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ブルーフレア  作者: 氷見山流々
Summer Side Story

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王妃様とお姫様

 誰がどう見ても、それは城だ。他に形容する必要もなく、この日本にあるはずのない西洋の城がそこにある。

 内部も抜かり無く、異様に広い廊下に絢爛豪華なディティールが随所に散りばめられ、鎧やら絵画やら壺やら、とにかく高級な品がそこら中に置いてあった。

 地平の果てまで伸びる塵一つない赤い絨毯の上を、シルクのネグリジェを着た杏樹が1人、せかせかと歩く。身の丈の2倍以上もある扉を少し開いて中を覗く。すぐに閉じて、また歩き出し別の扉を開き覗く。それを何度も繰り返していると、不安な気持ちが募っていった。

 いくつの部屋を覗いたかも分からなくなった頃、また扉を閉じて次の部屋へ向かおうと振り向くと、背後に男が立っていた。

「お兄さま……こんばんは」

 その男は杏樹の兄、統爾とうじである。杏樹と違って容姿は凡で、常に眉間に皺が寄っているため、愛想は良くなかった。

「勝手に人の部屋を覗いておいて、言うことはそれだけか?」

「あら、ここはお兄さまの部屋でしたか。申し訳ありません。決して覗き趣味で訪れたのではありませんので、ご安心くださいませ」

「ふん、白々しい」

 猜疑の視線を向けながら、統爾は自室に入っていこうとした。

「……お母さまを探しているのです。お兄さまはご存知ないですか?」

 杏樹は呼び止めるように言った。統爾は背を向けながらも、杏樹に応えた。

「エリカさんなら、朝からずっと書庫にいる。よほど暇なんだろうな」

 統爾は言うや否や、扉を力任せに閉じた。壊れてしまうのではと思うくらいに強く激しい音に少し驚きつつも、杏樹は扉に向かって会釈をして足早に書庫に向かっていった。

 初めから使用人でも誰にでも聞けば回りくどいことをしなくても良かったのだが、今の杏樹はそこまで頭が回っていなかった。胸の中にあるもやもやとした感覚がいつもの機知に富んでいて冷静な感情を狂わせていた。そして、その症状が母を求める理由でもあった。

 城内をひた走り、母がいるという書庫に辿り着いた。微かに開いている扉から静かに潜り込むと、窓から差し込む月明かりを一身に浴びて、机の上で頬杖をつきながら本を読む母エリカの姿が真っ先に目に入った。

 月の光に照らされ映えるブロンドの髪は、杏樹のそれよりも美しく清純であるのに短く切り揃えられていて、顔も年頃の少年のような幼さがあり、とても子を持つ親とは見えない容姿である。

 そんなエリカが熟読している本は日本の歴史に関するものであった。机の上には何冊も同様の本が積み重ねられていて、崩れてしまうのではと心配してしまうほどだった。本から目を離さないエリカに、杏樹は声をかけるのを躊躇った。いつまでも気付かれないのでは意味がないので、極力足音を殺して、エリカに近付いていった。

「ん、どうしたの杏樹?」

 本の向こうにまで来た杏樹に、エリカが気付いた。

「お母さま、ご機嫌麗しゅう存じます」

 杏樹は深くお辞儀をした。エリカもニコりと笑って返したが、それからは互いに何も口にせず、見つめ合うだけだった。

 どぎまぎする杏樹を見かねてか、エリカは隣の椅子を引いて背もたれを叩いた。杏樹はそれに応じ、エリカの隣に座った。

「そんな表情見るの、どれくらいぶりかな」

「え?」

「難しい顔してる。いっつも自信たっぷりなのに」

 顔を覗きこまれ、杏樹は慌てて目を逸らした。

「恥ずかしがることじゃないよ。そういう顔も可愛いんだから」

「お母さまの子ですもの。美貌に隙がないのは当たり前です」

「ふふっ、それもそうか。じゃあその隙のない美貌を、私によく見せて?」

 そう言われてしまうと従う他なく、杏樹はエリカと目を合わせた。

「それで、そんな顔をしてるのはどうしてなのかな?」

 杏樹は言葉を選んで伝えようと思った。知られてはいけないことを話してしまわないようにするためだ。

「少し答えが見えない事態に遭遇してしまいました。ある人のとても重たい秘密を、わたくしは偶然知っていたのですが、その人がわたくしにその秘密を打ち明けようとしてくれた時、逃げてしまったのです。その秘密というのは、他の人から見たら過酷で到底直視できるものではなくて、わたくしでさえも受け止めることが出来ませんでした。もし、その人の口から秘密を打ち明けられたとして、それを見せられたとして、自分の感情が表に出てしまうのが怖いのです。落胆されてしまうかもしれない。幻滅されてしまうかもしれない。軽蔑されてしまうかもしれない。嫌われてしまうかもしれない……逃げ続けられないことは承知しています。いつかその秘密と向き合う時、自分がどうしたら良いのか、その答えが見つからないのです」

 杏樹は話している間、寂寥感に襲われていた。話し終えた後も、それが胸の中に広がり続け、不安を駆り立てた。そんな杏樹の胸中を察してか、エリカは杏樹の頭を優しく撫でた。

「杏樹はとても優しい子。その人に傷付いてほしくないから、一生懸命悩んでいるのね」

「いえ、違います。お母さまが思っているほど、わたくしは出来た人間ではありません。自分の身が可愛いから、そうやって保身しようとしてしまうのです。わたくしは卑しい人間なのです」

「卑しくなんかない。杏樹は本当に良い子よ。私の子なんだから、ね?」

 そう言われてしまうと反論できなかった。杏樹は小さく頷いた。

「ふふっ、正直でよろしい。正直な子には、悩みを解決するアドバイスをしてあげようね」

 エリカは杏樹の頭から手を離し、立ち上がった。少し伸びをした後に机を回り、杏樹の前に立った。

「ずばり言っちゃうと、杏樹がその人の秘密と向き合うのを不安に思っちゃうのは、まだその人と仲良くなれてないからだよ。それも杏樹の方が壁を感じてる」

「そんなはずは……」

「杏樹はその人のこと、信じてる?」

 その一言に、杏樹の心臓が跳ね上がった。言葉を返すことすら忘れていた。唖然とする様子を見て、それが答えだと認識したエリカは、自らの発した言葉の意味を説明し始めた。

「だってね、その人を本当に信じてるなら、不安になんかならないんだ。自分のありのままを見せても、その人なら受け入れてくれるって思えるから。杏樹がその人を信じられるくらいに仲良くなれれば、悩む理由なんてなくなるんだよ」

 杏樹は頭を抱えて唸った。

「うぅ、そういうことでしたか。お母さま、ありがとうございます。やるべきことが分かった気がします」

「さすが杏樹、お利口さんね。でもその顔、何か腑に落ちないことがありそう」

「友人に言われたことを思い出したのです。その時はどうとも思っていなかったのですが、今お母さまがおっしゃったことに重なることがあったのです。なんだか悔しくて……」

「へえ、すごいお友達がいるんだね。どんな子なの?」

「すごくなんかありませんわ! 花凛さんという方なのですが、ガサツで乱暴で気が強くて馴れ馴れしくて……ちょっと周りを見れることくらいしか尊敬できません。でもちょっとですわ、ほんのちょっと。あっ、そうですわ。お母さま聞いてくださいまし。この前なんか……」

 エリカを椅子に座らせて、杏樹は花凛のことを延々と話し始めた。エリカは困った顔を見せるどころか、笑みを浮かべながらその話を聞き続けた。結局、女中が呼びに来るまで杏樹とエリカは書庫の中で2人の時間を楽しんでいたのだった。

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