望むよりも
通い慣れた病室に入り、頼人はベッドで深い眠りにつく母の側に寄った。
「ただいま、母さん」
反応が返ってこないことも気にせず、鞄をテーブルに置こうとしたたが、そこには一輪の花が置いてあった。細長い花弁がいくつも連なった黄色い花で、頼人にはその種類まで判別できなかった。
「なんだろう、この花……」
「誰かがお見舞いで持ってきたんじゃない?」
「一輪だけを? 父さんが持ってきたのかな。うーん……まあいいや」
意識は既に母に向いていた。頼人の母は人工呼吸器に繋がれていて、酷くやせ細っていた。母の手を握りながら、頼人は優しく語りかけた。
「今日は新しい友だちが出来たんだ。ぜろ子っていうんだけど、その子すごく面白い子でさ……」
今日の出会った零子のことをつぶさに話し続ける。零子が三福の館に囚われていたことも、不思議な力に苛まれていることも、感情が制限されていることも全て包み隠さず話した。
頼人は母には全てを打ち明けていた。自分が理を使えること、その力で悪意や妖怪と戦っていることも知らせていて、何かある度にこの病室に来ては母に報告していた。どんな言葉であれ、それを母に届けたかった。そして声が届いた時、自分の目の前で目覚めるのを期待していたのだ。
頼人の母は5年前からこの病室で眠り続けている。事故だと聞かされていたが、何があったのかは詳しくは知らされなかった。目覚めることのない母を前に頼人は絶望し、学校にさえ登校しなくなっていたが、花凛が毎日のように頼人の家に訪れて励ましたことで元の生活を送れるようになった。そして、花凛と共に母の元へ見舞いに行くようになり、母に自分の元気な姿を見せるようになったのである。
「……で、寝ちゃったから今日はこれでってことになったんだ。またぜろ子と会う約束したから、その時は母さんのとこにも寄ってくよ」
一通り話し終えると、頼人は母から顔を離して黙りこんだ。反応が返ってくるのを待つ。だが、やはり母は微動だにしなかった。笑顔を作っていた頼人の顔が曇っていった。
「頼人、暗い顔はダメ」
そうは言われても、頼人はどうしても気持ちが前向きになれなかった。何年も通いつめて、元に戻るようにと願って声をかけ続けているのに、今日に至るまで母の状態が改善する兆しさえないのだ。
「俺のやってることって、意味あるのかな?」
「頼人! 怒るよ?」
「でも、話しても話しても母さんは目を開けてくれない……手を握り返してくれない、声を聞かせてくれない! どうしたら、母さんは起きるんだ? どうしたら……母さんと会えるんだ?」
悲痛な叫びだった。頼人は母を前にして無力だった。気休めにしかならない看病を続けて、自分だけが満足しているように感じてきていた。だから、突破口を開く何かを求めた。
その叫びは花凛に向けられたものだ。答えを持っているわけもなく、困らせるだけの言葉なのに、それでも花凛は必死に考えていた。そして花凛は考えうる中で最も可能性のある、小さな希望を口にした。
「理の力なら、治せるかも」
「理……でも、どうやって?」
「人を治すパーソナルとか、自律理源とかがあるかもしれない。お医者さんがお手上げでも、理ならなんでもありだもの。きっとそういう便利な力があるはず! だから、見つけるのよ、治す力を。一緒にね」
花凛は頼人の腕を取った。少し力が入っていて痛かったが、頼人はそこから勇気が流れてくるように感じた。
「ありがとう、花凛。花凛がいなかったら俺、諦めてたかもしれない。」
「照れるからやめてよ。それに目標が決まっただけなんだからね。これからは町の平和を守りつつ、治す方法も見つけてかなくちゃいけないのよ。今まで以上に頑張る必要があるってこと、肝に銘じておきなさい」
「母さんのためだ。どんなに辛くて苦しくても、絶対に見つけ出す」
頼人は再び母を見遣った。新たな目標のため、更に強くなることを決意し、母を想う。そして花凛もまた、頼人の願いを叶えるために一層気合を入れるのだった。




