夜色の幻想
羽黒を中心に広がるその闇は、あらゆるものを力づくで塗りつぶして展開された。その闇の中で唯一抵抗していたのが、頼人から放たれている光の剣だ。音、匂い、空気さえ飲み込む常闇の世界で、その光は凛然と輝き、闇を嫌った。持ち主の頼人も光と同様、闇の中で自分を失わずにいて、ただ真っ直ぐ光に映し出される羽黒を見つめていた。
羽黒は笑った。禍々しい笑みを浮かべ、頼人と花凛に静かに近づいてきた。
「魂が落ち着いてる。燃え揺らいでいた時よりも、遥かに良く見える」
小さな呟きだったが、はっきりと聞こえた。羽黒の足音も、静寂に満ちる闇の中で息をしていた。その音は近づくにつれて大きく、そして早くなっていき、それに合わせて自分のなのか誰かのなのか、判別の出来ない心臓の鼓動も強く早く聞こえてきた。
全ての音が高鳴りだした時、羽黒と頼人は武器を交えた。闇に紛れる大鎌と闇を照らす剣がぶつかり合う。単純な鍔迫り合いにはならなかった。頼人は1人で戦ってるわけではない。それを本人も理解した上で、羽黒の攻撃を受けたのだ。
花凛は羽黒の背後に回った。如意棒を振り上げ、後頭部を叩こうとする。直撃する直前、光が完全になくなった。頼人の手元から光の剣が消えたのだ。如意棒はそのまま振り下ろされていたが、当たった感触がないまま真下の床に着いた。
見えない如意棒の先を見ていた花凛だったが、次第に闇が晴れ、元の屋敷に戻ってきた。そこにいるのは頼人と花凛だけで、さっきまで戦っていた羽黒の姿はなかった。
「あれ? なんで羽黒いなくなってんの?」
「闇も消えた……いったい何があったんだ?」
2人は顔を見合わせていたが、頼人が何かに気づき、花凛の後ろを見た。
「あっちだ、花凛。向こうに羽黒がいる」
頼人の指差す先に羽黒がいた。羽黒は懐中時計を取り出して、まじまじとそれを見ていた。
「俺のも合わせて丁度と言ったところか。あまり消耗したくないが」
頼人たちが眼中になくなっているようだった。花凛は考える間もなく、羽黒に跳びかかっていった。
羽黒は慌てる様子もなく、花凛の如意棒での攻撃を片手で受け止めた。
「ぐっ、あんた以外と馬鹿力なわけ?」
「違う。お前が非力なだけだ、間抜け」
羽黒は懐中時計をしまい、再び大鎌を発現させた。如意棒を掴まれたまま動けなくなっていた花凛は、必死に足掻いている内に気付いた。自分を強化していた土の理が消えていたのだ。気付いた時にはもう遅かった。羽黒の手から逃れられないまま、大鎌に刈り取られようとしていた。間に合うか否か、花凛はストーンホルダーに手を掛けた。源石に触れるが、もう鎌は花凛の胴体を貫いていた。
鎌の先端には魂が付いているはずだった。それを羽黒も確信していたが、何も付いていなかった。掴んでいた如意棒が強引に引き離された。大きく息を吐き、花凛は羽黒を蹴飛ばした。理の力が乗った攻撃に羽黒は耐え切れずに倒れた。
「……なぜだ? なぜ効かない?」
初めて焦燥を見せる羽黒に、花凛は勝ち誇った顔をして理由を明かした。
「効いたわよ、持ってかれるとこだった。でもね、あたしのハートはここぞって時に踏ん張れる強いハートなのよ」
まるっきり理由になっていないように聞こえるが、それが真実だった。花凛がはな婆から対羽黒用に教えられた術は、心の持ちようだった。魂とはすなわち心、心とはすなわち精神。如何なる事象にも動じない精神があれば、魂を奪われることもない、という理屈だ。実際、こんなものは術と呼ぶには疑わしい根性論であり、はな婆も花凛が出来る対策はこの程度のことしかないとして教えたものだった。だが、それははな婆の想定以上に有効に働き、花凛の魂を一分も揺らがせない完璧な護身術となったのだ。
頼人も追いつき、形勢は頼人たちに傾きつつあった。羽黒を見下ろしながら、頼人は落ち着いた口調で言った。
「これ以上の戦いは無意味だ。大人しく負けを認めて、紅蓮の魂と夜色の幻想を返せ」
「……夜色の幻想を知っているということは、やはり戸張の仲間だったか」
羽黒が取り出したのは先程見ていた懐中時計だった。鉛色のその時計は12時を示したまま動かずにいた。
「あんた、お師匠さんからそれ盗んだんでしょ。いくら自律理源が凄い力持ってるからって、大切な人を裏切ってまで手にすることはないんじゃない?」
「理解を得ようとは思わない。俺でさえ正しいとは思ってない。抗えないだけだ、ただそれだけ……」
羽黒は夜色の幻想を強く握りしめた後、自棄糞気味に放り投げた。頼人たちを越えて更に先に飛んでいき、微かな金属音を立てて落ちた。
「1つだけ教えてやる。夜色の幻想は単なる闇の自律理源ではない。理力を吸うことで針が回る。吸えば吸うほど針は大きく回り、やがて12時を指す、するとどうなるか。所有者の思うままに1つの物体の状態が巻き戻る。傷も理力も、居る場所さえも思うがままに戻せる」
頼人たちが泡を食わされた現象に合点がいった。光の剣に込められた理と、花凛の土の理は夜色の幻想に吸収されたために消失し、羽黒がその場からいなくなったのも、巻き戻しが起きたために始めに歩いてきていた場所に戻っていたからだった。
「何でも戻すことは出来るが、俺の近くにないものは無理だ。もし遠くにあるものを巻き戻したければ、夜色の幻想を近づければいい。既に俺はこいつに選ばれている。だからこの手を離れていようが、しっかりと役目を果たしてくれるのさ」
2人は羽黒が何を言いたいのか理解した。慌てて振り向くと、倒したはずの仁王像が何事もなかったかのように立っていて、此方に走ってきていた。
「まだ足掻かせてもらおう。それが俺の役目だ」
羽黒も立ち上がり、鎌を向けた。花凛から受けたダメージは残っているようで、少し息が上がっていた。
「どうする花凛? また風の理で倒すか?」
「……いや、あたしがやる。頼人は羽黒をぶちのめしなさい」
「分かった」
敵が差し迫っていたためにやり取りが短かったが、お互いに言葉以上のことを交わしていた。
花凛は源石から理を取り込もうとした。だがその時、煩い声が聞こえて中断させられた。
「あーヤバいヤバい、花凛ちゃんヤバい。もう限界だよ、僕。特濃の理が溢れちゃいそうだ。いい? 出していい?」
「待ちくたびれたわよ、ピーちゃん。ほら、早くちょうだい」
「いくよ? ちゃんと受け止めてね。せーのっ、ふん!」
如意棒から、快感を覚えるほど強い理が流れてきた。それは花凛の意思を介することなく右手に集まっていき、力を漲らせた。気を抜くと勝手に放出されてしまいそうになるほど、巨大で熱い理だった。
「すっご……これなら世界最強も嘘じゃないかも」
「ふう、感動するには早いんじゃない? その拳で仁王様の厳つい顔をぶっ飛ばしてあげな」
花凛は頷くと、仁王像に向かっていった。漲る力は身体能力を超大に引き上げ、仁王像が反応できないほどの速さで、足元に潜り込んだ。膝を大きく曲げて、バネのように跳ね上がる。仁王像の顎に目掛けて、拳を振り上げた。顎を捉えた瞬間、花凛の中にある理が一気に解き放たれ、堅牢たるダイヤの肉を打ち砕いた。仁王像の顔は割れて、木っ端微塵に吹き飛ぶと、体は制御を失って倒れた。
ダイヤの破片が飛び散る中、花凛は最後に残った少量の理で無事に着地した。目の前に倒れていた仁王像は体中に亀裂が走り、粉々に砕けた。
「ビューティフォー! さすが僕が見込んだだけあるよ、花凛ちゃん」
「ほ、褒めてくれるのはいいんだけど、これ、めちゃくちゃ、疲れる……」
花凛の体力も理力も空になっていた。如意棒を杖代わりになんとか立っていられたが、酷い脱力感が花凛を襲っていた。花凛は肩で息をしながら、如意棒を突いて進み始めた。仁王像の破片を踏みながら、目指していたのは夜色の幻想だ。
「ちょっとでも休んで体力を回復したほうがいいんじゃないの?」
如意棒が気遣ってくれたが、花凛は首を横に振った。
「まだ、何も終わってないから、休んでられない、わ……」
気力を尽くして歩いていくが、それも限界を迎えようとしていた。如意棒を滑らせて、前のめりに倒れると、もう一歩も歩く力が湧かなかった。顔を上げると、あと少し、手を伸ばせば今にも届きそうな距離まで来ていたことに気付いた。だが、手を動かす力さえも残ってはいなかった。
目の前に転がる懐中時計を恨めしそうに見ていると、不意にそれを小さな手が拾い上げた。花凛の視界にはサイズの合わない下駄を履いた足だけが残った。




