりに飛んできた和吉を優しく抱きとめると、和吉は羽黒の胸に顔を押し付けた。
「むう、もうやだあ。あのおねえちゃん嫌いだよお……」
羽黒は和吉を宥めようと、頭を撫でた。グズりは次第に落ち着き、調子を取り戻していくと、和吉は羽黒を跳ね除けて立ち上がった。
羽黒も同じく立ち上がり、周囲を見渡した。いつの間にか、英理はいなくなっていた。彼女の存在を気がかりに思ったが、自分たちと敵対する人間ではないことが分かったので、必要以上に考えないようにした。
「帰りましょうか」
「うん。帰ったら、甘いものいっぱいね」
羽黒は無言で頷くと、和吉共々、闇の中に消えた。
丘の上にはオバケケヤキが1人寂しく風に揺れるだけになった。




