蒼の意思
ピリピリと耳を責め立てる音にいよいよ嫌気が差し、電話に出る。そこから聞こえる声がけたたましいものでないのが幸いだ。この普遍的な声、というか態度こそが彼女の本質であり、狡猾な仮面でもあった。
「あ、良かった出てくれた。また本に夢中になってるんじゃないかって心配してたんだよ」
彼女の指摘は間違いではない。先ごろまで日本の歴史書を読んでいた。その記述の中で気になるところがあり、他の本を探しに出かけようとした頃合いで電話に気づいたのだ。
「用件があるなら早くしてくれ。俺も暇ではないんだ」
「私も暇じゃないよ。この後すぐにバイトだし、使えそうな器は探さないといけないし、やることいっぱい」
彼女の愚痴は必要なものだと割り切るしかない。我々に仮初めの意思が備え付けられていて、彼女のそれに似たものも自分は持っている。それ故に本来の役目というものを忘れがちであり、今しがた彼女はそれを思い出させてくれる切欠となってくれた。
「順調とはいっていないようだな、母様の器探しは」
「うん、残念ながら。良さそうなのはあったんだけど、先に持ってかれちゃったしね」
「なんだそれは。報告されていないが」
電話越しにありきたりなため息が漏れた。彼女の感情は分かりやすくて人間らしい。
「三福さんっていうお金持ちの家で働いてた時のこと、覚えてる?」
人間に備わっているものを完全な形で網羅してるわけではない。自分には記憶という回路が乏しいようだ。それがどうしてか悔しく感じた。
「知らんな」
「じゃあ、かいつまんで説明するけど、そのお金持ちの人が、女の子を監禁してたの。その子、感情も死んでたみたいだから器にしやすそうだったんだ。でも色々邪魔が入って、その子取られちゃったんだよ」
説明を受けても思い出せない。興味がなかったのだとしたら、彼女自体になのか、それとも……馬鹿馬鹿しいことを考えるのはやめた。
「その潜伏は無意味だったというわけか」
「実はそうでもないんだよ。女の子とは別に面白いものを見つけちゃってさ。それで君にお願い」
軽い言い方をするが、重要な御役をさせられるのは明白だ。彼女の次の言葉を待つ。
「羽黒という男を探せ。そして奴の持つ自律理源を手に入れなさい」
口調も声色も一変した。これは咎めるべきことだ。
「了解した。だが、抑えきれていないぞ。常に気を張れ」
「うー、ごめん。やっぱりいつまでも母様を入れてられないよ。こっちも器探し急ぐから、羽黒のこと、よろしくね、蒼見君」
「そちらも抜かるなよ、垂葉」
垂葉よもぎからとの通話が終わった。思考は既に羽黒という男のことだけに集中していた。
安心した。やはり自分は人間ではなく、母様の子なのだ。ただ役目に従い、行動するようにインプットされている。半ば勝手に動く体に任せ、照りつく日光の下に出た。