影雪
杏樹は和吉を追って邸内を奔走していた。追いつきそうで追いつけない絶妙な速さで逃げる和吉に苛立ちが募りそうだったが、保護者として不届きだった自分に非があるため、悔やむ気持ちが多くを占めていた。それを少しでも解消するには、あの暴走妖狐を捕まえるしかなかった。
「待ちなさい、待ちなさいったら!」
必死の呼びかけに和吉は応えず、階段を下りていく。杏樹も急いで和吉の後を追った。
下りた先で、すでに開け放たれている扉を抜けると、明かりがない薄闇の空間が広がっていた。
「子狐ちゃん、どこに隠れていらっしゃるの? はあ、こうも暗いと見つけられませんわ。それ!」
杏樹は人形を召喚した。人形は頭から温かい炎を出して、辺りを照らした。照らしだされた部屋には棚が満遍なく置かれて、どれにも白い布が被せられていた。
興味をそそられ、手近な布を取り払ってみた。すると、そこには揺らめく火の玉が入った瓶がいくつも並んでいた。
「これは、魂? なぜこんな場所にこれほどの数が……」
「ああ、触っちゃ駄目よ。大事な物なんだから」
杏樹は声のする方に目を向けた。暗闇の中で薄っすらと見えたのは、二足歩行の黒猫だった。
「おや、あなた玄関で見たような気がしますわね」
「見られてたの? ばれないようにこっそり逃げたつもりだけど。私は影雪、化け猫の長をしているものよ」
「長、ということはあの化け猫の群の統率者だったのですか。部下が戦っているのに尻尾を巻いて逃げるとは、とんだ恥晒し者ですわ」
「うぐっ、私には別の任務があったから、だから、仕方なく彼らを置き去りにしただけよ」
杏樹の言葉が刺さったのか、影雪に動揺が見られた。
「任務ですか。部下を見捨ててまで遂行しなければならないことが、この場所にあるということですね。この大量の魂が関係しているのは自明の理ですけれど、これをどうしようというのです?」
「どうもしないわ。ただ見張るだけ。侵入者に取られないようにね」
「用途を吐く気はないようですわね。まあ良いでしょう。少し目的から逸れますが、これも世のため人のため。そして何より、長永くんに褒めてもらうために、この魂は全て回収させてもらいますわ」
「駄目って言ったでしょうに……」
影雪はそう言うと、暗闇の中に姿を消した。それと同時に、棚に掛かっている布全てがひとりでに集まり、端が強く結ばれ大きな一枚の布に変化した。次いで、瓶がふわふわと空中に浮いて布の中に収まっていくと、全ての瓶を包みこんで袋になった。
「所詮人の子一人きり、妖怪信条に則れば恐れられるのは私の方。影も落とさず雪いでみせよう、貴方の不遜な身状を」
影雪の声が反響して聞こえてきた。目の前で浮いていた大袋も忽然と消えてしまい、明かりの中には杏樹と人形だけが取り残されてしまった。
音もなく、気配もない。思わせぶりなことを言っておいて逃げたのか杏樹は思ったが、それはすぐに払拭された。鋭い痛みが足に走った。視線を落とすと、ふくらはぎに切り傷が出来ていた。
「何処から攻撃を?」
人形に視線を移して尋ねるように言うが、人形も困惑しているようだった。その人形にも見えない攻撃が襲ってきた。腹部が深くえぐれて、苦しみ様子を見せた。
攻撃の影響で頭の火が弱まり、更に視界は悪くなった。正体の掴めないまま状況が不利になっていき、杏樹にも焦りが見え始めた。人形を持ち上げて、闇雲に部屋を走ったが、影雪の姿はなかった。
「くっ、卑怯者め。何処に隠れたというのですか。出てきなさい!」
声は闇に飲まれるだけだった。その代わり、再び攻撃が襲ってきた。後頭部に叩かれるような衝撃が来て、前につんのめった。その後も体中に衝撃が与えられ、ダメージが蓄積されていった。
「ううっ、せめて姿さえ見えるようになれば反撃で出られるのに……」
不意に言葉が漏れた。独り言でしかなかったこの声に、反応が返ってきた。
「おねーちゃん、遊んでるの?」
闇の中から獣耳の子供の姿が滲み出てきた。
「子狐ちゃん! 危ないですわよ!」
「え?」
注意を促した杏樹を和吉はじっと見つめていたが、ふとその視線が横に逸れた。それに伴って、上半身を大きく後ろに反らした。顔は左から右へと向きを変えてハエでも追うように忙しなく動き、タイミングを見計らってジャンプやステップを踏んでいた。
和吉の不可解な行動を見て、杏樹は推察した。もしやと思い、和吉にこう尋ねた。
「子狐ちゃんは何を見てらっしゃるの?」
「んー? なんか……黒猫さん? さっきからね、かまってほしいみたいで、めんどくさいの」
思った通りだった。和吉には影雪の姿が見えている。見えない攻撃は影雪自身が姿を消して接近してきて行っていたのだ。タネは分かった。そして、そのタネを見破ることが出来る駒もある。後はその駒の機嫌次第だった。
「もし宜しければ、その黒猫がどこにいるか教えてくださりません? わたくし、それに悪戯されて困っているんですの?」
「えー、それよりわちきと遊んでよ。約束でしょ?」
「これは遊びにならないんですか……線引がよく分かりませんわね。猫の駆除が終わったら遊んであげますから、手伝ってくださいまし。ご褒美にあんみつもたくさん差し上げますから」
「うーん、じゃあ、手伝ってあげる」
あまり乗り気ではないようだったが、和吉は割と素直に言うことを聞いてくれた。だが、その助力は少々投げやりなものだった。
「あっち……」
和吉が虚空を指差す。即座にそこへ火の理を射出させると、理が何かに引っかかるように形を変えて直進した。
「そっち……」
反対方向を指差す。また射出してみるが、今度は何もなく壁に当たった。
「こっち……そっち……あっち……」
曖昧すぎた。大まかな居場所は分かっても、射出程度の理では当たる方が稀だった。改善させたいと思いながらも、指示に添って攻撃していった。それを繰り返す内にある法則に気が付いた。
和吉の指示は『あっち』『こっち』『そっち』の3つのワードだけで行われている。指差す方向はどこだろうと、このワードは不規則に使われているように思えた。だが、実際はこのワードに影雪との距離が示されていたのだ。『あっち』は指差す方向からかなり離れた位置にいる。『こっち』は限りなく和吉に近い位置にいる。『そっち』は少し特殊で、指差す方向にいながらも、杏樹に向かってきているということを表していた。試行回数を重ねることで、なんとなく見えてきたものだ。この法則が正しければ、かなり攻撃が当てやすくなる。早速、証明に入ることにした。
「あっち」
和吉が指し示す方から遠くへ火球を放つと、燃え上がる音と共に火球が消えた。どうやら命中したらしい。
「こっち」
すかさず指示が飛ぶ。火球を和吉を掠めるくらいの位置に放つと、また命中した。
「そっち」
待ち望んでいた言葉だった。これが、最も攻撃を当てやすい機会であり、そして戦いを終わらせられる一撃を放つ好機であった。杏樹は抱えていた人形をその方向に投げた。
「さあ、我が下僕よ、全ての理を解放するのです!」
人形は形を歪ませていった。火、水、風、土が表面に湧き上がったかと思うと、それらが一気に吐き出された。強大な理の力が辺りを怪しく照らしながら破壊していく。屋敷が壊れてしまうのではないかと思うほどに理は暴れまわった。
人形の理が静まると、暗闇が戻ってきた。杏樹は火の理を明かりにして、人形を放った場所に近づいた。
「……あら、ようやくお目見えですわね」
ぼろぼろになった影雪がそこにいた。杏樹の奥義が直撃したようで、すでに虫の息だった。
「やりすぎてしまったかしら。一応、手を抜いたのですけれど」
「強がりとは思えないのが悔しいわ……私の負けね……」
「これ以上酷い目に遭いたくなければ、魂を出しなさい。それと、わたくしの質問に答えるのです。素直に従えば見逃して……」
影雪が不敵な笑みを浮かべた。次の瞬間、彼女の体が煙となって消えていった。
「なっ、また消えるつもりですか! どこにそのような体力が……」
杏樹は辺りを警戒するが、一向に攻撃が来ることはなかった。
「逃げられた? むう、小癪な妖怪め!」
結局魂の行方も知れず、影雪はいなくなった。戦いに勝ったのに、これほどの敗北感を味わったのは初めてだった。憤る気持ちでままならなかった杏樹は、暗く陰湿な部屋から出て、無理にでも気持ちを切り替えようと何度も自分の頬を叩いた。
「まだですわ。まだ終わってない……行きましょう」
言葉に出して自分に言い聞かせると、杏樹は走りだした。屈辱を置き去るかのように。




