ぜろ子と小さなお友達
零子のいる病室に入ろうとすると、ちょうど戸張と鉢合わせになった。
「おっと、びっくりしたー」
「獅子川……何しに来たの?」
「ぜろ子に会いに来たに決まってんでしょ。ほら、どいてよ」
「零子はもうここにいないよ。退院した」
戸張を横切り、病室に入ろうとした花凛は足を止めた。
「たいいん? 昨日の今日でもう?」
病室を覗くと、ベッドはもぬけの殻になっていた。戸張の言っていることは真実だ。
「昨日の今日って、零子はもう何日も入院してたんだけど」
「あー、そっか。いやでも、それなら昨日のうちに言ってくれない? またお見舞いに行くって言ったじゃん」
「い、言い忘れてた」
戸張は露骨に目を逸らした。誤魔化すのが下手だと思ったが、大目に見てやることにした。
「じゃあそれで、どこに行ったの? あの子、お家もないんでしょ?」
「はな婆さんのとこ。当分はあそこで暮らすってことになってる」
「あー、あそこなら生活するのに困らないわね。そんじゃ早速行こっか」
「やっぱ来るんだ……」
「当たり前でしょ。ほら、置いてくわよ」
花凛はキビキビと歩きだして、戸張を置き去りにした。零子に会いたいという気持ちにはやらされて、歩く速度が増していった。
時間は少し遡る。太陽が頭の上で激しく照る頃、零子は水ノ森神社への引っ越しを終えて、社務所の中でくつろいでいた。
はな婆は面倒な手続きをするために出かけているので、ここには零子は1人しかいなかった。入院している間も1人で過ごす時間が多かったし、戸張が感情の制御をしてくれているおかげで、寂しいとも思わなかった。ただ、暇であるのは事実で、畳の上で寝転がるだけでは、何も面白くなかった。
昼食も食べたばかりだし、入院中と同じく昼寝でもしようかと目を閉じた。だが、病室と違い、木々に囲まれた神社はセミの鳴く声が騒々しく、社務所の中にも聞こえてきていた。慣れない環境もあり、中々眠りに落ちずにいたが、逆にセミの声が新鮮で、それを聞くだけでも楽しくなった。
耳に届くセミの合唱を注意深く聞いていると、騒がしく鳴り続ける音とは別に、リズム良く靴が擦れる音が聞こえてきた。その音はどんどん近付いてきて、それに伴って話し声も僅かに聞き取れた。
「……お婆ちゃん、いるかな?」
「いなかったら、待てばいいよ。遊ぶものはいっぱいあるし、へーきへーき」
子供の声だ。零子は跳ね起きて、玄関に向かった。好奇心が零子を突き動かし、躊躇いなく外への入り口を開いた。
「だーれ?」
社務所に歩いてきている2人の子供は、突然出てきた零子に驚き、立ち止まった。
「うわっ、変な人だ」
「変じゃないよ。普通だよ。キミたちは、はな婆の知り合い?」
「うん。僕はエニシで、こいつがユカリ。僕たち双子なんだ。おねーちゃんは?」
「私は零子っていうの。ぜろ子って呼んでね」
気付くと、零子はエニシたちの近くに来ていた。エニシもユカリも、零子をまじまじと見つめていた。しかし、零子はそれを意に介さず、エニシたちに質問をした。
「はな婆に会いに来たの?」
「あっ、そうです。遊びに来たんですけど……ぜろ子さんはお婆ちゃんの知り合いですか?」
「私ね、はな婆と暮らすことになったんだ。だから、はな婆とは家族だよ」
「そうなんですか……」
ユカリは分かったような分かってないような、曖昧な返事をした。
「でね、はな婆はそれで色々やらなくちゃいけないことがあるから、出かけてるんだ」
「えー、いないの? 遊べないじゃんか。ちぇっ」
エニシは肩を落として、地面を蹴り上げた。ユカリも困ってしまい、キョロキョロと辺りを見回して気まずそうにしていた。零子はそんな2人を小首を傾げて見た後、手水舎に歩いていき、柄杓で水を掬って2人の足元にひっ掛けた。
「ひゃっ、冷たっ!」
「い、いきなりなにすんだよ!」
「えへへ、私と遊ぼうよ。それっ!」
水を空高く舞わせると、大きな雨粒のように落ちてきて、エニシとユカリに降り注いだ。水に濡れた2人は、互いに顔を見合わせると、大きな声で笑った。零子も変わらず笑みを浮かべ、再び水を掛けようとした。
「そうはいかないよ!」
エニシとユカリは水を避けると、零子の後ろに回りこんで手水舎の柄杓を取った。そして、仕返しとばかりに零子に冷たい水を幾度と無く掛けまくった。
「おっ、やったなー。それそれっ!」
「へへっ、負けないぞ。ユカリ、挟み撃ちにしよう」
「うん。ぜろ子おねえさん、覚悟してくださいね」
水のかけあいっこが始まった。境内の中を駆けまわり、掛けては逃げてを繰り返して、最初は零子対エニシユカリだったのも、いつの間にか全員が戦うことになり、激しい水掛けになった。
いつまでも元気な双子だったが、零子はそうもいかなかった。退院したてで体力がなかったので、疲れはすぐにやってきた。しかし、零子本人はそんなことに気付かずに遊びに夢中で、エニシに水をかけてやろうと躍起になって追いかけていた。
だがやはり、零子の体はついてこれなかった。足がもつれて盛大に転んでしまった。エニシとユカリはそんな零子を心配し、駆け寄ってきた。
「ぜろ子ねーちゃん、大丈夫?」
「だいじょう、ぶ、だよ。えへへ」
零子は顔を上げて笑顔を見せるが、鼻血が溢れだしていた。
「大丈夫じゃないですよ! 鼻血出てます! ちょっと待っててください、ティッシュ持ってきますから。エニシ!」
「りょーかい。ねーちゃん、あそこで座ってよう。立てる?」
エニシに引っ張りあげられるようにして、零子は立ち上がり、拝殿の段差に腰掛けた。ユカリが社務所から帰ってきて、ティッシュを鼻に詰めてくれた。代わってエニシは手水舎に行き、柄杓に水を貯めて帰ってくると、血で汚れた手や顔をその水で洗ってくれた。
出血が落ち着くと心配そうに寄り添っていたエニシとユカリはほっと胸を撫で下ろした。
「血、止まったみたいだね。いきなりずっこけるからびっくりしたよ」
「他に痛い所とかありませんか? 気分は悪くないですか?」
「ぜんぜん平気だよ。元気元気!」
零子は跳ねるように立ち上がり、ひらりと1回転して異常がないことをアピールした。
「ほらね、元気! 遊びの続きしようよ」
「でもなあ、なんか心配だよ。またこけたら大変だし」
「水遊びはやめて、別の遊びをしませんか?」
エニシとユカリは零子を気遣って提案してくれた。零子としては遊べればなんでも良かったので、それを断ることはなかった。
「うん、いいよ。じゃあ、何して遊ぶ?」
「あんまり走ったりするのはダメだから……そうだなあ……あっ、そうだ! 探検しよう!」
「探検?」
零子が首を傾げると、エニシは木々の間から見える丘を指差した。
「あの小さい山に行くんだ。ほら、てっぺんに変な木が立ってる山! ここに来る時もすごく気になってんだ。あそこまで探検してみようよ」
「楽しそう。いいよ、探検しよう!」
零子はすぐにその話に乗った。エニシはユカリにも目配せして伺うと、反対を示さなかったので、3人は探検遊びをすることになった。目指す場所は小高い丘。その場所は頼人と花凛がよく知るあの丘だった。




