札付きの悪
木見浜公園は日本有数の自然公園であり、その広さは何々ドーム3個分とか言われるほどのものである。園内はいくつかのエリアに分かれており、多種多様な花々が生い茂る中央エリア、木々と広大な池を持つ森林エリア、アスレチックやレジャーを楽しめる草原エリアなどなど、一日では回り切れないほど魅力的な娯楽に溢れている。
その中で、木見浜公園で最も人気のエリアがコスモスの丘のエリアだ。秋頃になると、丘いっぱいに敷き詰められたコスモスが一斉に咲き、鮮やかな色で丘を染める。それだけを見にはるばる海外から来る人もいるほどだ。
公園の入り口から微かに見えるコスモスの丘の色に、園芸部員たちは期待を高まらせていた。
「思っていたより大きい丘だね。楽しみだなあ」
部長の寿々子は誰よりもその期待感を高ぶらせていた。分厚い眼鏡の奥に光る瞳がかつてないほど輝いている。そんな寿々子の隣を常に明がキープして、話題を振り続けていた。
「ここから見ても分かるくらい綺麗ですよね。でも、一番綺麗なのは寿々子先輩です。先輩を超える美しきものなどこの世には存在しないでしょう」
「何を言ってるのかよく分からないけど、コスモスが綺麗なのは確かだね。じゃあ早速、丘の方に行く? それとも何処か寄り道したいところとかあるかな?」
寿々子は他の部員たちに伺う。
「私は特にありません。寿々子先輩に任せます」
主体性のない答えをしたのは海里だ。続いてパンフレットを見ながら佳漣も答える。
「うーん、色々と面白そうな場所があって目移りしますねえ。でもやっぱりコスモスの丘が一番面白そうです」
「神宮寺くんはどう?」
縁も何処へ行くことになっても問題なかった。だが、随伴している天音はどうだろう。尻尾の状態である天音は特に反応を示さない。縁に任せる、ということだろう。それならば、と答える。
「僕も先輩に任せます」
「そっか。それじゃあ丘に……」
「ちょいちょいちょーい! お待ちになってください、寿々子先輩!」
寿々子は辟易した顔を見せながら、明に対応する。
「名合くんには聞く必要ないって思ってたんだけど、何処か行きたいところあるの?」
「ええ。いや、というかですね、もう此処まで来たら自由行動でいいんじゃないかって思います。自分たちが行きたい場所に行けばいいって」
「でも、そうしたい人はいなさそうだけど」
「いやいや、俺が。俺がしたいんですよ」
「そう。じゃあ、行ってらっしゃい」
寿々子の素っ気ない態度にも、明は挫けなかった。
「俺、寿々子先輩と行きたい場所があるんです。そこに行きましょう、2人で!」
「え、嫌なんだけど」
「そう言わずに! さあさあ、俺がエスコートしますんで!」
明は寿々子の手を取った。寿々子は今までにない強引な誘いに戸惑い、抵抗する間もなく明に連れ去られていった。縁たちは呆気にとられながら、遠のく2人を見送った。
「……明、凄いな」
「あそこまで行くと、尊敬する。寿々子先輩は可哀そうだけど」
「ああいうのを、青春って言うのかな? 初めて見たよ」
縁は佳漣の天然気味の言葉に溜め息が漏れた。
「まあ、なんでもいいけどさ、どうする? 僕たちだけで丘に行くか、青春の邪魔でもしに行く?」
「寿々子先輩が心配ではあるけど、名合の頑張りを否定したくはない。放っておいていいと思う」
「青春とはどんなものか見てみたい気持ちがあるけど、無粋なようだね。僕たちだけでコスモスの丘に行こうか」
「そうだな。煩いのがいなくなって寂しいけど、のんびりコスモスを見よう」
縁たちは揃ってコスモスの丘に向かって歩き出した。
縁が自分で言った通り、明がいなくなったことで静けさが増していた。縁は元々あまり喋るタイプでないし、海里と佳漣も同様だった。
聞こえてくるのは鳥の囀り、柔らかな風の吹く音、目の前に見える噴水の水飛沫の音だけだ。それ以外に息づくものはなく、大自然に放り込まれた気分になる。何者もそこになく、自分だけが満たされる開放感に安らぎを覚える。それが異様だと気付くのに、縁は時間を要した。
視界の端に見えた売店は明かりが点いているのに、人っ子一人いない。客は疎か、店員の姿もない。縁は思わず足を止めた。そして辺りを見回し、異常な事態が起きていることに漸く気付いた。縁に構わず先に行く2人を呼び止めた。
「なあ、おかしくないか?」
「ん、何が?」
2人も足を止め、縁の方に振り向く。
「なんで誰もいないんだ?」
「あー、確かに。中に入ってから誰とも遭ってないかも。でもまだ入口だし、気にすること?」
「見てよ、あの売店。明かりはちゃんと点いてるのに、店員さえいないんだ」
縁が指差す方を見て、海里は考えを改めた。
「本当だ。電気点いてるってことは、此処に居たってことだよね。何かあったのかな?」
「神隠しに合ったのかな」
佳漣は冗談なのか本気なのか分からない発言をした。縁はそれが強ち間違いではない気がした。神隠しは大袈裟だが、何者かが園内の人を攫っていったのかもしれない。オメガ教の連中か、悪意に飲まれた者の仕業か、あるいは……
尻尾が縁の腰を強く叩いた。縁は思考を止め、顔を上げる。ふと、目の前の噴水に目が向くと、陰からぞろぞろと妖怪たちが姿を現した。
妖怪たちは多種多様であったが、どの妖怪も同じように体の何処かしらに札が貼り付いていた。
「札付き?! どうしてこんなところに……」
『札付き』と呼ばれる彼らは一度、人により退治され、人の住む地に来られないように、特殊な札を貼られる。その札は人が近くにいると体に強烈な電流が走るようになっているため、否が応でも妖怪の住む地へと引き返さなくてはならなくなる。その札を無理矢理剥がそうものなら、より強力な電流が流れて、死に至ることになる。
それほどの制限を受けて目の前に現れた札付きの集団は、迸っているだろう電流に顔色を変えることなく、じりじりと縁たちに近づいてきていた。
「なんだ、人間のガキどもが相手かあ? やる気が出ねえなあ」
「兄貴たちの出る幕もねえな。俺らでちゃちゃっと終わらせちまおうぜ」
気が付くと、縁たちの周りを札付きの妖怪が囲っていた。海里は不可解な状況に混乱の表情を見せる。
「なにこれ、どういうこと? なんかの撮影? ドッキリ?」
「そうとは思えないほど、彼らリアルに満ちているよ。殺気が凄いというか」
妖怪など目にしたことがないだろう海里と佳漣に、この状況を飲み込ませるには言葉では無理だった。数の上で圧倒的に不利であり、誰かが助けてくれる気配もない。縁はやむを得ず最終手段を取ることにした。
「天音、戦おう」
縁は尻尾を外して、眼前に軽く投げる。すると、尻尾だけだったものが一瞬にして妖狐の姿を作り、皆の前に正体を現した。
「化けて隠れてたのか。こいつだけは手強そうじゃねえか」
「なあに、全員で囲ってリンチにしちまえばいい。おい、キツネからやっちまうぞ」
その号令と共に、札付きたちは天音に群がるように突撃してくる。
「縁、その2人と一緒に下がってて」
天音は普段と変わらぬ口調で言うと、縁はそれに従って放心している海里と佳漣を引っ張って後ろに下がる。充分距離を取った辺りで、札付きたちも天音の臨戦の間合いに入っていた。
天音は雪崩れ込んでくる札付きたちに怯むことなく、淡々と言葉を紡いだ。
「爆雷・業風」
急に強い風が吹いたかと思うと、空に浮かぶ小さな雲の1つから、無数の雷が落ちてきた。雷は轟音と共に札付きたちに次々に突き刺さり、一撃で鎮めていく。その威力に怯え、逃げようとする者にも容赦なく降り注ぎ、一匹残らず黙らせていった。
静かな風が落雷の終わりを告げる。全ての札付きが沈黙し天音は倒れ伏す彼らを足先で退かしながら、縁の方に戻ってきた。
「不味いかも」
天音は何かを探るように耳を四方に動かしていた。
「どうしたの?」
「妖狐の気配がある。多分、こいつら妖狐の差し金」
「まだ敵は残ってるってことか。だったら、明たちが危ない。追いかけなきゃ」
「あ、あのう……」
海里が恐る恐る話に入ってきた。縁と天音は不思議そうに海里の顔を見る。
「いったい何が起きてるの? 何にも分からなくて、私も砂和も置いてきぼりになってるんだけど」
「エニシくんはこの状況を理解できてるみたいだから、説明が欲しい。それと、其方のお姉さんが何者なのかもね」
天音の姿を見せてしまった以上、はぐらかすことは不可能だ。縁は観念して、天音のことと、彼女が狙われていること、そして自分も理使いであることを自白した。
「妖怪……妖狐、ねえ。本当にそんなものが存在するだなんて。でも、何が起きて何がいてもおかしくない世の中になってるから、そういうのも普通にあり得るか」
佳漣は縁の説明を冷静に受け取る。海里も先程の混乱から立ち直ったのか、さほど驚きを示すことなく天音を観察しながら静かに頷く。
「……すごい。人間以外にも人間っぽい生き物がいるんだ。妖狐って和服っぽいの着てるイメージあるけど、今どきの服装なんだ」
「これはぜろ子と一緒に買ったもの。今日のために、お気に入りのを着てきた」
「尻尾のままにさせておくつもりだったから意味ないぞって言っておいたんだけど、まさか披露することになるなんてね」
「見せる見せないじゃなくて、気分の問題だから」
縁には理解できないが、海里と佳漣は共感できる言葉だったようだ。2人とも天音に対する警戒心が薄れていった。
「今まで神宮寺が隠してたのが惜しい人だね。きっと先輩とも仲良くなれるよ、天音さん」
「そうかな? ……って、そうだ。こんなとこで油を売ってる場合じゃない。先輩と明を探さなきゃ」
縁たちは明と寿々子が向かった方に走り出そうとした時、空から風を切る音と甲高い声が落ちてきた。
「待ちやがれい!」
天音はいち早く気付き、空を見上げる。そこに声の主を確かめると、縁たちの頭を下げさせた。空から落下してきた黒い物体は天音たちの頭を掠めて、地上に降り立った。山伏のような恰好に黒いサングラス、大きな黒光りする嘴、そして背中には一対の翼。右翼は黒い烏のような羽が見えるが、左翼は札が覆いつくして羽に被さっている。
「お前らの首は狠山魔の特攻隊長、疾風丸様がいただくぜ!」
サングラスを額に上げて鋭い目で天音たちを見つめる。烏天狗の疾風丸。彼が並の札付きではないことを、天音は既に察していた。