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ブルーフレア  作者: 氷見山流々
縁もユカリもないキミ
152/253

庭園と蒼き姫

 昨日と変わらずに晴れやかな朝の空。それを見上げることも夢想することもなく、気怠そうに歩いて学校に向かう縁。その暗い背中を叩いて、姿を見せたのは明だった。

「よう、いつにも増してダルそうにしてんな」

「あっ、ああ、明か。おはよう」

 縁は不自然に視線を逸らし、おどおどしている。明は不審に思いつつも、縁の腰に付いた、アクセサリーに言及した。

「うわ、尻尾なんか付けて似合わねえ。どうしたんだよ、それ」

「これは、その、義姉さんから貰って……」

「あー、そういや姉ちゃんいるんだっけ。いいなあ、年上の女の人に可愛がってもらえて。俺も寿々子先輩に頭撫でてもらいてえ……」

「発想が飛びすぎてキモいぞ」

「うるせえぞ。昨日も結局、ちょっと褒めてくれただけだったしなあ。もっと攻めた方法じゃなきゃ、振り向いてくれないかな。なんか良いアイディアないか?」

 尻尾のキーボルダーから気が逸れて、縁は安堵した。これの正体がバレたら、面倒なことしかない。縁が心労に苦しむ中、狐の尻尾は歩くのに合わせて揺れているだけだった。


「私も連れていって」

 縁が家を出ようとした矢先に、天音は言った。

「俺が今から行くとこ、分かる? 学校だよ、学校。人間の子供たちが勉強するところ。生徒以外は来ちゃいけないんだよ。そもそも、妖怪なんかが学校に出たら大騒ぎになるって」

 人間の世界を知りたい天音にとって、学校は大いに興味を惹かれる場所である。人間の若者たちが集うというその場所で何が行われ、どのような人間がいるのかを知りたかった。

「大丈夫。妖怪だって分からない方法があるから」

 天音は縁のズボンのベルト通しに指を入れた。縁は急に体を寄せられ、固まってしまったが、天音から香る甘い匂いも、柔らかい感触も即座に消え失せた。それどころか天音の姿自体、目の前から消えてしまった。

「あれ、天音は?」

「此処にいるよ」

 その声は自分の腰の方から聞こえた。そこに目を落とすと、狐の尻尾のキーホルダーがズボンのベルト通しに付いていた。

「人間ってこういうのするって聞いたから、それに化けてみた。これなら、連れていってくれるよね」

 天音は自分の体を変化させられる術を使えるようだ。もしかしたら、妖怪の基礎技能なのかもしれないが。

 縁が懸念していた妖怪の姿ではなくなったので、天音を止めることはもう出来ない。派手なアクセサリーを付けているという気恥ずかしさはあったが、受け入れるしかなかった。

「分かった。一緒に行こう。でも、人のいるところで僕に喋りかけないでよ。とにかく、バレないように注意して」

「うん。ありがとう、エニシ」

 言葉の調子に感謝が伝わらないが、言葉に嘘はないように思えた。こうして、縁は天音を腰にぶら下げて、学校へ行くことになった。


 尻尾のキーホルダーはクラスメイトに茶化されたものの、不審に思われることはなかった。平穏無事に全ての授業を終え、放課後となった。部活へ急かす明を適当にあしらって先に行かせると、一人になった教室で静かに呟いた。

「どうだった? 特に面白いものなんてなかったと思うけど」

「ううん、面白かった。人間っていろんなことを勉強してるんだね。羨ましい」

 それが生き物であるとは思えぬほどに、天音は尻尾のキーホルダーになりきっていた。二人きりになった今も、忠実にそれを守っていた。

「それに皆、仲が良さそう。エニシもすごい人気者みたいだった」

「似合いもしない尻尾付けてれば、誰だって茶化しにくるさ。はあ、僕はずっと日陰者でありたいんだけど」

「日陰者」

 平坦な喋り方で分かりづらかったが、言葉尻に見えない疑問符が付いているのを縁は感じた。

「そう。目立ちたくもなければ、面倒事にも巻き込まれたくない。何もせず、ただ物事が勝手に解決されるのを端の方で見ていられれば良いんだ」

「でも、エニシは私を助けてくれた」

 縁の胸にその言葉が突き刺さった。言い返せずに口籠るが、次に口から出たのは苦しい逃げの言葉だった。

「そうだ、部活に行こう。大したことはやってないけど、人間を知るには充分すぎるくらい変な奴らがいるところだから」

 縁は荷物をまとめ、足早に教室を出た。屋上に着くまでに気持ちが落ち着くことがなかったが、屋上で待っていた部員たちがそれを紛らわした。

「あっ、神宮寺くん。昨日はなんでサボったの?」

 水やりをしていた手を止め、縁に向かってきたのは部長の赤羽寿々子あかばねすずこだ。彼女は園芸部唯一の上級生で、縁たちが入る前は一人で部活を支えていたらしい。分厚いレンズの丸い眼鏡を掛けた芋臭い顔の人で、嫌というほどに真面目、といった印象を縁は持っていた。

「え? いやサボったわけではなくて……おかしいな、明には先輩に伝えておくように言ってたんですけど」

「その名合くんが、神宮寺くんはサボりだって言ったの」

「なっ!? 明、お前!」

 明が気持ち悪い笑顔を見せながら縁たちに近づいてきた。その表情を寿々子に向けるも、寿々子は顔をしかめているだけだった。

「だって寿々子先輩には嘘つけないし。愛する人には誠実でいたいんだ。おお、我が麗しの寿々子先輩、俺は貴方に永遠の忠誠と愛を誓います」

「忠誠も愛もいらないから離れて」

 寿々子は密着してくる明を力尽くで引き離して、距離を置いた。

 名合明は縁と同じクラスで、一番親しい間柄の友人である。明るいお調子者といった性格で、クラスでもいつも中心にいるような男だ。そんな彼が無縁と思える園芸部に入ったきっかけは寿々子以外の何ものでもない。縁には理解しがたいが、明は寿々子に一目惚れした。たまたま部活の見学で立ち寄った屋上で、ひとり草花の世話をしていた寿々子の姿が天使に見えたそうだ。縁はそんな恋に盲目となった明に強引に誘われて、二人で園芸部に入ることになったのだ。

「とにかく、サボった分、今日はきっちりお花の世話してもらうからね」

「はい……明、覚えておけよ」

 明は縁の恨み節も聞こえていないようで、ニヤニヤしながら寿々子を凝視していた。

「じゃあ、向こう半分をお願い。それと……仄瀬さん、ちょっと来て」

 寿々子が手招きで、屈んで花壇を見つめている女の子を呼んだ。彼女は仄瀬海里ほのせかいりといい、縁たちと同学年で同じクラスの子だ。癖の強い髪質が目立ち、更には彼女自身がずぼらなのか寝癖が酷く、髪が荒れた海のように唸っている。体が小さいのか制服はぶかぶかで、袖から指先しか出ておらず、指定のネクタイもちゃんとちゃんと締めていないせいもあって、ブレザーからはみ出ていた。

「なんですか?」

「神宮寺くんがサボらないように見張っててほしいんだけど、良い?」

「だいじょぶですよ。見張ります」

 やる気のない声色をしているが、これが常である。気怠そうで活気のない言動が特徴的で、たまにボーッとすることもあるが、不真面目ではない。心の内に何を秘めているのか測りかねるが、悪い奴ではない、変な奴。それが縁が海里に持つ評価だ。

 縁は寿々子に屋上の花壇のほとんどの世話を命じられた。海里に背後から見られながら、のろのろと始めた。明の裏切りをいつまでも引きずり、どうやって仕返しをしてやろうかとか、許しを乞うてきたら何をさせてやろうかだとか、雑念が頭に充満していた。

「なんで手、止めてるの?」

 海里の声で縁は我に返った。明のことばかり考えてしまって作業が止まっていた。

「悪い、頭の中にいる明が邪魔してきて」

「なにそれ。名合のこと好きなの?」

「なんでそうなる? あいつが俺への義理を欠くことばかりするから、頭を悩ませてるんだよ」

「義理も何も、サボった神宮寺が悪いんじゃん。因果応報だよ。ほら、手を動かす」

 縁は海里に促されて、嫌々ながらも作業を再開した。

 明のことから気を逸らすために、海里に話しかけながら作業を続けていると、風に乗って芳しい香りが流れてきた。縁はその香りが流れてくる方に顔を向けた。

 屋上庭園の中央にあるガーデンテーブル。高級そうなティーカップを手に、鎮座する男。縁の視線に気付いたのか、読んでいたファッション誌から視線を外して、縁を見た。

「精が出るね。エニシくん」

 彼からしたらそういう意図を込めた言葉ではないのだろうが、縁には嫌味にしか聞こえなかった。嫌味であってほしいという願望すら入っていた。

 5年前、園芸部を創設した女子生徒は絶世の美女として学園内に知れ渡り、今なお彼女の美しさは語り継がれている。もはやその姿を知る者はいないが、空想で語られる彼女はこの世に並び立つ者がいない、女神とさえ揶揄されるほどの人物となっていた。

 そんな学園の神話に今年、新たな人物が加わることになった。それが彼、砂和佳漣すなわかれんである。

 女神と同じ金色の髪。背が高く、すらりと伸びた手足は男ですら艶めかしさを覚える。青い瞳は常に煌めき、見つめられると目を逸らせなくなるほどの魅力を宿す。人々は女神の再来と称して持て囃すと、佳漣をかつて女神がいた屋上庭園へと導く。女神の消えた花園に彼が訪れると、まだ蕾だった花々が一斉に花開いたという。そうして砂和佳漣は伝説となり、新たな天界の主となった。

 縁が伝え聞いた話のどれもが、このような美化と誇張が過ぎるものだった。事実としてあるのは佳漣が園芸部の部員であることと、美男子であることだけだ。下々の者は、佳漣を崇高なる存在として見るが、天界に住まう天使、もとい園芸部員は誰もそうは思っていなかった。

「砂和は暇してるのか? それなら、少し手伝ってくれない?」

「んー……暇……? あー、暇だね。暇を持て余してるっていうのかな、こういうの」

「じゃあ、是非……」

「ダメだよ。神宮寺が一人でやるの」

 海里は縁の脳天を手刀で軽く叩いた。

「砂和も用具とか消耗品のチェック任されてたけど、やったの?」

「したよ。倉庫の奥の方にこんな高そうな茶器があったんだ。せっかくだから使ってみたんだけど、セレブになったみたいで面白いね」

 佳漣は屈託のない笑みを浮かべた。

「へえ。それは全部終わらせたから寛いでるってことでいいの?」

「いや、まだ残ってる」

 悪びれずにいう佳漣に海里は目を細めた。

「……やること終わらせてからそういうのしてよ。任されたことを放棄するのは人としてどうなの?」

「そっか。僕って最低なことをしてるんだね。ごめん、カイリさん。部長から託された任務、果たしてくるよ」

 飲みかけのティーカップと雑誌を置いて、佳漣は倉庫へ向かっていった。それを見届けて、海里は溜息混じりに呟いた。

「本物の女神様もあんな緩かったのかな」

「絶対に違う……と思う」


 仕事を終わらせた縁は休憩がてら下界に降り、自販機で缶コーヒーを買って中庭のベンチで休んでいた。

 生徒は部活か帰宅をしている時間なので、中庭には人通りは少なく、静けさもあって心身共に休めることができた。

「どう? うちの部活。揃いも揃って変な奴ばっかでしょ?」

 人目がないので縁は気兼ねなく天音に話しかけた。

「変っていうか、独特って表現の方が合ってる。あれで全部なの」

「うん。僕と明、仄瀬、砂和、そして赤羽先輩。たった5人の部活だよ」

「教室にいる人たちより少ないんだね」

「うちだけだよ。他の部活はもっと人数いる。人気ないから、園芸部は」

 縁はコーヒーを少しだけ口に含んだ。

「他にも部活あるんだ。どんな部活があるの」

「どんなって、サッカーとか野球とか普通の部活だよ。って言っても、天音には分からないか。そうだ、うちの学校には珍しい部活もあるんだ。アーチェリー部っていうのがあってさ、そこに『月氷の蒼姫』って呼ばれてる子がいるんだ」

「あーちぇりー……げつひょうの……そうき」

 縁は何故か得意げに説明し始めた。

「アーチェリーは、弓のことだよ。機械っぽくて格好いい弓なんだ。月氷の蒼姫はこの学校にいる人なら誰しもが知る女の子さ。その異名通り、月に照らされるが如く、冷たく、残酷さを秘めた表情と、姫のような麗しさを併せ持った人で……」

 早口に喋っていた縁の言葉を悲鳴が遮る。学園の外から聞こえた声だが、それを上げたであろう女子生徒が中庭にまで走って戻ってきた。

 その後ろを血走った眼の男が追ってきていた。悪意の罹患者であろう。男は女子生徒を捕まえることに一心になっているようだった。

「エニシ、あれは何の部活なの」

「そう見えるものなのかな……あれは悪意の罹患者に生徒が襲われてるだけ」

「襲われてるなら助けた方が良いんじゃない」

「大丈夫、すぐに収まる。ここはテリトリーなんだ、月氷の蒼姫のね」

 ベンチでふんぞり返る縁を、半透明の矢が横切った。煌めきを残して過ぎていった矢は罹患者の男に直撃すると、形を変えて男を覆っていった。男は首から上を除いて、分厚い氷に固められてしまった。身動きが取れず、呻く男の前に氷の弓を持った少女が現れた。

「勝手に入ってこないでくれる? 迷惑なの、あんたみたいなの」

 少女は小さな拳を男の顎に打ち込んだ。男が気を失い静まると、怯えて見ていた女子生徒の方を見た。

「怪我、ない?」

「うん、ありがとう。城南じょうなんさん」

 月氷の蒼姫の異名を持つ少女、城南琉華じょうなんるか。彼女はこの学園で唯一とされる理使いである。『クリスタルストリング』と呼ばれる水の自律理源を弦とした氷の弓の使い手で、その実力は名もなき正義も一目置いている。学園の周囲はほとんど琉華が自治しており、その後始末に名もなき正義が来るのが現状である。

 今回もこの男の回収に彼らがすぐにやってくるはずなのだが、何故か一向に来る気配がない。琉華は男の凍った肩を指で叩きながら彼らが来るのを待っていると、彼女を呼ぶ声と共に生徒が現れた。

「大変だ、学校の外に罹患者がたくさんいる!」

「……そういうこと」

 琉華は風を切るように走って外へと向かっていった。生徒たちは避難するために校舎の中に入っていき、縁だけが中庭に残った。

「エニシは行かないの」

「……行くって何処へ?」

 縁は天音が言わんとすることを分かっていながらも、問いを返した。

「あの子の手助け。エニシも戦えるでしょ」

「戦えないよ、僕は」

「おかしい。私を助けてくれた時、理使ってた」

「それは……そういう状況だったから。あんまし使いたくないんだ」

「何か理由があるんだね。だったら、尚更エニシには感謝するよ。ありがとう、私を救ってくれて」

 縁は尻尾に力なく、はにかんで見せた。

 缶コーヒーを飲み干し、屋上に戻ろうと立ち上がると、明が血相を変えて走ってきた。

「こんなとこでのんびりしてんなよ。外ヤバいことになってんだぞ」

「城南さんなら問題なく鎮圧するだろ。そんなに慌てることはないって」

「そうかもしれないけどよ……とにかく中に避難しようぜ」

 明は縁の腕を引っ張り校舎へ連れて行こうとするが、縁は待ったを掛けた。

「缶捨てたいから、ちょっと待って」

「お前、呑気にもほどがあるぞ。いいや、早く捨ててこいよ」

 縁が空き缶を捨てにいくのを明は律儀に待ってくれた。縁は自販機の側にあるゴミ箱まで小走りで行き、空き缶を捨てた。明の下まで戻ろうと振り返ると、何者かが明に猛進していくのが見えた。

 部外者と思われるその男は明に掴みかかろうとしていた。明は逃げようとするが、男の異常な速さに捕まってしまった。

 琉華が来る気配はなかった。明を助けるには自分しかない。縁はそう思った。しかし、躊躇いがあった。天音を助けるために理を使った時のことを思い出してしまった。あの感覚をまた味わわなければならない。手を男に向けたまま躊躇していると、腰の尻尾が不意に呟いた。

「静雷・天泣」

 青空から音もなく雷が男を狙って落ち、失神させた。縁は尻尾に顔を向けた。

「無理しなくていいよ。エニシが出来ないことは私がやるから。それが私の恩返し」

「天音……」

 縁は自分の不甲斐なさが露呈したような気がしていた。しかしそれに浸る暇はなく、腰を抜かしている明を助けることを優先した。

「明、怪我はない?」

「お、おお、なんとか。今の雷、なんだったんだ?」

 パニックに陥っていたとはいえ、自身を救った現象は視認していたようだった。縁は説明するか迷っていると、外で戦っていた琉華が走ってきた。

 琉華は少し焦った顔をしていたが、倒れている罹患者を見て顔をしかめた。

「誰がこいつを? あんた?」

 縁は琉華に睨まれて、咄嗟に言葉を返した。

「いや、僕じゃない。急に雷が落ちてきたんだ」

「そうそう。マジでそう。あれってやっぱり理か? じゃあ誰がやったんだろう」

 琉華は一瞬難しい顔をしたが、すぐに切り替えて罹患者の襟を掴んで引きずって去っていった。

 誤魔化すことには成功した。これで良かったのだろうかと思う気持ちもあったが、かけがえのない友達を助けれられてホッとした。それでも、心の中には嫌な不安感が漂っていいた。

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