地獄の鬼
冷たい風が吹くコスモスの丘の頂上。鮮血がコスモスを濡らし、傍らに数多の死体が並ぶ地獄と化したその場所に、修羅はいた。
修羅はまさに最後の妖狐を殺さんとしている最中だった。殴打の後が痛々しく顔に残るその妖狐は修羅に髪を掴まれて顎を浮かし、首を晒していた。
「私の計画は完璧だったのに……」
「それが最期の言葉でいいか」
「覚えておきなさい……貴方は敵に回してはならぬ種を殺めたのです。必ず貴方は報いを受けることになる」
「そうか、楽しみにしていよう」
大鉈によって妖狐の首が刎ねられた。宙を飛んだその首は天音の足元に落ちた。憎しみに満ちた表情のままの妖狐の頭を、天音は躊躇いなく蹴飛ばして修羅を凝視する。
「報い、というのは貴様がくれるのか?」
「うん。でも、人間の分だけ」
短く言葉を交わした後、天音はすぐにその名を呼ぶ。
「おいで、仙雷沱禍」
その呼び掛けに応じ、雷のような速さで一振りの薙刀が落ちてきた。天音は地面に突き刺さった仙雷沱禍を引き抜き、具合を確かめるように軽く振るった。
「他の狐共よりはマシに見える。首を落とすのも楽ではなさそうだ」
「エニシ、悪いけど後ろにいて」
修羅を前にして、天音は縁を連れてきたことを後悔した。修羅は疾風丸や田破澱々とは格が違うことがその出で立ちだけで判断できた。あれだけ殺戮を繰り返しても、返り血はなく、鉈にも血痕は一切残っていない。そして2本の角が証明する、修羅が鬼という最悪の種だという事実に、勝ちの目を持って対峙できなかった。
「いや、僕も一緒に……」
「本気出さなきゃ勝てないから。エニシが近くにいると、仙雷沱禍を使えない。私が良いって言うまで攻撃もしないで」
「わ、分かった」
天音は嘘を吐いて、縁を戦線から外した。縁だけには死んでほしくなかった。自らの命を捨てて、修羅に致命傷を負わせる覚悟を抱いていた。
仙雷沱禍を構えると、刃の先から電気が流れて柄の方へと流れる。そのまま天音の体へと流れていき、天音は雷光を纏った。雷の弾ける音が忙しなく鳴り、修羅は顔を歪めた。
「不快な音を立てるな。頭に響く」
「それはかなり好都合だね」
天音は体を屈めると、低い姿勢を保ったまま修羅に向かって走った。仙雷沱禍を大きく横に振り払って修羅の胴を真っ二つにしてやらんとするが、修羅は大鉈の背で受け止めた。
互いに鍔迫り合いを演じる形になるが、仙雷沱禍から鉈へと電撃が流れる。修羅は自分の手にそれが伝わる前に鉈を手放しながら、体を引いた。天音は刃を空振り、体勢を崩す。
仙雷沱禍は天音の体に不釣り合いなほど大きな薙刀であるがために、持ち直すまで大きな隙が出来てしまう。それを修羅はわざとらしく無駄使いし、腕を大きく振りかぶって、拳を天音の頬に叩きつけた。
天音は膝を突きかけるが、仙雷沱禍を地面に突きたてて堪えた。修羅は天音に構わず、自分の拳を見ていた。拳には少しだけ電流が走っていたが、すぐに消えた。
「この程度なら恐るるに足らぬか。だが……」
修羅は天音に目を向けた。天音は口から垂れる血を拭い、もう一度仙雷沱禍を構えた。
「顔色一つ変えぬとは。心を折るには手古摺りそうだ」
「全然余裕だから。まだ本気出してないし」
天音がそう言うと、仙雷沱禍が纏う雷光が激しく唸りだした。修羅は気にする様子もなく、落ちた鉈を拾うために天音に背を向けた。あからさまな好機に躊躇いを持つ暇はなかった。天音は雷光が増した仙雷沱禍を修羅の背に向けて突き出した。
修羅は振り向くことなくそれを躱した。ゆっくりと鉈を拾い、それを逆手に持ち直すと、漸く天音の方へ向き直った。
「さて、今度は確と殺し合おうか」
天音は嫌な空気を感じると共に、足元が不安定になるような感覚に襲われた。それがただの錯覚であることは足元の地面を見れば間違いない。しかし、その地面からは何も感じなかった。自分の足元だけでなく、辺り一帯の地面から感じるべきものが消えていた。
感じるべきもの、土の理源は修羅へと集まっていた。天音がそれを理解したのは修羅が攻撃してきた瞬間だった。戸惑う天音を他所に修羅は平然と天音の懐に飛び込み、鉈を握る拳で鳩尾を抉った。
思わず仙雷沱禍を手放しそうになる痛烈な一撃を食らった。修羅は続けざまに殴ってこようとする。天音は仙雷沱禍を乱暴に振って、修羅を遠ざけた。
縁は驚愕した。天音が肩で大きく息をしていたからだ。初めて天音の感情が外に現れているのを見た。