貫く意志
あの時に抱いていた希望はもう消え失せていた。ただ、今の生活に大きな不満はない。拾ってくれた厳一郎や優しい御門家の人々には1人除いて感謝している。
ただ自分が得られなかっただけだ。杏樹の影武者、その役目に足りえず、遥かに有能な人間が彼女の傍で自分がやるはずだった役割をこなしている。彼の実力は間近で見ていて、彼が杏樹の隣に立つのは当然だと感じていた。
だからこそ、自分の存在意義が此処にないことも分かった。偶に自分のために特殊な仕事を貰えるが、それが存在意義と問われると首を傾げてしまう。それでも息抜きには充分だった。
そんな息抜きの延長で、人助けを求められた。ましてや、過剰な期待と願いを込められてしまった。
海里の純粋な思いはペテローニの感情に揺さぶりを掛けた。いつになくセンチメンタルな気持ちになってしまい、いらないことも思い出す羽目になった。しかし、それで歩みが鈍ることはなく、最短距離、最短時間でインペリアルタワーに着いた。
着くや否や、交戦中の琉華を見つけた。敵の妖怪の攻撃を食らわんとする琉華にペテローニは全速力で助けに向かい、攻撃から守った。
「どうして此処に……」
「助太刀に参りました」
「別に助けなんかいらないんだけど。私1人で全部解決できるんで」
琉華は本心からそう答えた。
「皆様から頼まれましたゆえ、ご容赦を。人命も掛かっております。協力して迅速に上まで参りましょう」
琉華は嫌味っぽく溜め息を吐いた。氷の矢を発現させて、鋼撚に視線を向ける。
「まあ、貴方の手を借りるまでもなく、あんなの一発で仕留めてみせますから」
「なんかしんねーけど、獲物が一匹増えたって認識でいい? 歯ごたえあるなら何匹増えたって構わないぜ」
鋼撚はまた毛を抜き、槍を作ろうとしていた。その隙に琉華は素早く矢を射る。焦りがあったか狙いが甘く、矢は鋼撚の頭上を越えていくと、鋼撚は槍を完成させて構える。
「んじゃ、そっちのスカしたねーちゃんをヤッちゃうか」
槍はペテローニに向けて投擲された。ペテローニは槍を回避しながら、鋼撚に接近する。ロングスカートが靡き、白い足が鋼撚に向かって伸びる。
ペテローニの蹴りは鋼撚の顔面を捉えた。鋼撚は体を仰け反らせるほどの衝撃を受けたが、追撃を避けるために体を反転させながら後退し距離を取る。顔を何度も擦り、痛がる素振りを見せた。
「普通に痛え。これ理使ってるだろ絶対」
実際、ペテローニは土の理で身体強化を施していた。源石を隠しながら使うことで敵の不意を付くことが目的だ。しかし、身体強化による一撃はペテローニが思っていたよりもダメージが浅かった。
ペテローニは後方に視線を向ける。琉華が氷の矢を発現させようとさせていた。
「手出しは無用です。温存なさってください」
「は? なんでよ」
琉華は感情を抑えきれない言葉を発した。
「上に行くには貴女の力が十全でなくてはなりません。こんなところで無駄に消耗してはいけません」
薄氷によってタワーの頂上を目指すなら、理力の余裕は確かに欲しい。それに上でも他の妖怪が待ち受けているだろう。上にいる妖怪と戦うためにも理力を温存できるならそうしておくに越したことはない。ペテローニにこの場を託す選択は正しいと思えた。
琉華は矢の発現を止めた。弓も消し、クリスタルストリングを指に絡めて弄びながら行く末を見守ることにした。
ペテローニはそれを確認すると、後ろを気にすることはなくなった。視界の中央に鋼撚を据えて、様子を伺う。
「ちょっち、ナメてたわ。そりゃ、五霊峰をヤッてる連中だもんな。俺も本気出してやるか」
鋼撚は大きく深呼吸をすると、全身に力を込めた。その間にペテローニは再度、接近して理で強化された拳で突こうと試みる。
ペテローニの拳が鋼撚の顔を捉える直前、鋼撚の体中の毛が逆立ち急激に伸びて、針山のようになった。ペテローニの伸ばした腕に無数の毛が刺さり、拳は顔面に届く前に引っ込められた。手と腕とにはいくつもの穴が空き、じわりと血が滲み出てきていた。
「どうよ? 俺の自慢の剛毛針千本の威力は」
鋼撚は更に腕を伸ばす。腕の毛が指先の方に伸び、手を覆うほどの針の集合体に変わった。
「この剛毛で攻めも守りも隙はナシってな。スデゴロじゃ俺に勝てないぜ?」
「貴方は今までの雑魚とは一線を画しているようですね。では私も出し惜しみなく、パーソナルで対応させていただきましょう」
ペテローニは土の理源を充分に取り込むと、左手の掌の真ん中に右手の指を順々に当てていく。指先に力を込めて掌から発現した理を勢いよく引き抜く。
黒い刀身が怪しく光る。美しき長剣を慣らすように振り、切っ先を鋼撚に向ける。
「貫く意志。これが私の力です」
「す、すぱ……? よく分かんねえけど、面白そうじゃん。その剣で俺の毛を刈れるかな?」
鋼撚は逆立つ針の腕でペテローニを突く。ペテローニはそれを向かいうつようにして剣を振るった。
ペテローニの剣は無数の針と噛み合い、鋼撚が腕を捻ると刀身が簡単に折れてしまった。
「なんだよ、全然じゃんか。もっと戦い甲斐があるもんかと思ったんだけどな」
刀身は半分の長さを残して折れていたが、折れた部分は綺麗に割れて鋭さを維持していた。ペテローニは間髪入れずに折れた剣で鋼撚の腕に斬りかかった。
またしても針と噛み合ってしまう。鋼撚は同じように腕を捻って折ろうとする。引っ掛かるような感覚があったが、力を込めて刀身を再び折る。もはや刀身は柄の先に僅かに残っているだけだった。
「カッコつけたわりに、って感じだな。まあ、俺にビビらず良く頑張ったわ。じゃ、これでお終い」
鋼撚は腕を大きく引き、勢いをつけてペテローニに突き刺そうとしてきた。ペテローニは柄をくるりと回して逆手持ちにすると、鋼撚の腕に沿って刃を向かわせる。
小さな刃は今までと打って変わり、針を次々と剃り落としていく。腕の根元まで難なく刃が通ると、肩に切っ先を突き立てた。
「ぐあっ! な、なんで針が……」
「私のパーソナルは脆さが強さ。折れる度、砕ける度に強度が増していくのです」
ペテローニは深く刺さった刃を反転させ、手の方に戻るようにして腕を裂いた。鋼撚は悶絶しながらも、生きている片方の腕の針でペテローニに攻撃しようとするが、ペテローニはすぐに距離を取って回避した。
「致命傷は与えたつもりですが、まだ戦えますか。妖怪とは意外にしぶとい生き物なのですね」
「……ったりめえよ。やっと楽しくなってきたんだ。これからだ、これか……」
鋼撚の体が氷に包まれていった。瞬く間に完全な氷像となり、動きが止まった。鋼撚の背後から琉華が顔を出す。
「トドメは私が貰いましたから」
「不覚です。いつの間にやら、後ろに回られていたのですね。理力を温存すべきだとお伝えしたのですけれど」
「大丈夫です。ちょっとしか使ってないから。だから、ほら」
琉華は鋼撚の凍った顔を叩いた。すると簡単に氷は剥がれて、鋼撚の生きた顔が表に出てきた。
「……ぶはっ! なんだよこれ、固まっちまった! おい、助けてくれよ」
「軽く衝撃加えれば、絶対凍結が解除されるくらいには理力を絞って使いました。これだけダメージ負ってるなら自力で解除するのは無理でしょうし。まあ助かりましたよ、弱らせてもらって」
彼女は自分が活躍しなければ不満が残るタイプの人間なのだろう、とペテローニは理解した。それを前提に、琉華に言葉を返した。
「理力が残っているのならば、何も言うことはありません。頂上までは持ちそうですか?」
「余裕、です」
琉華は薄氷を空に浮かばせると、タワーの頂上を目指して跳んでいった。ペテローニは息つく暇もなく上がっていく琉華に向かって小さな溜め息を吐くと、琉華の後を追って砕けかけた薄氷に飛び乗った。