理の邂逅
間口の広い校門。閉ざされた門扉の先から不自然な静寂と薄ら寒い空気が漏れてきて、明天はげんなりした。
平日の昼前、校舎の外に生徒がいることまずないとして、校舎の中からも人の気配は感じられなかった。それ以外にも普通ではないことが伺える証拠はあった。
校門の前には多量の血の痕。そこに被さるように焦げた跡も残っていた。更に校舎の一部の窓も割れていて、何かが起きたことが目に見えて分かった。
「面倒事がなければいいが……」
明天はそう呟き、門扉を少しずらして校内に侵入していった。
一番近い校舎に入り、事務室を見ると、やはり人は1人もいなかった。窓口から中を覗いてしっかり確認していると、妙な違和感に襲われた。その違和感の正体にすぐに気づいた明天は事務室から目を移し、廊下にある張り紙やポスターを注視した。
「なるほどな……じゃあ、向かうべきは偉い奴の所か」
案内図もなければ、場所も教えてくれる人もいなかったが、慌てはしなかった。明天は見学がてらに校舎を徘徊してそこを目指した。
徘徊するのにも飽きてくると、ようやくそれらしき部屋を見つけた。『理事長室』と書かれた部屋を見つけると、明天はまっすぐそこに向かい、躊躇いなく扉を開いた。
「明天先生!」
真っ先に飛跿乃が目に入った。椅子に縛り付けられた飛跿乃は体を揺さぶらせるが、それを背の低い女の子が抑えた。
「急に元気になって。この人が貴方の師匠? 本当に人間だったんだ」
「そうですよ、だから何度も言ってるじゃないですか。私は戸張君を探しに此処に来て、明天先生も心配してるんだって」
「信じられるはずない。だって貴方、妖怪なんだもの」
少女は飛跿乃の頭頂部に立つ、丸みのある長い耳を引っ張った。それを痛がる飛跿乃から、妖怪ではないと否定する余地もない。
飛跿乃は白兎の妖怪だ。だが、そこらの子供よりも貧弱だった。現に少し耳を引っ張られただけで、もう泣きそうになっている。
「いじめは良くないってママに教わらなかったか? お嬢ちゃん」
「ママなんてとっくの昔に死んだからね。そんなの教わったか覚えてないな。今、覚えてるのは、楽しかった記憶と、苦しみと痛み、それと……戦う力だけ」
少女は飛跿乃の耳から手を離し、その手で近くの壁を小突いた。明天はそれを即座に察知し、後方に退いた。
明天の眼の前に火柱が現れた。火柱は天井まで届くと、すぐに勢いがなくなり消えていった。再び視界に少女と飛跿乃、そして、いつの間にか彼女たちの後ろに背広を着た老いた男が立っていた。
「外しましたね。この男、只者ではないようです」
「妖怪を連れてるんだから当たり前。でも、焦げ跡1つ付けられないなんて屈辱だ」
少女にも老人にもまだ余裕が見られた。それが強がりかどうかの判断はしかねたが、明天は最初の一手で少女の力量を測りきっていた。無用なエネルギーの消費は起こりえない、要は大した戦闘力のない子供だ。後ろの老紳士も含めて、誤解を解くことだけに注力することにした。
「馬鹿だな、こんな子供騙しが俺に効くはずもないだろう。無駄な抵抗はやめろ。大人しく飛跿乃を返して、和巳の居場所を教えろ。そうすれば痛い目を見ずに済むぞ」
言葉選びのセンスが最悪だった。どこの悪党かという台詞回しで、まるで誤解を解く気が見えず、逆に挑発しているように取られかねないものだ。案の定、彼らの顔は一層険しくなってしまった。
「なかなか、下に見られたものね。逸郎、徹底的に懲らしめてやろう」
「ええ。もしかしたら、先日の彼らと関係があるやもしれません。ここで企みを暴いておきましょう」
「おいおい、どうしてやる気出しちゃってるんだ……素直に俺の要求に応じてくれ、勝てっこないんだからよ」
自分の所為だと理解していない明天に、少女と老紳士は同時に攻撃を仕掛けた。
再びの火柱とダーツのように真っ直ぐ飛んでくる紙のような物体。明天は火柱を先程と同じように避けながら、顔面に向かって飛んできた紙を指2本で受け止めた。火花が細かく漏れるその紙をまじまじと見ると、その視線を老紳士に移した。
「術符か? それにしてはアレンジが効きすぎてる。『言』の理に火の理も混じってるようだ。本来、術符は『言』の力だけで五行を生み出す、謂わば幻術のようなもんだ。そこに火の理を混ぜるのはしきたりに五月蝿い陰陽連としてはタブーなはずだぜ? おまけに符には『言』が染みきらずに術式が残ってる……よく見たら術式も酷いなこれ。見よう見まねで作ったな?」
明天は淡々と分析したことを述べた。唖然とする一同を気にする様子もなく、続ける。
「あの校章もあんただろ。生徒手帳と学校の張り紙にもひっそり付いてたな。校章を見ると生徒たちの精神をある程度操作できるようになるみたいだ。この術式から応用して、パーソナルに昇華したとみた。だが、腑に落ちないことがある。精神操作の効力が意図的に抑えられてた。自分の理想の学校を作りたいなら、がっつり完全操作してしまえば良いものをどうして……」
「参りました」
老紳士の声が明天の言葉を遮った。
「逸郎?」
少女が心配そうに老紳士の顔を伺った。
「たった一撃で全てを見透かされては敵いません。姉さん、彼は私達のレベルを遥かに上回っています」
「でも、このまま負けるわけにもいかないよ」
「いえ、彼が悪者ならば、私達など一瞬でねじ伏せるでしょう。それだけの力をお持ちのはずです。ですが、それをしなかったということは彼と、その子の言葉が真実である証明になりえます」
「冷静になれる良い年寄りだね、あんたは。いいぞ、もっと言ってやれ」
明天のちゃちゃに少女が鋭い視線を向けた。
「こんなにイラッとさせてくる奴が戸張君の師匠だとは思えないけど……」
「まあ、俺も驚きだがな。あんな真面目で陰湿で人の悪い部分なんてお見通しの野郎が、文句1つ言わずに俺を師と仰ぐんだから」
少女の目が少し緩んだ。そして老紳士の方を向き、互いに無言で目配せすると、少女は飛跿乃を縛る縄を解いた。
「うわーん、しぇんしぇー!」
泣きつく飛跿乃を無視し、明天は2人を見続けた。
「ご理解いただけて何よりだ。そんじゃ、色々教えてもらうぜ」
戸張を知る2人は明天の求めに応じ、今までの出来事をつぶさに語り始めた。