仇敵を追う
県内で最も医療設備が整っているとされる大丸病院。そこにある個室で頼人たちは一向に目覚めない紅蓮を囲んでいた。
「命に別条はないようですが、全く回復の兆しがありませんわね」
杏樹は珍しいものを見るかのように紅蓮の顔を観察した。
「あの黒い男、紅蓮ちゃんに何をしたっていうの? あれも理の力なの? ていうかいきなり出てきて何者なのよ!」
花凛はお見舞い用にと持ってきていたリンゴを、皮も剥かずに齧った。ロックたちを倒したことで終わるはずだった一連の騒動は、誰も予想していない展開に転がっていった。何も分からないまま、仲間を失ったことが不安ばかりを募らせていた。特に頼人は大きな衝撃を受けてしまっていた。
それを一番に察知し、最も理解していたのは花凛だった。しかし、花凛は慰めるような真似はしなかった。頼人の悲しみがそうしたところで治まらないと知っていたからだ。今はただ、頼人がその痛みを乗り越える必要がある、と傍観するしかなかった。
重い空気が立ち込めていた病室に、新たな風は吹き込んだ。粗雑に開けられた扉からはな婆と服部、そして戸張が入ってきた。
「やっと来てくれたわね」
紅蓮の病室に集まっていたのは、はな婆からの呼び出しがあったからだ。だが、戸張と共にやってくるとは誰しも思っていなかった。
「おや、戸張殿もご一緒とは……お知り合いでしたの?」
「知り合いというほどでもないわい。そんなことより、さっそく本題に入るぞ」
はな婆はベッドの横の椅子に座ると、険しい表情で紅蓮を見た。そしてすぐに視線を切り替え、一同を見渡した。
「ねえ、あの男はなんだったの? あいつが使った力もいったいなんなの?」
感情を抑えきれない話し方で花凛がはな婆に問い詰めた。
「落ち着け。そのことならわしよりもあやつの方が知っている。説明できるな?」
はな婆の視線が戸張を指すと、一同の注目もそちらに移った。戸張ははな婆に促されると、重たい口調で話し始めた。
「あいつは羽黒閃。僕がずっと追ってきた仇敵だ」
「仇……あいつが、羽黒が戸張君の仇……」
頼人の小さな呟きに戸張は頷いた。
「羽黒と僕はかつて同じ師匠の下で理を学び、鍛錬を積んできた。だけどある日、羽黒は師匠を襲い、『夜色の幻想』を奪って消えたんだ」
「待ってください。あの時もおっしゃっていましたが、その『夜色の幻想』とはなんですの?」
「『夜色の幻想』は闇を生み出す自律理源さ。膨大な理を孕み、所有者の魂を贄に大いなる力を授けると言われてる」
「自律理源? 聞いたことのない言葉ですわね」
杏樹はちらりとはな婆に目を向けた。はな婆はすぼめていた口を開き、応えた。
「自律理源というのは、非常に希少で有用な理源のことじゃ。おぬしらが使っておる源石とは違って、莫大な量の理を含んでおって、しかも理が尽きてしまっても時が立てば勝手に理を宿す再生機能が付いておるんじゃ。更には理源としてだけではなく、摩訶不思議な力をもって持ち主を助けてくれる優れものじゃ」
自律理源。理を使う頼人たちにもそれが如何に有益な物かは想像に難くなく、同時にそれを持つ者を相手することが容易でないことも知れた。実際、羽黒と退治した僅かな時間でも、一方的にやられていたので自律理源の恐ろしさを尚に痛感していた。
「ふーん、それじゃあ紅蓮ちゃんをこんなふうにしたのも、その夜色の幻想ってやつの仕業なの?」
「これは羽黒のパーソナルが作用している状態だ。だけど、それを可能にしているのは夜色の幻想なんだ」
誰もが戸張の言葉に疑問符を浮かべたが、戸張が間髪入れずに言葉を続けた。
「大田島は精神が肉体から抜き取られている。夜色の幻想が作りだしたあの大鎌が精神を魂という形に具象化して無理矢理切り離したんだ。だから、大田島を元に戻すには羽黒から魂を取り返す必要がある。魂さえ手に入れば、肉体の戻すのは簡単さ」
「良かった、紅蓮は元に戻れるんだね」
頼人からようやく安堵の声が漏れた。花凛と杏樹も、頼人に少しだけ活気が戻ったことを顔には出さずに喜んだ。
「これでやることははっきり分かったじゃろう。我々は羽黒という男を探しだし、デカブツの魂と自律理源を奪取する。そしてその裏で何が動き出しているのかを、探り出さねばならぬ」
「裏? 羽黒の目的ってこと?」
「羽黒の、ではない。羽黒を含む何者かの目的じゃ」
「えー、もうよく分かんないんだけど、敵は他にもいるってことなの?」
はな婆は難しい顔をして、宙に視線を向けた。そして直に花凛に視線を戻すと、淡々と説明を始めた。
「そうじゃなあ……順序立てて説明するか。此処に来る前に、わしと戸張で別室にいるロックと呼ばれておった男に会いに行ったんじゃ。当然、其奴も魂が抜けている状態なのじゃが、戸張の特別な力で様々な情報を手に入れることが出来たのじゃ」
「戸張殿の特別な力……パーソナルですか。たしか心を覗くとかいう力でしたわね。魂が抜けた人にもその力は有効なんですのね」
「心を覗くとは言ったけど、厳密には違うんだ。僕には鍵穴が見えている。その穴から記憶や感情を覗き見ることが出来るっていうのが僕のパーソナルだ。この力で、ロックの頭の中から記憶を覗き見たんだ。羽黒とロックがどんな関係だったのかを知るためにね。予想通り、ロックは羽黒と何度も接触していた。だけど、羽黒だけじゃなかった。羽黒の他にもう一人、ロックと関わっていた男がいたんだ」
戸張は一度言葉を切り、皆の顔を窺った。そして、再び真相に近づく話を続けた。
「ロックはその男から支援を受けていた。理源と思われるメダルもその男から支給されたものだ。ロックは男の名前を滅多に口に出さなかったけど、呼ぶ時はいつもフルネームに先生を付けて呼んだ。『三福大介先生』って」
「三福大介……どこかで聞いたことのある名前ですわ」
「さすが天下の御門令嬢だ。小物議員にさえチェックは欠かさなかったのかな?」
今までひっそりと黙っていた服部が陽気に口を出してきた。
「ああ、そうでした。彩角市の議員でしたわね。それで、どうして三福が犯罪者集団に手を貸していたのですか?」
「そこまでは分からない。でも三福という男が出てきたおかげで、先に進めそうなんだ」
「左様。三福が羽黒と関係があるのは一目瞭然じゃ。じゃから、三福と接触することが羽黒を見つけ出す最短の道だというわけじゃな」
「しかもお相手は地方とはいえ、一端の議員だ。立派な事務所がこさえてあるはずだから、そこに行けばすぐに会えるさ」
「やることが分かりやすくて助かるわ。そんじゃその三福って奴の事務所に行こう」
花凛が勇ましく立ち上がった所ではな婆が水を差すかのように言った。
「事務所に行くのは戸張と服部だけじゃ。花凛、頼人、杏樹はわしの特別訓練を受けてもらう」
「えー、今更訓練すんの? もう充分やったじゃん」
「今のおぬしたちには必要な訓練なんじゃ。羽黒と戦うことになった時、なくてはならない技術を身につけてもらう」
「それがあれば、羽黒に勝てる?」
頼人はほとんどいつもの調子に戻り、会話に入ってきた。
「ああ。特に頼人なら勝算は高くなるじゃろう」
「だったら、絶対にそれを覚えなきゃ。はな婆、早く教えて!」
「急くでない。訓練は神社に戻ってからじゃ。花凛と杏樹も良いな?」
花凛は訓練よりも実戦をしたくて堪らなかったが、羽黒を倒すために必要ならばと渋々了承した。一方、杏樹は思うことがあって訓練を拒否した。
「わたくしも三福の事務所に向かいますわ」
「何を言っておる。そっちは戸張と服部に任せておけばよいのじゃ」
「いいえ、任せておけません。戸張殿と刑事さんだけでは不安しかありませんもの」
戸張は杏樹の発言から何かを汲みとった。
「……成る程ね。お婆さん、御門さんをこっちに寄越してくれない?」
「じゃが、訓練をしなければ……」
「心配いりませんわ。わたくしは後からお教えを願います。それで充分、力を身につけられますわ」
「うーむ、確かに杏樹は覚えが異様に早いから問題はなさそうじゃのう。それにもしもの時に戦闘要員が戸張だけでは心許ないか。分かった、おぬしも三福の所へ行け」
「ありがとうございます。目的は必ず遂げてきますわ」
杏樹は感謝の微笑みをはな婆に向けた。早速、杏樹と戸張、服部は病室を出て、三福大介の事務所に向かっていった。頼人、花凛、はな婆も紅蓮に挨拶を残してから病室を出た。
病院の廊下を歩きながら、花凛は頼人に話しかけた。
「ねえ頼人、ついでにって言うのも変かもしれないけど、会ってく?」
頼人は首を横に振り、申し出を断った。
「こんな気持ちのままで会いたくない。紅蓮を助けて、何もかも終えてから会うよ。花凛だけでも会いに行けば?」
「いいや。あたしも頼人と同じ気持ちだから。楽しい話をしてあげたいからね」
傍から聞いていたはな婆には頼人と花凛が何を話しているのか、見当がつかなかった。だが、深く言及する内容でもないと思い、聞き流した。頼人と花凛には他の誰にも言っていない秘密があった。それが明るみになるのはこの事件が解決した後になった。
タバコ臭い車中。後部座席で距離を開けて座る杏樹と戸張。どうにも気まずい雰囲気を感じずにはいられない服部だったが、頼人や花凛のように扱いやすい子供ではないため、二人を和ませる方法に苦戦していた。これから敵城に向かうのだから、和気あいあいとドライブを楽しむというのはおかしい話かもしれないが、着いてもいないのに緊張した状態を保ち告げるのは苦痛以外の何者でもなかった。
彼らにどんな話題を振るべきか、ハンドルを疎かにしながら考えていたが、そんな悩みを知ってか知らずか、杏樹が不意に口を開いた。
「便利なものですわね、鍵穴というものは。先程もわたくしの意図を汲みとっていたようですし。良ければわたくしにやり方を教えていただけませんか?」
戸張は窓に向けていた顔を杏樹の方に移して答えた。
「僕の力は見ようと思わなければ見えないし、見せまいとされれば見づらいんだ。だから、さっきのも御門さんが僕に何かを抱いているということまでしか分からなかった。でも、そういうことだったんだ。言っとくけど、パーソナルは真似して出来るようなもんじゃない。才能では個性という壁を乗り越えられないから」
「わたくしはそうは思いませんわ。才能は全てを凌駕する。それが個性だろうと、工夫と閃き、そして応用力でもって再現は可能。たとえば、このように……」
杏樹は大袈裟に手のひらをかざすと、そこから淡い光が漏れてきた。そして、その光は徐々に強く、大きくなっていき、短刀のような形に変化した。
「どうです? 長永くんのものとは若干劣りますが、見事に再現できているでしょう?」
戸張はその光の短刀を凝視しながら、こう言った。
「いや、これは形だけの模造品だ。とても彼の力には及ばない」
杏樹はぴくりと眉を動かした。そして、口元に不敵な笑みを浮かべながら、短刀を戸張の胸に突き立てた。
「……ほら、やっぱり模造品」
けろりとした表情の戸張に、杏樹は面白くなく感じた。だが、負けを認めるのは嫌だったので、意味が無いとは分かってても出来るだけ平静を保って会話を続けた。
「簡単に見破ってしまうのですね。まあ、いいでしょう。その通り、これはまだ中身が詰まっていませんの。長永くんのパーソナルがどんな効果を持っているのか、それがまだ分かっていないものですから、これ以上の再現には至っていないんですの」
戸張の胸に刺さった短刀は泡のように消えていった。杏樹はもう片方の手に握っていた源石を披露した。
「火の理を良い塩梅で使ってみたら、あのように発光する物体が発現できましたの」
「へえ、そりゃ僕も想像してなかった。擬似的に光の理を作っていたのか。上位属性を下位属性の理を使って発現する……面白いことを考えつく人だ」
杏樹は戸張の想像を超えたことにとても満足した。車の中で高笑いを響かせ、嬉しそうに言った。
「やはり、わたくしには常人を遥かに上回る才能があるようですわ。どうです? 戸張くんが思い描いていた理の世界に、わたくしのような真の天才がいまして? ええ、そうでしょう。いるわけがありませんわね。貴方はいずれ知ることになりますわ。全ての常識を覆し、神に等しき御業を編み出す天才が、この世界に革命をもたらすということを!」
「そ、そう……」
戸張は自惚れの激しい天才を、憐れむような目で見ながら声を絞り出して反応した。車内は一気に騒がしくなった。服部は二人に気取られないように小さな声で呟いてから、運転に集中した。
「こりゃ想像を越えてますよ」




