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ブルーフレア  作者: 氷見山流々
記憶のダイアリー
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あるメイドのお使い

 使用人のペテローニにとって苦痛を味わう瞬間は幾度となく訪れる。大仰な扉を軽くノックして、態度が出ないように機械的に声を出す。

「統爾様、お部屋の掃除に参りました」

 返事はない。しかし、ペテローニは構うことなく部屋に入る。

 統爾はベッドで大きないびきを掻きながら寝ていた。ペテローニは床に散らばった漫画、雑誌、丸まったティッシュの数々を片付けながら、ベッドに近付いていく。

「統爾様、起きてください」

 ベッドの上もお菓子の残骸が散乱していた。よくこんな状態で爆睡できるものだ、とペテローニは思った。毛布ははだけて、丸い腹も出しながら寝る汚物に近いそれに、嫌々ながら触れて軽く揺さぶる。

「統爾様、掃除をするので起きてください。統爾さ……」

 突然、統爾はペテローニの腕を掴み、ベッドの中に引き込んだ。そのままペテローニを抱き寄せて顔を近づけてきたが、ペテローニは抵抗して統爾を突き離す。

「やめてください!」

 その風体の割に統爾は非力で、逃げ出すのは簡単だった。拘束から逃れたペテローニはつい、本性を顔に出してしまった。統爾は苛立ちを口にする。

「奴隷の分際で……」

「申し訳ありません」

 ペテローニは急いでゴミをかき集めて、部屋を出ていった。碌に清掃は出来なかったが、誰もそれを咎めはしないことは分かっていた。奴隷などと罵倒されたが、御門家の家畜に何を言われようとどうとも思わない。しかし、自分が此処で相応しい仕事をしていると、胸を張ることは出来なかった。

 スマホが静かに震えた。ペテローニは画面に映る名前を見て、一度深呼吸してから電話に出た。

「ペテローニでございます」

「其方は変わりないか?」

「はい。奥方様も統爾様も健やかに過ごしておられます」

「近辺に悪意の出現は?」

「少々でございますが。しかし組織の皆様が迅速に対処してくださり被害はございません」

「そうか。例の作戦に人員をかなり割いている。万が一、があり得る状況だ。警戒は怠るな」

「はい」

 近況を確認するためだけに連絡を取ってきたわけではないことは分かっていた。ペテローニは余計なことは言わずに、彼が本来の目的を伝えるのを待っていた。

「このような状況だが、君に任せたい仕事がある。杏樹様の寝室にある日記を東河縁に渡してもらいたい」

 東河縁という人物については多少の情報を知らされていた。彼が記憶を失っていることや、妖狐と暮らしていること。そして、その妖狐が同族に狙われているという情報も頭の中に入っていた。それを理解した上で、日記を彼に渡すという任務に疑問が残った。

「失礼ながら、何故彼にお嬢様の日記を渡さねばならないのでしょうか?」

「東河縁が自らの記憶を取り戻したいという意思を持っているはずだ。ならば、それに助力せねばならない。その切欠に5年前の日記が必要だ、と杏樹様は仰っていた」

 そんな回りくどいことをせずに彼に手紙でも送って、昔のことを伝えれば良いのに、と思った。しかし、主の下命は絶対だ。ペテローニは余計な口答えはせずに、それに従うことにした。

「分かりました。お嬢様の御用命、必ずや成し遂げます」

 大した仕事ではないが、それでもいつもと違う仕事が出来ることが嬉しかった。それに何故か、これから良いことが起こる予感があった。最悪な出来事があったから、それを忘れたいという願望も含まれていたが、ペテローニはこの予感を信じた。


 日記はエプロンドレスには収まらなかったので、小さなアタッシュケースに入れて運ぶことにした。

 支度を終えて御門邸を出ると、鳳学園に向けて歩き出した。まだ東河縁は学校にいる時間だった。到着する頃には放課後になっているだろうし、そのタイミングで渡せるだろうとペテローニは考えていた。

 縁の人相も確認済みであり、憂いも心配もない。ただ渡して帰ってくれば終わりだ。出来れば妖狐とかいう生き物にも会ってみたいが、一緒にいるだろうか。そもそも妖怪という生き物が存在していることに疑問符が残る。人間以外に知能を有し、言葉を話す生き物がいるなんて出来すぎたファンタジーだ。まあ、5年前にこの世界がファンタジーだったことが露呈したわけだが。道中、ペテローニは他愛もないことを考えながら、足を迷わせることなく、着実に鳳学園に向かっていた。

 しかし屋敷を出てからそう時間が経たない内に、ペテローニの足は止まった。出来すぎたファンタジーが目の前に躍り出てきたからだ。

「それを寄越せ」

 二足歩行で直立する猫が流暢に喋った。差し向けてきた右手は包帯のように札が巻き付いていた。

 化け猫の暁磨はペテローニが御門邸から出てくるのを目撃していた。後を付けて、人気が少なくなったところで姿を見せた。

「これを? 残念ですが、お金になるようなものは入っていませんよ」

 ペテローニは白々しく言いながら、アタッシュケースを背中の方へ隠した。

「中身などどうでもいい。俺は御門杏樹への恨みを晴らしたいだけだ。それが些細であれ、姑息であれなんでもいい。影雪様と仲間たちのために、どんな形でもあの女に復讐をしてやらねばならない」

 本質が見えない発言だが、おそらくはアタッシュケースを奪う理由などなく、ただ邪魔をしたいだけのようだ。物影から妖怪たちがぞろぞろと姿を現してきた。妖怪たちはペテローニを取り囲み、下劣な笑みを浮かべた。

 窮地に陥りながらも、ペテローニに焦りはなかった。切り抜ける術はある。ただ、時間通りに縁に会えるか。それだけが気がかりだった。

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