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ブルーフレア  作者: 氷見山流々
新たな扉と出会いの日々

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知るべき力

 頼人の目覚めは痛烈なものとなった。

 無防備な頬に衝撃を受けた頼人は、眠気よりも痛みが勝って跳ね起きた。

 頬を抑えて辺りを見回すと、床に式神が落ちているのを発見した。式神は薄っぺらい体を容易く立てて、頼人に向かって飛んできた。

「うわ! なんだよ、動いてるぞ!」

 頼人は思わず声を出した。式神はその外見から想像出来ないほどの力で頼人の服を引っ張った。

「ああ、そうか。訓練に行かなきゃいけないんだったな。ちょっと待っててくれ、支度するからさ」

 昨日の事が夢ではなかった、と今更に自覚するほどの愚かさは持っていなかった。

 速やかに着替えを終えると、式神が待てないとばかりに頭の上に乗って、叩いてきた。

「分かってるって! 忙しない奴だな。今から行くから、叩くの止めろよ」

 行動でしか意志を表せない式神にうんざりしながらも、自宅を後にした。

 現在時刻を把握していなかったが、肌に伝わる冷たい空気と地平から完全に出てきたばかりの太陽を見て、早朝であることが分かった。

 頭に乗っていた式神は肩に飛び移り、行き先を示すかのように腕を前に突き出した。

「お前の指す方へ行けばいいのか。昨日の話じゃあ此処からだと距離はありそうだし、自転車で行くか」

 自転車に乗ると今度はハンドルの上に式神が降り立った。そして堂々と仁王立ちしながら進行方向を指し示した。

「まるでカーナビだな。それじゃあ、落とされないようにしてろよな」

 自転車を軽快に漕ぎ出すも、式神は動じることなく立っていた。腕先や頭は風に吹かれて靡いていたが、影響はその程度だった。

 式神に目を奪われすぎないよう、注意しながら自転車を走らせる。早起きを滅多にしない頼人は、新鮮な光を浴びて安らぎを覚えた。

 式神の示す方向に逆らうことなく進むと、田畑が点在する時代遅れの地区に入っていった。式神の指す方へ目を向けると、不自然にその場所だけ木々が密集していた。

「あそこが水ノ森神社なのか?」

 式神は頼人の言葉に反応して、頭を上下に振った。それを見届けた頼人はスピードを上げて、神社に向かっていった。

 神社の前に到着すると、遠くからでは見えなかったボロボロの鳥居が出迎えた。そしてその奥にはこぢんまりとした本殿がひっそりと佇んでいた。

「こんだけオンボロで閑散とした場所にあるんだから名前を聞いたことないわけだ」

 陰気な印象を受けて、やる気が下がった頼人は鳥居を潜るのが憚られた。

「あ、頼人だ。あんたの方が先に着いてたのね」

 一歩を踏み出せずにいる頼人の背後から快活な声が響いた。

「おお、花凛。良いタイミングで来てくれた……って、お前歩いて来たのか?」

「走ってきたの。早朝ランニングで体を目覚めさせなきゃってね」

 花凛は学校指定のジャージを着ていた。そしてトレードマークでもあるカチューシャも忘れずに着けていた。

「こんな朝早いのに、頭のそれは忘れないんだな」

「これはあたしのアイデンティティだからね。まあ、選ぶのに時間掛かって、出るの遅れたんだけど」

 花凛は自慢げに純白のカチューシャを見せつけた。頼人はそのファッションに感想を抱くこともなかったので、言葉を返せなかった。

「それで、何で良いタイミングなのよ? 面倒なことでもあるの?」

 頼人が無反応なのはおおよそ分かっていたので、話を本線へ戻した。

「面倒ってほどでもないんだけど、神社の雰囲気がなんか嫌でさ、入りづらかったんだよ。だから花凛が一緒なら大丈夫かなあって」

「何よそれ、1人じゃ怖いってこと? 男のくせに情けないわね」

 花凛は呆れたとばかりに大きな溜息を吐いた。

「別に怖くはないぞ! ただ気持ちが前向きにならないってだけだから」

「はいはい、分かったから一緒に行きましょうねえ。なんなら手でも握る?」

「お前……怖くないって言ってるだろ……」

 頼人を揶揄って満足した花凛は、意地悪く笑って鳥居を潜っていく。頼人も花凛に遅れず、後ろについていった。

 境内の中に入ると取り囲まれた木々が日を遮り、陰気な印象はより明白になった。外側から見えなかった社務所の前には、はな婆が頼人たちの到着を待っていた。

「待っておったよ、頼人に花凛。式神もご苦労様だね」

 はな婆が手を叩くと、頼人と花凛の肩に乗っていた式神は力をなくしたかのように地面に落ちていった。はな婆はそれを回収し、袖の中にしまいこんだ。

「その式神っていうのは一体何なんだ?」

「理の力、いわゆる理力で紙を操っておったんじゃ」

「理はそうやって使うんだね。あたしたちにも出来るの?」

「これは簡単には出来んよ。努力と才能がなければな。さて……」

 はな婆は社務所の横に置いてあるバケツを2人の元へ持ってきた。バケツの中には手に収まるほどの大きさをした石が大量に入っていた。

「これからおぬしらはこの石を使って理を扱う訓練をしてもらう。とりあえず適当に1個、持ってみなさい」

 2人は言われたとおり、バケツの中から石を1個取ろうとした。石は大きさや形に違いはなかったが、よく見ると赤や青などの色が微かに付いているようだった。

 適当に、と言われていたので頼人は手近にあった赤い石を選んだ。花凛は頼人が赤い石を取ったのを見てから、青い石を手早く取った。

「ふむ、では理について説明しながら訓練をしていくとするかの」

 はな婆は2人の顔を見て、一呼吸置いてから話を続けた。

「昨日は分かりやすく理を星の力と言ったがね、理とは万物に宿る因子なんじゃ」

「因子?」

「人間の体に含まれている水分とかのことじゃないか?」

「まあ、そんなふうに思っておいてくれれば良い。理は火、水、風、土、心と5つの属性に分類され、量に多少の差はあれど全てのものに含まれておる。理を扱うというのはこの属性を引き出して、超常的な力を発揮することを言うのじゃ」

 はな婆の話をいまいち理解出来ない花凛は難しい顔をしていた。はな婆はそれを察して手水舎の方へ歩いていった。

「例えば、ここには水があるじゃろ。この水は正に水の理を多分に含んでおる。そしてこの理を引き出してやれば……」

 はな婆は左手を水に沈め、右手は手のひらを上に向けた。すると手のひらから噴水のように勢いよく水が出てきた。

「このように水の力を使うことができるわけじゃな」

「おー! まるで手品だね」

「これはまやかしではないぞ。その証拠に……ほれ」

 溢れ出る水がはな婆の手の上で球状に変化したと思うと、水の球は手の上を離れて、花凛の頭の上で衛星の様に周っていた。

「うわ! ちょっと怖いって!」

「ほっほっ、どうじゃ? これはまだ理のほんの一部の力でしかないがな」

「へえ、水の理は水を使える……そのまんまってかんじだけど。それじゃあ他の属性も言葉通りなのかな」

「そう解釈してもらって良い。本当はもっと細かいものもあるが、それは基礎が出来てからにする」

 水の球は軌道から外れてバケツに突っ込んでいった。そして形が崩れることなく、石を1個内部に取り込んではな婆の元へ戻っていくと、水は小さく弾けて手の上に石だけが残った。

「理を引き出すには、水のように理を多く含んでおるもので無ければ不可能じゃ。そのように我々が理を使うのに適したものを理源と呼ぶ。そして、この石は源石と言ってな、扱うのに充分な理を1種類含んでおる。石の色によってどの属性が含まれているか分かるわけじゃ。赤は火、青は水、緑は風、茶色は土といった具合じゃな」

 2人は手に持っている石を確認した。

「俺は火の石を持っていて、花凛は水の石を持ってるのか」

「最初の訓練はその源石から理を引き出すことじゃ。理を扱うことにおいて、これが出来なければ始まらん。今日中に手に持っておる石の属性を引き出してもらうぞ」

「今日中って、今日はこれだけなの? 別に難しくなさそうなんだけど」

 はな婆の眼光が花凛に目掛けて放たれた。

「ほう、甘く見ておるな。直ぐにその考えを改めることになるじゃろう」

「あたし勉強以外なら結構出来ちゃう性質だから、はな婆の方こそ甘く見ないでよね」

「何の張り合いしてんだよ。それで、源石からどうやって理を引き出すんだ?」

 はな婆の鋭い目つきは緩和され、持っている石に注目した。

「まずは手のひらに神経を集中させることから始まる。そして源石の持つ理を感じるのじゃ。さすれば理は自然と体内に流れ込んでいくじゃろう。後はその理を反対の手に集中させて、息を吐く様に出してやれば良い」

「精神論じみてるなあ。聞いてる分には難しくなさそうだ」

「判断するのはやってみてからじゃ。それじゃあ始めるが、その前に何か質問はあるかの?」

 花凛が有り余る元気を込めて挙手した。

「なんじゃね、花凛」

「源石の説明の時に4種類の属性しか言ってなかったけど、あと1つ、心ってのはどうなってるの?」

「心は源石に含むことは出来ないのじゃ。むしろ、その必要もないと言っても良いんじゃが。心とは言葉そのままの意味、人が持つ魂のことじゃ。それ故、心の理を引き出すには他の属性とは勝手が違うんじゃ」

「自分の中にあるんだったら、一番簡単そうじゃない」

「逆じゃよ。己の中にあるからこそ、どの様にして引き出すのか分からないんじゃ。だから先に外部から引き出す方法を学ぶんじゃ」

 花凛は、はな婆の説明を聞いてぼんやりとは理解出来ていた。しかし内容が未知の領域に踏み入っているので、完璧には納得しなかった。

「ふーん、なんとなく分かった。あともう1つ質問。昨日、頼人が使ってた力は何なの?」

 頼人も気になっていたことを花凛が聞いた。はな婆は腕を組み、目を細めて話し始めた。

「わしが直接見たわけではないから確証が持てないが、おそらく光の属性の力を使ったんじゃろう」

「光? まだ属性があるのか」

「今まで述べた属性は基本の属性なんじゃ。今話すとこんがらがるじゃろうから詳しくは説明せんが、属性が混ざり合うことで別の属性が生まれるんじゃよ。その中の1つに光という属性あるんじゃ。何故頼人がそれを使えたのかは分からんがな」

 頼人は光を発した手を見つめた。異形の力を発揮した名残りはなく、変わった様子もない普通の手だった。

「まあ今は気にするでない。もっと訓練を積んでから、その正体を明らかにするぞえ。質問もないようなら始めるぞ」

 手を凝視する頼人を花凛が肘で小突いた。慌てて顔を上げると、はな婆の視線に気付いた。何とはなしに「はい」と返事をして、見ていた手とは反対の手に握られている石を顔の前に持っていき、訓練を開始した。

 訓練は2人が想像していたものより、遥かに難航していた。一向に感覚が掴めず、石と睨み合いをするだけで時間が過ぎていった。太陽は頂点に達し、優しく暖かな風が境内を吹き抜けていく。ざわめく木々たちに見守られながら、2人は感覚を掴もうと躍起になっていた。

「どうじゃね。そろそろ出来るようになったかね?」

 社務所に引っ込んでいたはな婆が意地の悪い顔をして出てきた。2人が返事をすることなく、石と格闘している様子を見て、はな婆は予想通りだったのか、悲観することはなかった。

「昼時じゃから腹も空いたじゃろう。飯が出来とるから、訓練は中断して中に入りなさい」

 飯という言葉を聞いて2人は石から目を離した。早朝から昼になるまで何も口にしていなかったので、2人の食への欲求は素直だった。

「ご飯! 食べる! やったー!」

「おお、朝何も食ってなかったから限界だったんだ」

 はな婆に誘われ、社務所に入っていく。自宅も兼ねているのか、中は一般的な家と変わりはなかった。しかし、異彩を放つ存在がそこかしこにいた。式神だ。

 2人を導いてくれた式神と同じ大きさのものが玄関で待ち受けていたり、食事の席では子供くらいの大きさの式神が料理を運んできてくれたり、社務所内の至る所で雑用をしていた。

「この式神ってのも理の力で動いてるの?」

 花凛は忙しなく箸で食べ物を口に放りこむ合間に、早口で話した。

「此奴らは言という属性の理によって動いてるんじゃよ」

「また新しい属性が出てきた。それも使えるようにならなきゃと思うと、気が滅入るな」

 頼人の箸が止まり、溜息と共に項垂れた。

「いや、これは使えなくても問題ない。基本の属性は理を扱う者なら誰しもが使えるのじゃが、光や言などの上級の属性を扱うのは個人の才能に大きく左右されるんじゃ。じゃから要らぬ心配をする必要はない」

「あー良かった。これ以上大変なこと増えてほしくないよ」

 箸を持つ手に力が戻り、再び食事を続けた。

「ただ、訓練を通して見込みがあると判断したら、やってもらうことになるかものう」

 はな婆が頼人に微笑むと、頼人は引きつった笑いで返した。

 横で黙々と食べていた花凛が何か気になったのか箸を止めて口を開いた。

「ちょっと疑問に思ったんだけど、理を普通に使える人ってはな婆以外にもいるの? 今の話だと割といるっぽいかんじがするんだけど」

 花凛に感心したはな婆は、何度も小さく頷き、疑問に答えた。

「わしが知っとる限りだと、理を使える者は片手で数え切れる程度しかおらん。その中の1人が理に古くから縁がある者でな。わしの知識はその人に依るものが多いんじゃ」

「ふーん。じゃあ昔から理って認識されてたんだ。裏の歴史みたいでなんか面白いね」

「確かに、理の存在は表舞台に上がることはなかった。じゃが昨日の悪意の爆発で徐々に理も浸透していくじゃろう。理が悪用される前に、何とか食い止めねば」

 はな婆の真剣な表情に頼人と花凛はただならぬものを感じた。しかし、未だに自分たちの踏み込んだ世界を掴みきれなかった。

 昼食を取り終えて、社務所の傍で訓練を再開した。麗らかな陽気と満たされた腹、そして一向に進展しない訓練が頼人を睡魔の元へ誘う。

 頼人は赤色の石をぼんやりと見つめていた。もはや感覚を研ぎ澄ましたり、集中したりすることはできず、微かな視覚情報と手に伝わる触覚を認識するだけになっていた。そして視界も閉ざされ、手に残る重みが感じとれるのみとなった時、頼人の手が突然高熱を帯びた。

「うおっ! あっつ!」

 思わず源石を離した。地面に落ちた源石は以前より赤みが増しているようだった。花凛は頼人の声に反応して近づいてきた。

「どうしたの? まさか出来た?」

「分からないけど、急に手が熱くなった。ふー、あっつい」

 手に息を吹きかけて熱を冷まそうといていると、はな婆が水の入った柄杓を持ってきた。すかさず手を差し伸べて、水を掛けてもらった。

「最初の門は開いたようじゃな。後は受け入れることが出来れば、火の力を使えるようになるじゃろう」

「受け入れるって、あんな熱いのをどうやって我慢すればいいんだ。火傷するぞ」

「熱いと思うのは受け入れる姿勢を作ってないということじゃよ。火を恐れてはいかん」

 はな婆のアドバイスに疑心暗鬼になっていた。心持ちで熱をどうにか出来るわけがないと思っていた。それでもはな婆はそれ以上のことは言わなかったので、従うしかなかった。

 頼人が孤独に闘っているのを横目に、進展がない花凛ははな婆による指導を受けていた。始める前はやる気と自信に満ち溢れていたが、頼人に先を越されて焦りが出ていた。

「うぐぅ……んう! はあ、ダメだ。何ともならない」

「うーむ、どうしたもんかね」

 はな婆も花凛が全く出来ないことに困り果てた。少し考えこみ、天を仰ぐと、策が思いついたのか声が漏れた。

「そうさね、そうするか。ちょっと待っておれ」

 はな婆はバタバタと走って社務所の玄関先に向かい、源石の入ったバケツから3つの石を持って戻ってきた。

「水の源石は後にして、他の属性からやろう。ほれ、この中から直感で選んでみい」

 花凛は考える間もなく、差し出された3色の石から1つを適当に取った。

「この土の塊みたいな石でいいや。これは土の源石でしょ?」

「察しの通りじゃ。属性は違えどやり方は同じ、さあやってみるがええ」

 手に握られた茶色の石をじっと見つめた。教えてもらった通り、指先に意識を集中させ、源石の中にある理を感じ取ろうとする。

「ふぬっ! ん? んんん? 痛い……痛い!」

 花凛の精一杯の集中は途切れた。しかし成果は出ていた。頼人と同様に、異変を感じることが出来たのだ。

「よーしよし、どうやら土は相性が良いみたいじゃのう。後は頼人と同じく、受け入れることじゃな」

「ふう、やっと前に進めたかあ。それにしても何で痛くなるのよ。火は熱くなるって道理は分かるけど、土ならもっと別のあったんじゃないの?」

「理に文句を言っても仕方なかろう。それに土は他の属性とは違って、生命の力も含んでいるんじゃ。その痛みも生命に依るものなのじゃよ」

「生命ねえ。随分ざっくりとした力じゃない。でも、良い響きね」

 花凛はやる気を滾らせて源石を握りしめた。次を乗り越えれば、理の力を使えるようになると思うと、訓練も苦痛ではなかった。集中する姿勢を整えて、源石との対話に挑んだ。

 また時間は経っていった。はな婆は境内の掃除を始め、頼人と花凛は手応えを掴めぬまま、座り込んで源石との睨めっこを続けていた。時折、熱いだの痛いだのが聞こえるだけで、木々のざわめきが静けさを物語っていた。

「ねえねえ、どうよ? いけそう?」

 花凛は休憩がてらに頼人の横に来て、会話を試みた。

「いけそうでない。手が熱くなるだけ。辛い」

 頼人は苦痛を伴う訓練に嫌気が差してきた。

「あらら、すっかり弱腰になっちゃって。昨日のカッコいい頼人クンは何処に行っちゃったのかな」

 花凛が煽っても、頼人には効き目がなかった。反応を得られなかった花凛は小さく溜息を吐いて、地面に落書きをし始めた。

「昨日はあんなに凄いの使えたんだから、おんなじ感じで出来ないの?」

「昨日と同じ感じかあ。あれは勝手に力が湧いてきたって感じだったからなあ」

「じゃあその力が湧いてくるって感じでやればいいんじゃない」

「うーん、なんか受け入れるってのとかけ離れてる気がするけど」

 乗り気ではなかったが、花凛に絆されてしぶしぶ試してみた。熱が伝わりだし、源石を持っているのも辛かったが、それを堪えて体の中に湧き上がるものに集中した。力の出処だった体の中心に意識を置き、何か変化がないか探る。すると、手の熱さほどではないが、仄かな温もりが燻っているのを感じ取った。その温もりはもどかしそうに揺らいでいて、広がることが出来ないようだった。

 頼人は温もりが体中に伝わるように意識を送ると、そこから細い筋が源石を持つ左手に伸びていった。そして、指先にまでそれが伝わると、高熱は治まり、源石から暖かいものが入ってきた。

「おおっ、あの時と同じだ。力が湧いてくる。出来た! 出来たぞ、花凛!」

「えっ、本当に? じゃあほら、火を出してよ」

 頼人は右手に意識を持っていくと、源石から出た理は即座にそれに従った。そして手のひらから火の玉が忽ちに現れた。

「すっごい! 火が出た! ねえねえ熱くないの? 動かせないの? 大きくできない?」

「そんな質問攻めすんなって、集中が切れるだろ……あっ……」

 火は見る見る小さくなっていき、最後は風に吹かれて消えてしまった。体の中にあった理もいつの間にかなくなっていた。

「あーあー消えちゃった。でも出来たじゃない! あたしの言ったとおりで合ってたのね」

「悔しいがそういうことだったな。しかし、ずっと意識してなきゃいけないのは難しいな」

 2人は成功を喜びあっていると、声を聞きつけてはな婆がやってきた。

「その様子だと遂に出来たようじゃな。ほれ、見せてみい」

「なんだよ、肝心な時に見てないなんて。まあ、もうやり方は分かったからな。いくぞ」

 先程と同じ要領で理を引き出そうとした。驕らずに丁寧に段階を踏んでやっていくと、再び右手に理が集まるのを感じた。

「そりゃ!」

 掛け声と共に火が出た。しかし、期待していたものより遥かに小さく弱々しい火だった。そしてその火は猛ることなく静かに消えていった。

「あれ? 絶対上手くいくと思ったんだけど」

「理力が切れたようじゃな。最初で使いすぎだわい」

「理力? また新しい言葉ね」

「そういえば、説明してなかったのう。理を扱う力のことを理力と言うんじゃ。これは理を使えば消耗していくんじゃよ。そして底を突いてしまえば当然、理を使うことが出来なくなるんじゃ」

 頼人ははな婆の話を聞きながら何度も理を引き出そうとしていたが、もはや火が出ることもなかった。

「体力みたいなもんって考えればいいのかな?」

「そうじゃな。じゃから理力が尽きたら休んで回復するのを待つんじゃ」

「なるほどな。ということは鍛えれば鍛えるほど理力も上がっていくと。訓練するにも一苦労だな」

「なあに、次に理力が回復する頃には訓練も倍はこなせるようになるじゃろう。今は休んで花凛の助言役になってやるといい」

 頼人は休憩を言い渡されて、歓喜の声を心の中であげた。

「よし、じゃああたしも頑張るから、頼人先生、頼っちゃうかんね」

「俺は厳しいぞ、覚悟するんだな」

 こうして頼人による花凛への授業が開始した。

 頼人は自分の中であったことをなるべく丁寧に伝えた。花凛もそれを理解したのだが、全く出来ない。今度はもっと分かりやすく、擬音を使ったり体で表現してみたりした。花凛はイメージしやすくなった分、望みを持って挑めたが、それでも反応はなかった。頼人の理力が戻ってくると、訓練がてらに手本を見せた。1つ1つの段取りを覚えた花凛は頼人と同じようにやってみたが、やはりうんともすんとも言わないのだった。

 そんなことを繰り返しているうちに、日が陰ってきた。休日の殆どが訓練に費やされていた。

「今日はもうお終いにしようかね。疲れておろう」

「結局、花凛は進まなかったな」

「頼人に追いつけなかったのは悔しいけど、明日には追いつくどころか追い越してやる」

 花凛は目をギラつかせて息巻いていた。

「明日には、ねえ。はな婆、明日も訓練するの?」

「一通り出来るまで、毎日やるつもりじゃ。じゃが、平日は学校もあるじゃろうし、あまり時間は取れないがな」

「やっぱりかあ。なんか部活に入った気分だよ」

 遊ぶ時間が減って、頼人は落ち込んだ。これから先を考えると、もうそんな時間は来ないのだろうとさえ思った。

「まあいいじゃん。こんな面白くて不思議な体験、普通だったら出来ないもん。少しは楽しもう?」

「訓練が終われば、毎日来る必要もなくなるんじゃ。それまで頑張ってみい」

「分かった。さっさと終わらせられるよう、努力する」

 頼人は諦めが混じった返事をした。

 こうして訓練初日は無事に終了した。頼人も花凛も進行速度に差はあれど、まだ理の入り口に足を踏み入れた程度でしかなかった。

 これからの訓練で2人はどのように成長していくのだろうか。そして悪意の影響はいつ現れるのだろうか。


 平和な平日が戻ってきたように思えた。学校に来て、頼人が最も恐れたのは、悪意に侵された生徒が現れることだった。しかしそんな心配をするまでもなく、生徒も教員も当たり前の日常を繰り広げていた。そして何事もなく、昼休みになった。

「また焼きそばパンなの? というかそれだけで足りる?」

「俺は花凛とは違って燃費が良いからな。これくらいで充分だ」

 いつものようにとりとめもない会話を花凛としながら昼食を取っていた。

「でも焼きそばパンだけってのはねえ。しかも飽きもせずに毎日それだし。まさか1年の時から焼きそばパン漬けなの?」

「そうだけど、問題あるか?」

 何がおかしいのかと言わんばかりに頼人は返答した。

「マジなのかあ。購買のおばちゃんに覚えられてそうね」

「俺もそう思ってこの前、いつものください、って言ったんだけど、通じなかったよ」

「まあ、頼人って目立たないし、特徴もないもんね」

「目立たないのは別にいいけど、特徴ないってのは傷付くぞ」

「でも実際ないし。あたしみたいに髪染めるとかカチューシャ着けるとか一発で分かるのがあればねえ」

 花凛は頭のカチューシャを指で突ついて示した。今日は水玉模様のカチューシャだ。

「染めるのは目立つだろ。それに面倒だ。でもカチューシャみたいに小物でアイデンティティ出すのはいいかもな」

「うーん、そしたら……アクセサリーを着けるのがいいんじゃない?」

「アクセサリーかあ。それならさりげなく自分を出せる気がする」

 頼人が乗り気になったのを見て、花凛は意味深な笑みを浮かべた。

「なんならあたしが見繕ってあげようか?」

「本当か! 是非頼むよ。これで俺も購買で馴染みの客になれるぞ」

 単純なまでに頼人は喜んだ。花凛も未だに笑みを崩すことなく、弁当に箸を伸ばしていた。

 その後もなんの代わり映えのない、ありきたりな日常が過ぎていった。放課後になり、花凛が頼人を急かして神社へ自転車を走らせる。学校からでもそれほど遠くないため、日が落ちるまでの訓練の時間は充分に取れると思われた。

 塗装の剥がれた鳥居を潜ると、社務所の前ではな婆が待ち構えていた。

「ご苦労さん。思っていたより早かったのう」

「結構近いとこに学校あるからね。さあ、とっとと始めようよ。今日こそマスターするからさ」

 花凛は制服の袖を捲り上げて、やる気を滾らせていた。

「ホッホッホッ、元気なのは良いことじゃ。バケツは軒下に置いてあるから昨日と同じ色の石を取りなさい。ああ、荷物は社務所の中に置いて良いぞ」

「はーい、了解」

 花凛は小走りで社務所へ行った。

「なあ、はな婆。ちょっと聞きたいことあるんだけど、いい?」

 花凛を目で追っていたはな婆は頼人の方へと顔を向けた。

「なんじゃね? 理のことならわしも答えられるぞ」

「まあ遠からず近からずな質問だよ。俺たち呑気に訓練やってるけど、悪意は待ってくれないだろ? 大丈夫なのかなって」

「そのことか。付近の町にわしの監視用の式神を放っておる。もし悪意に飲まれた人間を見つけたら、わしがすぐさま駆けつけてなんとかするわい」

「はな婆1人でなんとか出来るか?」

「舐めてもらっちゃあ困るのう。ウン10年は理と共に生きてきたんじゃ。2、3人相手でも楽勝じゃ」

 はな婆は胸を張って誇示した。

「しかし、あまりにも色々な場所で悪意が現れたら、わしの身1つでは事を防げぬかもしれぬ。悪意の潜伏期間は個人差はあれど、まだある。一斉に芽生え出した時におぬしらに手伝ってもらおうと考えておる」

「なるほど、じゃあ今は訓練に集中しろってことか」

「左様。余計な心配はしなくて良いから、ちゃんと使いこなせるように頑張るんじゃ」

 はな婆は頼人の背中を軽く叩き、訓練に臨ませた。頼人もそれに促されるままに社務所へ歩いていく。

 花凛は既に土の源石を持ち、難しい顔をしていた。それを見る限り、引き出せるようになるには時間がかかりそうだと頼人は思った。何をするにしても花凛に先を行かれる頼人にとって、今の状態は新鮮だった。

 火の源石をバケツから取り出し、準備を整える。昨日の要領を思い出して、脳内で何度も成功のイメージを浮かばせた。今日こそは出来る、と根拠はないが確信した。

 頼人は一心になって源石と向き合う。頼人の想いに理が答え、体に流れてくる。理の温もりが体に満ちた時、頼人はただ一点に理を集中させた。体の中で馴染んだ理が手のひらを通して形を現した。昨日よりも安定した状態で炎は揺らめいていた。

 頼人は慌てることなく、炎に神経を向けた。ただ燃え盛る炎として感じるのではなく、自分の体の一部であるかのように、炎に宿る感覚を探った。

 今まで味わったことのない感覚が頼人に伝わった。それは自分と理が完全に繋がった証拠だった。

 炎は形を保ったまま宙に浮いていった。そして頼人が指示するまでもなく、意思を汲み取っているのように円を描いた。

「おお、すごいじゃん! もう出来るようになるなんて」

 頼人の様子をしばらく見ていた花凛が歓声を上げた。頼人は最早、苦にすることなく炎を縦横無尽に遊ばせていた。

「おうおう、思った通りに動いてくれるな。なるほど、こういうことだったのか」

「上手く扱えておるな。これで火の理はおぬしの力となったと言えよう」

 激しく動く炎は次第に萎んでいき、宙で消えていった。

「あとは理力を鍛えていけば、強力なものになるじゃろう。精進じゃな」

「はーい。しかしこれはなかなか面白いな。もう1回やっていい?」

「そうじゃなあ、その源石が空になるまでなら好きにやってよいぞ」

「空にって、理が無くなるのか?」

「引き出してるのだから無くなるのは当然じゃろ? 源石は理が少なくなるにつれて、色が薄くなっていく。すっからかんになればただの石と変わらん姿になる。それを目安にするんじゃな」

 頼人は持っている源石を見た。元々真っ赤というほど赤くもなかったが、言われてみると薄くなっているように見えた。

「こんなのよく見ないと分からないぞ……まあ、いいや。色々と遊んでみよう」

 頼人の遊びは思いの外、長く続いた。炎を出すのに時間がかかるために、源石の理を消費しきることは出来なかった。しかし、その遊びで頼人は充分にコツを掴んだ。

 日が落ちて境内を暗闇が包み始めた。昨日ほど訓練の時間はなかったが、頼人は1つ目の理を習得できた。一方、花凛は進展が見られず、頼人に差をつけられたことを大いに悔しがった。

「平日は中々、時間が取れんからのう。家でも訓練が出来るように石を1つ渡しておこう。授業中に弄ったりせんようにな」

 そう言ってはな婆は2人が使いかけていた源石を持ち帰らせた。

 翌日、学校では何事もなく過ごし、あっという間に放課後になった。花凛が頼人を急かして、一息つく間も無く神社に着いた。

「花凛は続きから、頼人は新しい理に取り掛かろう」

 頼人ははな婆に青色の石を手渡された。伝わる感覚は火とは異なっていたが、要領は同じだった。ものの数分で理を引き出して、水を操って見せた。

「1つ出来る様になれば、後は一緒なんだな。花凛、意外と道程は険しくないみたいだぞ」

 訓練に集中している花凛の頭に水をかけた。花凛は首だけ頼人の方に向けて恨めしそうな顔をした。

「頼人、あとでグーパンだからね」

「まあまあ、簡単に出来たってことを教えたくてさ。ほら、精神を乱すと出来るもんも出来なくなるぞ」

 頼人の言い分はあながち間違いではないため、花凛は何も言い返せなかった。滴り落ちる水に構わず、自分の訓練に戻った。

 頼人ははな婆にもう一度、水の理を操るところを見せた。そして、早くも3つ目の源石を渡された。

「緑色か、まあ消去法で風の理ってのは分かるな」

「風は火や水とは違って目に見えて現れない。しかも、実戦で使える程になるのも一苦労じゃ。心してかかるがよい」

 そんな説明を聞き流しながら、頼人ははな婆の目の前で集中に入っていた。

 今までの2つの理とは違う部分があった。何故か理に力を感じなかった。しかし、引き出すことは出来たので、そのまま理を発現させた。

 手から息を吹いたかのような空気の塊が放たれると、はな婆にぶつかるなり消えてしまった。

「こういうことじゃ。難しいじゃろ?」

「難しいというか、この理ってなんか余所余所しいんだよ。俺に仕方なく力を貸してるみたいだ」

「ほう、そこまで感じ取れるのか。まあ、苦手なものを克服する気持ちで接してやりなさい」

 はな婆は遅れている花凛を見にいった。

「克服ねえ。トマトですら未だに食べられないんだけどなあ」

 ぶつくさ言いながら源石を強く握りしめて、風の訓練に入った。

 日が暮れ始め、今日の訓練も終わりが近づいていた。葉が風にそよぐ音に紛れて、靴の踏みしめる音が聞こえてきた。

「おや? はなさん、後継者の育成ですか? それも2人もいるとは」

 頼人と花凛は声のする方向へ顔を向けた。やつれた無精髭の男が珍しそうに2人に視線を送っていた。

「この神社を継がせる気はないわい。この子らは根で目覚めた子らじゃよ」

「ほう、そうだったのか。ふーん、神に拾われた子羊と言ったところか」

 2人に近づいてジロジロと見た。花凛は明らかに嫌そうな顔をしていた。

「そんなことより、用があってきたんじゃろ。はよ、言わんか」

「いやはや、失敬。土曜日の件、何とか誤魔化せましたよ。あの男も記憶が曖昧なようでしたし、まだバレずに済みそうです」

「そうかい。今後もその手の事件は増えるかもしれん。何か情報があったら伝えてくれんか」

「勿論ですよ。理絡みは、はなさんだけが頼りですから。それでは、まだ仕事が残っているので。お2人も頑張れよ」

 そう言うと男は颯爽と帰っていった。

「あのおっさん、何者なの?」

「刑事じゃよ。名前は服部と言う。表沙汰に出来ないものをあやつが処理してくれてるんじゃ」

「理とか悪意って秘密のものなんだな」

「強力な力じゃから、それを利用しようとする輩が出てくるかもしれんからのう。たとえ警察の中であっても知られてはならんのじゃ」

「じゃあ服部さんも理使えるの?」

 頼人が疑問を投げかけると、はな婆は大口を開いて笑った。

「あやつは理の才能は全くないわい。ただ、わしに縁があったというだけじゃよ」

 それ以上は何も言わなかった。事情はどうあれ、頼人たちの協力者であることは確かだった。頼人は服部という名前を忘れないよう、頭の中で復唱した。

 今日の訓練の時間は終わった。頼人の順調な進み具合とは反対に、花凛は成果が皆無だった。「ポンポン出来る頼人がおかしいだけ」と、はな婆は花凛を慰めるが、納得がいっていないようだった。

 しかし、花凛の心は全く折れてなく、頼人より早く一人前になるために内なる闘志を燃やしていた。

 一方、頼人は花凛に差をつけたことで心にゆとりが出来ていた。それと同時に、訓練を休みたいという気持ちが生まれてきた。

 花凛と歩幅を合わせなければ次の訓練もやりづらくなるだろうと勝手に思い込み、サボる口実を作った。

 そして翌日の昼休み。いつものように花凛と昼食をとる。

「なあ、今日の訓練だけど、俺行けなくなった」

「ふーん、サボるつもり?」

 花凛にはお見通しだった。頼人は簡単に看破されてしまい、取り繕う言葉が出なかった。

「まあ、いいんじゃない? 頼人が長続きするとは最初から思ってなかったし。少しは休み入れたほうが頼人のためになるかもね」

 特に咎めることもしなかった。長い付き合いなだけに頼人の特性は分かっていたのだ。

「じゃあ、はな婆には体調悪いから帰ったって言っておいてくれないか」

「はいはい。頼人クンがサボってる間に、あたしはちゃちゃっと追いついちゃうかんね」

 花凛はニヤリと笑った。それに釣られて頼人もほんの少し口角が上がった。

 放課後になった。花凛は挨拶もそこそこにして先に学校を出ていった。頼人はのんびりと帰りの支度をしてから誰にも構うことなく校門を出た。

 頼人はまっすぐ帰るつもりはなかった。自転車を帰宅ルートではなく、大和駅に向けて走らせた。頼人の目的はゲームセンターだった。

 駅前のゲームセンターに着き、中に入っていく。騒がしい音が頼人の耳を刺激する。

 学年が上がってからは1度も来てなかったので、頼人は興奮していた。お目当ての格闘ゲームの筐体へと、通路を塞ぐ人たちを器用に躱しながら足早に向かった。

 今尚、根強い人気を誇る格闘ゲームの筐体には人集りが出来ていた。

「うわ、いっぱいいるなあ。結構待ちそうだ」

 待っている人数に対して、筐体の数は少なすぎだった。他にやりたいゲームもないので、頼人は大人しく待つことにした。

 人混みの中に知り合いでもいないものかと、見回してみた。見覚えのある顔は見つからなかったが、不審な男が目についた。その男は周囲の目を気にしながら、人集りの中を忙しなく行ったり来たりをしていた。誰かを探しているような感じもなく、目を泳がせて何かを探しているようだった。頼人は男の動向を注視した。嫌な予感がした。

 男は歩くのを止めた。人に隠れてよく見えないが、男の手が怪しく動いているのを頼人は見逃さなかった。

 何かをし終えて、男は人集りから去っていく。その手には革の財布が握られていた。

「やっぱり、スリだったか。追いかけたほうがいいな」

 頼人は見失わないように急いで、男の後を追った。

 男はゲームセンターを出て、裏の方へ向かった。更に嫌な予感がした。ゲームセンターの裏は行き止まりだ。あの男は逃げる気はないのだろう。その真意は測りかねるが、頼人に迷っている時間はなかった。足取りを緩めることなく、男の待つ裏手に走った。

 袋小路で男は壁を見つめて立っていた。頼人に気付いていないように思えた。声をかけようとすると、男の方が先に声を出した。

「スったの見られてたとは俺も迂闊だった。でもその後で、見てた奴を見つけられたから良かったもんだ。しかも、追っかけてくるとはなあ」

 男はゆっくりと振り向いた。岩のような顔面と剃り込みの入った頭が、この男の性質を如実に表していた。

「人の物を盗るのは良くないですよ。大事にならない内に返しましょうよ」

 穏便に事を済ませようと、男を刺激しない話し方で対応した。

「ああ、確かにスリは良くないな。立派な犯罪だし、非人道的な行いだ」

「じ、じゃあ今から返しに……」

 頼人の言葉を男は遮る。

「だから、いーんじゃねえか。良くないことが出来るのが良い不良だ。俺は不良として当然のことをしたまでなんだよお」

「え? ちょっと何言ってるんですか?」

 不良の理解不能な物言いに、頼人は思わず言葉が漏れた。

「まだ分かんねえのか。俺は不良だから不良として取るべき行為をしただけって言ってんだよ。そして、今からすることも、不良がなさねばならん義務の1つなんだよ!」

 不良は有無を言わさずに頼人に襲いかかってきた。胸ぐらを掴まれ、袋小路の方へ容易く投げられた。

 持っていた鞄は手から離れて、不良の足元に落ちた。不良はそれを気にすることなく、頼人を見下した。

「逃がしはしないぜ。不良に逆らえなくまで、ボコの、ボコで、ボコボコだ」

 痛みを堪えて、頼人は立ち上がった。こうも軽々と投げられるとは思っていなかった。不良の体型を見ても、それが可能と思えるほど逞しいものではなかった。何度も感じた嫌な予感の正体がいよいよ、判明した。

「こいつ、悪意に飲まれてるのか。ヤバい、はな婆に伝えないと」

 周囲を見回して、式神がいないか確認したが、どこにも見当たらなかった。花凛に連絡するしかなかったが、携帯電話は鞄の中に入っていた。

「あいつの攻撃を避けて、鞄を取って逃げる。そして、花凛に電話してはな婆に来てもらう。ここまでやって、任務完了だ。落ち着いてやるぞ、頼人」

 自分に言い聞かせるように呟いた。不良はゆっくりと近づいてきていた。最初の関門、不良の攻撃を避けるため、身構えた。

「おお? ヤル気かあ? 人に暴力を振るうのは良くないことなんだぜ?」

「どうしようもなければ、力で解決するしかないさ」

「正当化しようってか。気に食わねえ。良い子は大人しく、ボコられてろよ!」

 右腕を大きく振りかぶって、殴ろうとしてきた。頼人は不良に飛びかかると見せかけて、脇を通り抜けた。

 鞄に手が掛かり、そのまま逃げようとしたがブレザーの襟を掴まれてしまった。

「ああ、見えてたんだがな、体がまだ追いつかないんだ。まあ捕まえたんだから問題なしとしよう」

 そのまま後ろに引き落とされた。だらしなく倒されたが、鞄だけは離さずにいられた。

「そんなに鞄が大事か? どれ、俺が検査してやろう」

 不良は力に任せて鞄を奪いとった。そして中身を1つずつ出しては大したものがないと、放り捨てていった。

「何だよ、金目の物なんてないじゃねえか。あ? なんだこの石ころは」

 不良は鞄の中から赤みを帯びた石を手にした。源石だ。

「まさか、これが宝石かなんかになったりするのか? まあいい、貰っておこう……っ、あちぃ! 」

 不良は思わず、源石を落とした。何故かは分からないが、理が不良に反応したようだった。その隙を逃さず、頼人は石だけを何とか取り返した。

「何なんだよ、その石はよお。ムカついてきたぜ。やっぱりお前をボコしてやるのが先だ」

「携帯はどこ行ったんだ。くそっ、あいつを倒さなきゃ駄目になったか」

 考えている余地はなかった。目の前に迫り来る不良を返り討ちにするため、理を発動させる。1番慣れていた火の理は、緊急事態でも訓練と変わらずに頼人の力となった。手のひらで激しく燃える火の玉を、不良の顔目掛けて放った。

「うがああああ!」

 絶叫しながら、不良は顔に直撃して燃え広がる炎を振り払おうとした。頼人はこの惨劇を見て、困惑した。自分で攻撃しておいて、この威力は想定外だった。 このままでは不良は死んでしまうのではないかと思い、不良にまとわりつく炎を消してしまった。

 顔が見えると、損傷はおろか、火傷の痕さえなかったが、苦痛の表情を浮かべていた。目の焦点は合わずに、酩酊しているように体が不安定だった。

 まだ意識はあるのか、言葉とも取れない呻き声を発して、よろめきながら迫ってきた。頼人はその様子に驚き、咄嗟に拳が出た。

 見事に顔面に命中し、不良は仰向けに倒れてしまった。微かに声を漏らした後、ピクリとも動かなくなった。

「ヤバかった……間違いなくヤバかった。とにかく、携帯を探さなくては」

 周囲に散乱した物を拾い集めながら、携帯電話を探した。しかし、何処にも見当たらなかった。鞄の中を確かめてみると、底の方に鎮座していた。黒色だったため、不良は見落としていたのだろう。

 急いで花凛に電話をかけた。誰かが来る前に何とかしてもらわなければ大変なことになりそうだった。携帯電話のコール音が途切れ、花凛の声が聴こえた。

「頼人、大丈夫? はな婆が向かってるはずだから、もう少しの辛抱だよ!」

「おいおい、待ってくれ。俺まだ何も言ってないぞ。まさか、式神が見てたのか?」

 周辺を再び注意深く見ながら、通話する。

「そうそう! それではな婆が慌てて出ていったんだけど……あれ? 襲われてるんじゃ……」

「もう倒したよ。はあ、しかし見られてたなんて。何処にも式神いないんだけどなあ」

「そんな簡単に見つかるところに式神がいるわけなかろう」

 背後からはな婆の声がした。振り向くと、鬼のような面持ちをして、頼人を睨んでいた。携帯電話を徐に下ろして通話を切った。

「色々と言いたいことはあるが、まずはこいつの処理からせねばならんからのう。おぬしは神社に行っておれ。ああ、体調が良くないのなら帰っても良いがのう」

「……分かりました。神社で待ってます」

 頼人は怯えつつ、はな婆を横切って、自転車を停めた場所へと歩いていった。サボったことが意味をなさないのならまだしも、余計なストレスを溜めることになりそうだった。

 気乗りはしないが、はな婆より遅く着いたら何を言われるか分からないので、急いで神社に向かった。

 神社に着く頃には、夕日が空を赤く染め上げていた。相変わらず人気のない境内では、花凛が頼人の帰りを待っていた。

「頼人! もう、心配させないでよね」

「やっぱりサボるのは良くないことなんだって、身を持って味わったよ。はあ、この後はな婆からは説教だろうなあ」

 花凛は気落ちしている頼人の肩に手を置いた。

「まあ、仕方ないって。あたしも共犯だからさ、一緒に怒られよ?」

 苦笑する花凛を見て、頼人も少しだけ落ち着いた。こんなことになったのはタイミングが悪かったのだ、と割り切ることにした。

 社務所の軒下で待っていると、意外に早くはな婆は帰ってきた。まだ空には太陽がしぶとく居座っていた。

「さてさて、今回のこと、どんな言い訳をするつもりじゃね?」

 頼人たちの方へ歩きながら、はな婆は言った。

「気晴らしがしたくて、サボりました。ごめんなさい」

「あ、あたしもごめんなさい。頼人にサボるの勧めたようなもんだから……」

 深々と頭を下げる2人を、はな婆はじっと見た。そして少しの沈黙の後、しわがれた声を発した。

「おぬしらの心には反省する気持ちがあるようじゃな。ならわしは強くは責めん。さあ、頭を上げるのじゃ」

 2人はゆっくりと頭を上げた。はな婆の顔に怒りの表情は見えなかった。

「じゃがの、頼人。問題はサボったことにあるんじゃない。おぬしが未熟にもかかわらず、理を使って戦いに臨んだことが問題なんじゃ。相手の力量も知れず、こちらもまだまともな戦闘訓練をしていないのに、戦うのは愚かなことじゃ」

「でも、あいつは財布を盗って逃げようとしたんだ。止めるのは当然だと……」

 思わず口が動いてしまった。頼人はその先を言いとどめた。

「頼人よ、正義を成すには力が必要なんじゃ。今のおぬしには正義を押し通す力はない。今回は相手がまだ完全に悪意に飲まれてなかったから良かったものの、真に飲まれた者と対峙してたら無事では済まなかったのじゃよ」

「それじゃあ、黙って見過ごせって?」

「……何もかも、自分の思う通りに事が進められるのなら、苦労を知らずに安らかに死ねるものじゃ」

 頼人は、はな婆が言ったことが理解できなかった。それでも、その言葉が大事なものの様な気がしていた。

「よく分からないけど、もう無茶はしない。ちゃんと訓練が終わるまで、外で理も使わないよ」

「その方がおぬしのためになる。それじゃあ源石は没収して、と」

 いつの間にか鞄に式神が入り込み、火の源石を取っていった。

「まあ、明日からしっかりと訓練に来れば、日曜日くらいは休みにしても良いかの。どうじゃね?」

 口調に柔らかさが戻っていた。頼人ははな婆の提案を喜んで受けた。

「はい、もう二度とサボりません。これからもご指導、よろしくお願いします」

「ホッホッホッ、堅苦しいのう。じゃが、おぬしには期待しておるからの」

「ちょっとちょっと、あたしには期待してないの?」

「勿論、花凛にもしておるよ。最近の若いもんにしては根性があるからのう」

 花凛ははな婆の言葉で喜びを見せた。

「よっしゃ、やる気が出てきた。さあ、訓練の続きやろう。頼人も、ね!」

「今から訓練するのか? 俺、結構疲れてんだけど」

「何言ってんのよ、まだ、理力残ってるでしょ。ほらほら、石持って」

 花凛は適当にバケツから源石を取って頼人に投げ渡した。それを上手く受け取った頼人は、渋々ながらも訓練をやることにした。

 もう日は落ちかけているというのに、神社はまだ騒がしさを治めることが出来なさそうだ。


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