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ブルーフレア  作者: 氷見山流々
縁もユカリもないキミ
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新たな世界の新たな始まり

 世界が忘却したものは数知れない。秩序、平穏、静寂、安寧、恵愛、恭敬……

 その穴を埋めたのは、暴力と混沌。穏やかな日々は過去となり、それを懐かしむ者は鼻で笑われる。だがそれでも、今も変わらずに透き通った青い空を見ていると、幼かった頃の憧憬を思わずにはいられない。何かに縛られることもなく、何かに阻まれることもなく、自由と好奇心が原動力だった日々を。

「おい」

 空を飛ぶ鳥は世界の移り変わりなど意味のないことだろう。生物としての命を果たすことに懸ける彼らは人間のように繊細ではない。彼らが飛べるのはそのおおらかさ故であり、人間が空に憧れるのもそれ故である。

「おいってば、聞こえてない?」

 しかし、世界が変容したその日から、人間は空を想うこともなくなった。いつしか空があることすら忘れてしまうのだろうか。僕もいずれ、空を見上げる術を失ってしまうのだろうか。

「無視すんな、縁!」

 頬を叩かれ、縁は我に返った。思わず起き上がると、顔を覗き込んでいた級友と頭をぶつけて互いに痛苦に悶えた。

「……くっ、酷い仕打ちだ」

「それはこっちのセリフだっての」

 縁がベンチに座り直すと、隣に彼が座った。彼は額を擦りながら、縁を呼んだ理由を語った。

「俺一人に仕事任せてなにサボってんだ」

「持ち場は終わらせたから休んでた。サボってたわけじゃない」

 縁は花壇の一区画を指差してアピールした。風に揺れる花々は水を滴らせていて、土も湿り気を帯びていた。

 鳳学園の名物でもある屋上庭園。その草花を守るのは園芸部だ。学園の他の植物たちは緑化委員会の努めだが、この屋上だけは園芸部の管轄である。縁と級友の名合明なごうあきらはその園芸部の部員なのだ。

「あそこだけしかやってないじゃんか」

「赤羽先輩に張り切って言ってただろ。花の水やりは全部俺がやりますって。だから僕もサボりにならない程度にやって、明に任せたわけ」

「聞いてたのかよ。ちくしょう、手柄だけ俺が貰って寿々子先輩に褒めてもらおうと思ったのに……」

「まあ結局、赤羽先輩が見てたわけでもないから明の頑張りは手放しに褒めたりしないだろうけどね。僕の方も、小煩い仄瀬ほのせがどこか行ってるから、一区画ですらやる意味がなかったんだけど」

 縁は立ち上がり、大きく伸びをすると、荷物をまとめた。

「帰んのか?」

「うん、今日は格別にやる気が起きない」

「いつもだろ」

「そうかもね。じゃ、先輩には適当に誤魔化しといて」

 明の返事を聞く前に、縁は屋上を後にした。

 園芸部に入部して半年が経つ。明に誘われるままに入ったが、居心地はそこそこではあった。多少退屈ではあったが、屋上を気兼ねなく利用できるのは園芸部の特権である。あの屋上で誰にも邪魔されずに自分の世界に入るのが縁にとって至福の時なのだが、それだけでは心の穴は埋まらなかった。

 彩角新都心で起きた爆破テロ事件から5年。あれから世界は大きく変化した。悪意と呼ばれる正体不明の病が蔓延り、凶暴化した人々が事件を起こすことは日常茶飯事だった。凶暴化した人々は恐ろしいほどの力を発揮し一般市民を襲うため、国家権力たる警察でもそれを食い止めるのは困難であり、辛うじて対抗できる自衛隊を派遣しようにも日本中に悪意の罹患者がいるために、数が足りない状況だった。

 そこに颯爽と姿を見せたのはオメガ教と名乗る宗教団体だった。オメガ教は『理』と呼ばれる超常的な力を使い、悪意の罹患者たちを簡単に鎮めていった。彼らは日本中に支部を置き、今や国家権力に代わって壊れかけの秩序を守っていた。

 しかし、彼らの庇護を受けない地区もあった。それがこの彩角市だ。全ての発端である彩角市であったが、オメガ教は此処には手を出さなかった。彼らが入ってこない理由は公にはされていないが、彼らの手は不必要であるのは、住民たちは理解していた。

 縁が校舎を出ると、女性の悲鳴が響いた。声の方に目を向けると、暴漢が女性を襲おうとしているようだった。

 縁は足取りを変えずに様子を見ていた。珍しい光景でもない。日常に溢れている悪意、それに襲われるか弱き市民、そして――

 暴漢の背中に何かが当たったかと思うと、暴漢の体を氷が覆っていき動けなくなった。女性はすぐに逃げていき取り残された暴漢は必死に氷の呪縛から逃れようともがいていた。程なくして現れた一人の男が暴漢を銃のようなもので撃つと、彼は硬直したままに気絶した。

 見慣れた光景、悪意の罹患者から市民を救うのは同じく市民。しかしそれは力を持つ者、理使いだ。彼らは徒党を組み、市内の悪意から人々を守るために戦っている。いつしか『名もなき正義』と呼ばれるようになった彼らは、オメガ教に代わって彩角を守っていた。

 ただ、あの氷だけは名もなき正義に依るものではないことを縁は知っていた。

「流石だな」

 聞こえるはずもないのに、わざとらしくそう呟いて離れていった。


 家まで真っ直ぐ帰る気分ではなかった。

 訳もなく町をぶらぶらと歩き、その間に悪意の罹患者とは四度は遭遇した。そして対応の速さに差はあれど、罹患者たちは名もなき正義の手で鎮められた。

 物騒な世の中ではあったが、そこに恐怖はなかった。恐らく、力を持たない人々もそう思っているだろう。要は慣れたのだ。この異常な世界に。誰しもが死を間近に感じずにはいられないのに、それを受け入れてしまっている。または見ないでいるのか。どちらにせよ、人々の意識は変わった。悪意という病害と、理という超常的な力がそうさせてしまったのだ。

 縁は無意味な思考を重ねながら足の赴くままに歩いていた。そして、思考の息継ぎで現実へと視界を戻した時、興味深いところに向かっていたことに気づいた。

 オバケケヤキの丘。町を一望できる丘の上に、怪しげなケヤキが立つためにそう呼ばれている。

 久しく来ていなかった場所であったため、平和だった頃の懐かしさを求めて頂上を目指した。緩い斜面を難なく上り、見えてきた痩せ枯れた大きな木。幹に注連縄が巻かれたその木は、昔と変わりなく頂上に立っていた。

 小さかった頃を思い出しそうな不変の光景に見えたが、明らかな異物が目に付いた。

 オバケケヤキのか細い枝に乗り、うたた寝をしている少女。金色の長い髪の上に獣の耳が顔を出し、枝の下には大きな尾が垂れている。少女は人ではなく妖怪の一種、妖狐だった。

 縁は妖狐がいることに驚いたが、それよりも彼女の服装が気にかかった。着物らしきものを着ているのだが、かなりの部分が破れてしまっていて中の肌着まで見えるほどだった。汚れも酷く、泥や血の痕が目立ち、何かと争った形跡がはっきりと読み取れた。

 彼女の目が不意に開いた。澄んだ瞳で木の下にいる縁を一瞥した後、視線を左右に散らした。

「隠れてないで出てくれば」

 抑揚のない声で彼女がそう言うと、四方から黒い影が飛び、オバケケヤキを囲んだ。

 黒装束を纏った彼らは妖狐の少女と同じ耳と尾を持っていた。彼らは短刀やクナイのような武器を手に、じりじりとケヤキに詰めてきた。

「覚悟なされよ、天音あまね様」

 黒装束たちが一斉に少女に向かって飛び掛かった。少女はそこから動くことなく、小さな声で呟いた。

静雷(せいらい)天泣てんきゅう

 その言葉と同時に、細く鋭い雷が音もなく黒装束たちに落ちた。雷に打たれた彼らは次々と地面に落ち、倒れていった。

 縁は空を見上げたが、雲ひとつない青天だった。雷が落ちるような空ではないのに、それがいくつも、黒装束だけを狙って落ちたのはこの妖狐の少女の力なのだろうと思った。

 再び少女の方を向くと、彼女は顔色一つ変えずに、焼け焦げた黒装束たちを見つめていた。何も読み取れない無の表情をする彼女に違和感を覚えていると、彼女のもたれている幹の影から黒い手が現れた。

 黒装束たちの仲間に違いなかった。少女はそれに気付かず、下を見続けている。黒頭巾を被った頭が見えると、尖った爪を少女へと突き刺さんとする。

 縁は咄嗟に手を伸ばした。指先から放たれた光のコードが黒装束の頭に接続されると、黒装束は絶叫しながら木から滑り落ちた。地面に落ちて暫くのたうち回った後に、静かなうめき声を上げて気絶した。

 コードを解除した縁は苦い顔をしながら黒装束を見ていた。

「なんなんだよ、こいつら」

 それを知る鍵は、彼女しかなかった。平穏に浸りに来たのに、酷い争乱に巻き込まれてしまった。その説明責任が彼女にはある。そう思い上を見上げると、彼女が木から落ちてきた。

 縁の真上に落ちた彼女は、縁を下敷きにしたまま動かなかった。縁は痛みと重さに苦しみながらも、彼女の顔を見た。先程と変わらず無表情だったが、淡々と呟いた言葉に感情があった。

「お腹空いて動けない。食べ物をください」


 縁が住むのは小さなアパートの一室。高校生になってから、此処で一人暮らしをしている。使えるお金はそこそこにあり、高校を卒業するまでは不自由をすることはない。ただ、毎日の家事を一人でこなさなくてはならないのが、縁は少し億劫だった。

 朝食はパンを一切れで充分、昼食は学校で適当に買えば問題ない。しかし、帰ってから夕食を作るのが面倒で、スーパーやコンビニで出来合いのものを買うか、インスタント食品で済ませるような、賢くない食事をしていた。

 空腹を主張する妖狐の少女を連れ帰ったものの、彼女を満足させる食べ物はすぐには用意できなかった。湯を沸かしてカップ麺の準備をするも、その間に彼女の腹の虫が騒ぐ。

 空腹を紛らわすもので時間を稼ごうと、買い溜めしていたお菓子を漁った。適当に手に取ったポテトチップの袋を、少女が座して待つちゃぶ台の上に開いて置いた。

「これでも食べて待ってて。待たせて出来上がるものも、大したものじゃないけど」

「……これ、食べ物なの」

 少女はポテトチップを摘み、じろじろと観察した。

「ポテチ、知らないんだ。えーっと、ジャガイモを薄く切って揚げたもの、かな」

「ぽてち……」

 少女はそう呟いた後、ポテチを少し齧った。小さな口でじっくり咀嚼する姿を、縁は何故か固唾を呑んで見守っていた。その小さな一欠片を飲み込むと、縁の顔を見上げた。

「美味しい、ぽてち。すごく好き」

 言葉とは裏腹に声に感情はなく、喜んだ顔さえしなかったが、少女は続けざまにポテチを口に放り込んでいき、気付けばカップ麺が出来上がる前に一袋を完食してしまった。

「もう、ないの」

 袋の中に手を突っ込みながら、図々しくもそう聞いてきた。

「ポテチはまあ……でも、もうカップ麺が出来るから」

「そう、残念」

 縁は呆れながらも、カップ麺を彼女の前に出した。そちらに関しては彼女が何か感想を述べることもなく、淡々と食していた。その沈黙が気不味く感じて、彼女のことを聞いてみることにした。

「きみ、妖狐だよね? 天音って呼ばれてたけど」

「うん、私の名前は天音。貴方は」

「そういえば名乗ってなかったか。僕は神宮寺縁。縁って呼んでほしい」

「エニシ……良い名前だね」

 カップ麺を食べ終えて、天音は「ごちそうさまでした」と呟いた。その後、会話が途切れてしまい、また気不味い沈黙が流れてしまった。

 その沈黙の中、縁は自分がとんでもないことをしていることに気付いた。女性を家に連れ込んでしまった。自分よりも年が下の幼い子であるのならば、そうも感じないが、見た感じ自分と同年代の見た目の子であるがために、急に緊張感が押し寄せてきた。

 挙動不審になってどぎまぎする縁と正反対に、天音は泰然自若としていた。落ち着きのない様子を見せる縁に、平然とそれを問いた。

「何か、あるの」

「へっ、えっ、いや、別になんでも。それより、そろそろ帰ったほうがいいんじゃない? お腹ももう、いっぱいでしょ?」

「帰るところはない。家出してきたから」

「家出?」

 縁の頭にオバケケヤキで起きたことが過ぎった。家出とあの妖怪たちが天音を殺そうとしたいたことが関係していないとは思えない。複雑な事情を感じながらも、それを知ろうとするのはお節介でしかないので深く問いただそうとはしなかった。

「じゃあ、泊まるところとかは?」

「ずっと野宿してきた。だから、お願いがあるの。エニシの家に居させてほしい。人間の生活を間近で見させてほしい」

「人間の生活?」

「うん。私が家を捨てたのは人間のことを知りたいから。でも遠巻きに見ててもあまり分からない。エニシと一緒に暮せば、いろんなことを知れると思う」

 天音は平気な顔でそう言うが、縁にとっては大問題である。問題がありすぎて整理が付かず、脳が働かなくなっていった。パニックになっている間に、天音が頭を下げて頼んできた。

「エニシに迷惑はかけないので住まわせてください。お願いします」

「は、はい」

 縁は思わず了承してしまった。天音は喜ぶ素振りも見せず、「良かった」と呟くだけだった。

 こうして数奇な運命により出会った、縁もゆかりない妖狐との共同生活が始まった。それがただ愉快なものであれば幸せなのだが、そうもいかない事情を両者は抱えているのである。

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