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ブルーフレア  作者: 氷見山流々
悪の館

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35/255

したい

 戸張が感じた気配は間違いなく近づいていた。応接間への道程を行く中、それが戸張の心を、感情を刺激し続けていた。

「……戸張、おぬしも感じているようじゃな」

 はな婆は戸張の顔色を伺いながら、聞いてきた。

「何処からか流れてきている……この感覚、尋常じゃない」

「悪意とも違う寒々しい気配、これはいったいなんなんじゃ?」

 戸張は答えなかった。知らなかったからというのもあるが、それ以上にこの感覚が少しづつ明瞭になっていき、自分の感情を大きく動かしていったため、声を出すことが出来なかったのだ。

 垂葉に教えられた曲道に来た。ここを右に曲がれば応接間だが、反対の道からその気配が強く流れてきていた。戸張とはな婆を足を止めた。

「これを無視して進めんわい。戸張、悪いがおぬしだけでも応接間に向かってくれ」

「駄目、駄目だ……」

 はな婆は目を丸くして戸張を見た。

「どうしたんじゃ? なぜ、泣いておる?」

「こんなのあんまりだ……どうして、こんな……」

 戸張はそれが来る方に歩み出していた。三福のことも、羽黒のことも、戸張の頭から消えていた。もうそれのことしか考えられなくなっていた。

 禍々しい気配が漏れる部屋、その前に戸張とはな婆が辿り着いた。様々な錠前が掛けられているのに、どれも異様に錆びついて外れていた。戸張は涙を拭い、扉を開けようとした。

「待たんか。中に何が待っておるのか分からんのじゃ。もう少し慎重に……」

 はな婆の忠告は耳に入っていなかった。戸張はそのまま扉を開いて部屋の中へと進んでいった。はな婆もぶつぶつと愚痴をこぼしながらも付いて来た。

 埃が舞い、カビの匂いが漂う部屋だった。豪邸の一室とは思えない汚らしさでも、趣味で集めたであろう骨董品の数々がひしめき合っていて、言うなれば倉庫のような部屋だった。

 その奥で最も異彩を放つ物が鳥籠だ。大きな鳥籠の中にポツリと少女が佇んでいた。薄い布を纏っただけの格好で、床にべったりと広がるほどの長い白髪が露わになっている白い肌を覆っていた。そして白髪の中に紛れて2つの赤い瞳が浮き出ていて、瞬き一つせずにどこともいえない場所を見つめていた。身体的特徴が大きく目に付くが、それ以上にこの少女からはあるものが多大に溢れだし、あるものが全く感じられないことに、戸張は衝撃を受けた。

「なんなんじゃ、この娘は? 人1人が放つ気ではないぞ」

「助けないと。このままにしていちゃいけない」

「……戸張、おぬしには何が見えておるのじゃ? あの娘は何者なんじゃ?」

「壊れかけてる。負の感情が収まりきらなくなってるんだ。そのせいで、自我が消えかかってる」

 少女は生きる屍のような状態だった。彼女が生きている証明は溢れ出る負の気だけで、それは人の心を見てきた戸張にとって、同情を超えて自らの苦しみになるほどの絶望だった。今、少女は際に立たされているのだ。心が負の感情に蝕まれ、崩壊していこうとしている。それを食い止めなければならなかった。戸張は一歩、足を進めた。

 漂っていた負の気が、棘を帯び始めた。それらは一斉に戸張にまとわりついて、心に突き刺さってきた。それは戸張の感情すらも食い殺しに来た。心の痛みに耐えかねて、戸張はもがき苦しんだ。

「馬鹿者め、式神!」

 はな婆の袖口から紙の人形が2体飛び出してきた。戸張の背中に貼り付くと、途端に痛みが治まっていった。もう1体の式神は戸張に向けられた負の気を引き寄せた。その全てを受けきると、式神はぼろぼろになって崩れていった。

「無警戒にもほどがあるわ! おぬしが死ぬことになるぞ!」

 はな婆は鬼の形相で叱責した。

「躊躇ってる暇はないんだ! 早くしないとあの子が壊れてしまう!」

 怒号を返すと、はな婆の表情がますます険しくなった。

「若いもんはいつも無鉄砲で迷惑ばかりかけおる。もう良い、勝手に突っ込んでいけ。わしはここから一歩も動かん。式神でも飛ばして遊んでおるわい」

 愛想を尽かしたように言い放った。ただ、本心は丸見えだったので、戸張は心の中で感謝しつつ、再び少女へと向かっていった。

 落ち着いていた負の気がまた凶暴な棘となり、戸張に襲いかかろうとしていた。後ろから飛んで来る式神たちがそれを吸い込んで自壊を繰り返して戸張を守っていた。自分の心は負の気で痛むことはなかった。だが、少女に近づけば近づくほど、深い悲しみに苛まれていった。

 負の気の勢いが増してきた。戸張を拒絶するかのように猛り、式神たちの守護もだんだんと追いつかなくなっていた。微量ながらも戸張の心に侵入して、静かにゆっくりと蝕まれていった。

 これほどまでの危機に陥ってでも少女を救いたいと思ったのは、単に少女に同調してしまったからというだけでなく、少女の鍵穴から僅かにも希望が見えなかったからだ。

 生きとし生ける者ならば、誰しもが抱くであろう光、それが希望。たとえ挫けても、苦しくても、悲しくても、その光は常に心の奥底にあり、逆境に耐えうる力を与えてくれる。少女の心には一寸の光も存在しなかった。絶望が心を支配し、生きる力が芽生えるのを阻止していた。希望の種が腐り、汚染された土壌は自力での再生を不可能にしていた。それを浄化するには他者の力が必要だ。それなのに、この子に差し伸べられる手はどこにもなかった。この少女が生きてきた人生が垣間見える。寧ろ逆なのだ。虐げられて、土壌を汚され、種すらも奪われていき、この世に光はないと思わせるに至ったのだ。

 どうしてこんな悲しいことが、忌むべきことが起きたのか、知る由もなかった。少女の過去はどす黒く塗りつぶされ、一切の思い出がない。死に至る人間でさえ、走馬灯が思い浮かばれるというのに、この子は無だった。垂れ流される絶望だけが少女を形成している要素だとしたら、虚しすぎる。生まれ変わらせてあげたかった。人として、充分な幸せを得てほしかった。それが戸張の純粋な望みだった。

 自身の心の汚染が、却って前へ進む原動力となっていた。朦朧としつつも、遂に鳥籠の前まで来ていた。閉じられた錠に震える手で鍵を差し込む。錆びついた錠が不快な音を立てて、それに呼応するかのように扉も悲鳴を上げて開いた。戸張は鳥籠に入り、少女と対峙した。

「辛かっただろう……苦しかっただろう……でも、それももう終わりだ」

 少女は反応を示さなかった。それがまた戸張の心に刺さった。銀鐶に一際大きな鍵が出来ていた。それを取り外し、少女の胸に深く突き刺した。

 負の気が回せないように必死に抵抗してきた。だが、戸張の思いはそれを遥かに上回っていた。少女の中にある負の感情に、強固な鍵を掛けた。その瞬間、少女から溢れていた負の気が一気に発散され、霧散していった。

 少女の頭が戸張にもたれかかった。少女を維持していた負の気がなくなり、意識がなくなったのだろう。

「ほう、なんとかなったようじゃな。ヒヤヒヤさせおって」

 はな婆が鳥籠の前まで来ていた。険しい顔つきはなくなったが、疲弊して怠そうな表情になっていた。

 安堵する2人だったが、それを許さぬ事態が起きた。唐突に屋敷が揺れ、部屋の物が次々と倒れていった。

「今度は何じゃ? 忙しなくてかなわん」

「ここが危険だってことは確か。この子を車まで連れていこう」

「それが賢明かのう。すまんな、頼人。合流は少々遅れそうだわい」

 先行するはな婆を、戸張は少女を抱えて追っていく。少女への固執が少し治まり、頼人たちを思う余裕が出来ていた。だが今は彼らの無事を祈り、託すことしか出来なかった。

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