ぜろ子の奴隷ちゃん
零子が床に就き、いざ眠ろうとするとその声が聞こえてくる。
――殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す――
「うっさ」
ゆっくりと体を起こし、辺りを見回す。消灯していて暗くはあったが、それは零子の目にはっきりと映った。部屋の隅でカタカタと震える鉈を見つめて溜め息を吐く。
零子が鉈を見た瞬間に声も震えも消えたので再び寝ようとするが、また声が聞こえてきた。零子は反応するのも面倒になったので、そのポルターガイストを無視して眠ることにした。実際、騒音レベルの音量ではなかったので暫くしたら慣れてしまい、いつの間にか眠っていた。その夜は変わりなく熟睡した。
意識を取り戻したのは朝。耳に微かに届く「殺す」のコールを目覚ましに、爽やかな朝を迎えた。大きく伸びをして布団から起き上がると、まさしく目覚まし時計を止めるかのように鉈を踏んだ。声はとうに止まっていたのだが。
「おはよう。えーっと……コロちゃん」
似つかわしくない名前で呼んでも、その鉈は何も話してはこなかった。零子は鉈を取り上げ、刃を見つめる。
寿々子から引き取った強大な呪いは確かに実物を持っていた。試しに畳に刃を突き立てると刃はイグサを断ち切り、その跡がくっきりと残った。更には握った柄からは理の感触も伝わってきていた。
「ただの呪いかと思ってたけど、もしかして自律理源?」
理源を取り込んでみると、体の中にすんなりと流れてきた。その理源のタイプに零子は素っ頓狂な声を上げた、と同時に声と共に理が漏れ出た。
「ひょえー、『言』の自律理源だ。そんなのあるんだ」
言葉の理である『言』は『心』の理と同様に人の中に理源が存在する。そして反対に源石のような理源は存在せず、自身の中で作り出してコントロールする自己完結の理である。
その『言』の力を宿した鉈に零子は興味が湧いた。ただの呪いとは思ってはいなかったが、未曽有の力を持つこれを使いこなすことが出来れば大きな戦力となる。零子はニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべながら小さな声で呟いた。
「これで式神増やせるかな。他にも応用できそう。色々勉強しなきゃなあ、むふふ」
鉈からはまた怨嗟の声が聞こえてきていた。零子は頬を膨らませて鉈を細い指で突いた。
「もう、ホントにうるさいよ。こうなったらお仕置き……ううん、調教しなきゃだね。覚悟してよ、コロちゃん」
零子の体から悍ましい気配が溢れ、鉈を包んでいった。零子は笑みを崩さずに鉈を優しく撫でた。
縁が社務所の呼び鈴を鳴らしても、返事はなかった。何処かに出かけているのかと思ったが拝殿の裏から物音がし、大きな鉈を持った零子が姿を現した。縁はその鉈を見て、血の気が引いた。
「そ、それ、修羅の……」
「ん? この鉈? いいでしょ、これ。裏の方、草がボーボーだったから刈るのに重宝したよ。いやあ、捗る捗る」
零子は鉈を見せびらかしながら、社務所に戻っていく。縁は鉈を凝視しながら、零子の後を付いていった。
縁は居間で零子を待った。着替えを終えた零子は湯飲みと急須を乗せたお盆を持って入ってきた。縁の前に湯飲みが置かれると、零子も対面に座ってお茶を啜った。縁は零子が落ち着くのを待ってから口を開いた。
「義姉さんに聞きたいことがあるんだ」
「んー、何? もしかして恋のお悩み? エニシもそういうお年頃かな」
「違う。僕の記憶のこと」
零子の顔が強張った。真紅の瞳から縁を突き刺すよう視線が送られ怖気づきそうになったが、縁は臆せず言葉を続ける。
「義姉さんは大事なことは忘れてないって言ってたよね。でも、そんな気がしないんだ。最近、頭の中に誰かが現れる。それが誰なのか分からないけど、僕の忘れてる記憶に関係あるんじゃないかって思うんだ」
縁は零子の顔を伺う。零子は少し表情を緩めていたが、鋭い視線だけは変わらなかった。その顔のまま、いつもの調子で言葉を返してきた。
「気にしすぎだよ。本当に大したことは忘れてないから。記憶がなくて不安なのは分かるけど、今はもう心配することは何もないよ」
「でも、やっぱり知りたい。大したことじゃなくても、忘れてしまった何かを思い出したい。教えてよ、義姉さん。世界が変わったあの時、僕に何があったの?」
「何もないよ。何も」
零子は優しく宥めるようにして言った。そして、それ以上は口を開くことはなかった。