庭園に踏み入る者
鳳学園の屋上で、明は源石を片手にいきんでいた。顔が真っ赤になるほどに歯を食いしばり、前に突き出した腕は小刻みに震えている。寿々子はそれをベンチで目を細めて眺めていた。
「もう満足したでしょ?」
「いや、まだっ……!」
寿々子は溜め息を吐き、ベンチから腰を上げた。明から源石を取り上げると、指先に蝋燭の灯のような小さな火を灯した。
「このレベルすらできないなら、名合くんには理を使う能力がないってことだよ。残念だけど、諦めて」
「嫌です。俺も理使えるようになって寿々子先輩を守りたいんです」
「恥をかなぐり捨てて、守りたい相手に教わろうとする度胸は認めるけど、無理なものは無理だよ。それに私は自分の命くらいなら自分でなんとかできるから」
明は返す言葉もなく、悔しさだけを顔に出す。寿々子は明を慰めようと頭を軽く撫でてあげた。
「気持ちだけ貰っておくよ。ありがとう」
「先輩……俺、諦めません。絶対に理使えるようになって、先輩を守ります。だからもう少し、いや、結構な時間をください」
寿々子は諦めの悪さに呆れてしまった。明の本気に寿々子が説得を諦めた。
「分かった、もう止めない。名合くんが納得いくまで頑張って」
源石を明に渡して、花壇の手入れに向かった。背後で上がる唸り声をBGMにして花や土の状態を確認していった。
寿々子は花壇の手入れに没頭していたが、明の唸り声が急に悲鳴に変わったことで頭を上げた。後ろに振り向くと、明を複数の妖怪が取り囲んでいた。
「来るな来るな! くそぉ、これでも食らえ!」
明は理を発現させようとするがもちろん出来るはずもなく、抵抗する間もなく妖怪たちに簡単に取り押さえられてしまった。次いで、妖怪の視線が寿々子に向けられる。
「アイツも捕まえるんだよな?」
「何人でも捕まえておこうぜ。人質は多いに越したことはない」
妖怪たちはぞろぞろと寿々子に向かってきた。寿々子は彼らに対抗するために源石を取り出そうとするが、何処にもそれはなかった。それもそのはず、源石は明に渡してあり、それが全てだったからだ。
察するに彼らは天音を狙っていた妖怪たちの仲間のようだ。自分たちを捕らえて、天音を誘き出そうと考えているのだろう。戦う術がない以上、自分の力で彼らを追い払うのも明を救うのも絶望的である。寿々子は妖怪たちがにじり寄ってくる少しの間に考えを巡らせた。
最も現実的な打開策は学園の守り人である城南琉華を待つことだ。まだアーチェリー部の活動は終わってない時間なので彼女が異変に気付いてくれれば、すぐに駆け付けてくれるだろう。しかし、ここは校舎の屋上。アーチェリーの練習場から異変に気付くのは普通では不可能だ。琉華に気付いてもらうには緊急事態であると此方から知らせる必要がある。
寿々子は気取られないように僅かに視線をずらしながら辺りを見回した。屋上の端、フェンスの前のベンチに鞄が置いてあるのを見つけた。あの鞄は明の物だ。
寿々子はその鞄に活路を見出した。妖怪の手を躱し、花壇を飛び越えてベンチに到達すると、鞄を素早く漁って目当ての物を取り出した。
耳を劈く激しい音が鳴りだす。妖怪たちはその音に一瞬たじろいだ。寿々子が手にしたのは防犯ブザーだ。悪意が蔓延るこのご時世、一般人なら常備している代物である。
屋上のみならず、下界にすら届く大きな音が鳴り続ける。これで琉華にも危機に気付くだろう。しかし、この雑音は妖怪たちの気に障ったようだ。
苛立ちをぶつけるように寿々子を乱暴に捕らえる。身動きが取れなくなり万事休すとなったが、SOSのサインはすぐに助けを呼んでくれた。屋上の外、フェンスの向こうから琉華が現れた。
フェンスの格子の合間を縫って放たれた矢は寿々子を押さえる妖怪を撃ち倒し、寿々子を解放した。
「なんだあ、コイツは?」
琉華はフェンスを飛び越えて、ガンを飛ばしてくる妖怪たちを一瞥する。
「此処で好き勝手しようなんて良い度胸してるわ。一匹残らず、氷漬けにしてやる」
琉華は静かに氷の弓を構えた。