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ブルーフレア  作者: 氷見山流々
世界と理と
127/253

守銭奴らしく、魔女らしく

 崩壊するビル群から遠ざかるようにして逃げる人々は皆、一様に悲鳴を上げて恐怖を顔に出し、脇目もふらずに走っていた。

 その人の波に逆行して平然とした表情で歩いていた女がいた。キャスケットを深めに被り、端々にある店をじろじろと眺めている姿は不審者そのものだったが、彼女に目をくれる人などいなかった。

「弱い人間にとってこれはピンチなんだろうけど、わたしにとってはチャンス以外のなにものでもないってねー。さあさあウィッチちゃん、今日は絶好の火事場泥棒びーよりー」

 鼻歌を交えながらウィッチは空いている店を吟味していった。

 飲食店や庶民的なブティックが立ち並ぶ商店街であったため、一攫千金とはいかなそうだった。そういった店に入って金品を盗むのも労力に見合わないと思い、価値のあるものが置いてある宝石店やブランドショップなどを狙うことにした。

 逃げる人もいなくなるほど歩いていたが、お目当ての店は見つからなかった。それでも信念は曲げずに一軒一軒注視しながら店探しをしていると、突然肩を凄まじい勢いで叩かれて仰天しながら振り向いた。

「え、なになに、めっちゃビックリしたんだけど」

「すみませんすみません。ほんとのほんとにすみませんなんですけど、どうか、どうかこの私を救ってくださいぃ……」

 泣き声混じりに懇願してきたのは至って普通の若い女だった。ウィッチは理解が追いつかないままに彼女の勢いに飲まれて返事をした。

「あー、うん、なんか困ってるのー?」

「そうなんですよぉ、このティッシュ全部配らないと死ぬほど怒られるんですよ。だから貰ってくださいー」

「この緊急時にそんなこと優先する? 早く逃げないと本当に死ぬよー?」

「だからティッシュがなくならないと逃げられないんですってぇ。もうやだよぉ、ブラック過ぎるよぉ、メイドのバイトしてた時の方が全然マシだった……」

 あまり構っていられる時間もない上に、どこか同情してしまう身上に思えたので、ウィッチは女が持っていたティッシュをカゴごと掻っ攫った。

「ほら、これでティッシュ全部ハケたでしょ。もう逃げなー」

「あっ、ありがとうございますぅ。貴方様は命の恩人です。どうかお名前を教えてください、いつかお礼をいたしますので」

「……いらないから、さっさと行きなよ、しっしっ」

 追い払う素振りをして女を急かした。女は瞳を潤ませながら最後に一礼をして走り去った。そのまま消えていくのかと思ったが、急に振り返りウィッチにも届く大きな声で叫んだ。

「私、垂葉よもぎっていいますー! 覚えててくださいー! 絶対恩返しするのでー!」

「覚えておかないから、わたしのことも忘れてて……」

 ウィッチは小声でそう返して垂葉を見送った。

 構っていた時間以上に疲労が溜まってやる気が下がってしまった。もう選り好みせずに適当な店から金品を盗って帰ろうと思い、目に付いた雑貨屋に向かった。

 その雑貨屋の扉に手が掛かろうとした時、店のガラス窓に何かがぶつかって割れた。同時にウィッチは何者かの気配を感じて、ゆっくりと振り返った。

「久しぶりだな。守銭奴の魔女」

 パンキッシュな容貌のこの女には覚えがあった。

「あー戻ってこれたんだ。どうだったー? 空の旅は」

「サイアクだったぜ、何もかも。思い出すだけで反吐が出る」

 アイシャドウが濃い所為もあって、女はかなり苛立って見えた。

「じゃあ今日はクレームを言いにわたしのとこに来たの?」

「バカかよ。文句だけで済むわきゃねえ。忘れたなんてことないよな、あたしたちの目的」

 ウィッチはカフェで女が語っていたことを思い出した。

「……そうか、この騒ぎもキミたちの仕業ってことねー。でもこんだけのことやったら、わたしはもういらないでしょ」

「ああ、いらない。いらないけど、ムカつく。ムカつくから殺す」

 薄々感づいていたことを直接的な言葉で口に出されて、ウィッチはカゴを静かに置き、懐からメダルを取り出した。

「短絡的な思考の持ち主に殺されるとは思わないけど、戦おうっていうなら付き合ってあげる」

「やる気になってくれりゃ万々歳だ。楽しい殺し合いといこうじゃねえか、魔女!」

 そう叫びながら女はウィッチに突撃してきた。落ち着きを保ちつつ、短い詠唱をした。

「反発と童心、漂って泡沫。バウンス・シャボン!」

 ウィッチの前に巨大なシャボン玉が現れた。ウィッチに向かってきていた女がそのシャボン玉にぶつかると、シャボン玉はクッションのように女を受け止めた後、強い弾力性をもって弾き飛ばした。

「脳みそ使った戦い方できないのかなー、パンクビッチさん」

 露骨な煽りをして、地面に落ちた女に挑発的な視線を送った。

「……人を呼ぶ時には名前で呼べ。あたしの名前は水雲みずくも。煽りたければ、この名を使え」

「水雲? 珍しい名前だねー。虫みたいだ」

「キモい名前だろ? あたしもこの名前が大っ嫌いだ。でもこの名前を否定はしない。水雲っていう名前があたしの存在を示し続ける限り、この名前を付けた親とあたしを蔑んできた世界を憎むことを忘れずに済むからな。何度でもあたしの名前を呼べ。その度、あたしは憎しみを思い出す」

 水雲は立ち上がりウィッチを鋭い目つきで睨む。そんな水雲をウィッチは鼻で笑った。

「なんか拗らせちゃってるねー。それだけ奮するからには、頑張らないとウソだよー?」

「安心しろ。期待には応えてやる」

 自信と怒りが混ざった声で言うと、水雲は右手の人差し指で天を指しながら腕を回した。

 ウィッチの視点からは何も起こっているようには見えなかった。ただ、意味のない行動ではないことは承知しているので、何も起きていない今の内に準備をした。火のメダルを手にして、水雲に悟られないように小さな声且つ早口で詠唱を始めた。

「……鬼の紅衣」

 詠唱を終えてメダルを持ち替えた。風のメダルを手に再び詠唱をするが、水雲に察知された。

「小細工しかけても無駄だぞ!」

 天に掲げた指を全て開くと、それと同時に周囲のマンホールの蓋が夥しい量の水によって吹き上げられた。いくつもの巨大な水柱は衰えることなく轟々と湧き続け、その水飛沫で辺りは瞬く間に水浸しになった。

 ウィッチは異様な光景に見舞われて尚、詠唱を止めなかった。それが水雲の怒りに触れることになる。

「ノンキに呪文を唱えんじゃねえよ!」

 怒号と共に水柱の1つが動き出した。ぐにゃりと頭を垂れると、消防車のホースから噴出されるかのような強さと勢いでウィッチに向かっていった。

 体を飲み込むほどの巨大な水の塊だったが、間一髪で詠唱を終えてウィッチは空に飛んで回避した。空に浮遊しながら、水雲と水柱の位置を確認した。

 水雲のパーソナルがはっきりとは分からなかったが、水を使うということだけは確かだった。マンホールから水を出したことから、理によって発現した水を使うのではないように見えた。しかしそれだけの情報を信じて攻めに転じるのも危険であるため、安全な空から水雲を観察することにした。

「こいつ、空まで飛べんのか」

「そりゃねー。魔女だから。ここまで来たら、もう手も足も出ないんじゃない?」

「手も足も出ない、か。くっふふふっ……」

 水雲は水柱の中に飛び込んだ。すると水柱の勢いは増していき、ウィッチの飛んでいる高さにまで届いた。

 ウィッチは水柱から距離を取るが、側面から飛沫を上げて水雲が飛びかかってきた。

「手も足も余裕で出るんだよッ!」

「へー、やるじゃん」

 水雲の体を張った特攻をウィッチは容易く躱した。哀れに落下していく水雲に視線を送りながら、追撃の理を放った。

 火球による追撃は水雲にまっすぐ向かっていき直撃するかに思えたが、水雲の体を巨大な水流が攫っていき、火球はその水流にかき消された。

 水雲を攫った水流は大きな螺旋を描くようにして上昇していき、気付けばウィッチはそれに包囲された。水流の中から水雲はウィッチに向かって中指を立てた。

 ウィッチも対抗して中指を立てると、水雲が水流から飛び出して罵声を吐きながら落ちていった。

「水に飲まれて死ね、アバズレ!」

 螺旋状の水流がウィッチに迫ってきた。ウィッチは上空から逃げようとするが、既に塞がっていた。

 水雲が着地する寸前に別の水流がその身を受け止めた。水雲は上空の水流を仰ぎ見た。水塊は徐々に収縮していき、螺旋から球状へと変化していた。激しい流れを保ったまま中にいるウィッチを閉じ込めることに成功していた。

 水雲はそのまま収縮を続けて激流の中で溺死させる算段だった。高笑いをしながら、ウィッチの死にゆく様を見ていたが、何かが弾ける音がした後、その表情は一変した。

「なんだと?」

 水塊が一瞬にして消え去り、その辺りには視界を遮るほどの蒸気が満ちていた。蒸気の中心にはシルエットが1つ、帽子を被り直し手で蒸気を払う仕草が見えた。

「うへえ、サウナみたい。やだやだ」

 蒸気が晴れてウィッチが姿を現す。ウィッチはゆっくりと下降していき地面に着地した。

「……あたしの能力を打ち消したな」

「分かっちゃったー? まあバレたところで困らないけどー」

 巨大な水塊を消したのはウィッチが事前に詠唱した『鬼の紅衣』によるものだった。

 鬼の紅衣は紅蓮のパーソナルそのものであり、彼にパーソナルを教える見返りとして詠唱化させてもらった。その力は自分に向けられた理の攻撃を炎の羽衣によって一度だけ無効にするというもので、強力な理や相性の不利な水の理でさえ完璧に抑え込むことができる。しかも任意で発動させる必要はなく、理が自身に近づくと自動で発動するため、不意の攻撃にも対応できる完全無欠の防衛能力である。

 この最強のパーソナルがある限り、ウィッチに攻撃は通らない。ただし、一度発動させてしまったら、また詠唱して掛け直さなければならない。これがウィッチが使う鬼の紅衣の最大の弱点でもあった。

 浮遊の詠唱『傲慢飛行』の効果も切れてしまい、守りの体制は一から作り直さなければならなかった。ただおめおめと詠唱をさせてもらえるはずもない。そこで『能力を打ち消す』という印象を利用して、水雲の攻撃の手を一旦緩ませる策を取ることにした。

「何をしてもわたしにはもう効かないよー。それが鬼の紅衣の力だから」

「効かないとしてもそれで攻撃しない道理は生まれねえよ」

「へー、いいのかなー。自分で自分の首を絞めて」

 ウィッチは火のメダルを取り出し、指で弄りながら話を続ける。

「わたしのパーソナルって他人のパーソナルを奪うんだよねー。鬼の紅衣も奪ったものなんだー。無意味な攻撃をし続けてくれるなら、奪っちゃうのも簡単かなー?」

 ブラフを掛けて攻めの意思を削ぎにいった。これだけ予防線を張っておけば迂闊な行動は取らないだろうと思った。

 水雲は逡巡するように視線を下げて沈黙した。その隙にウィッチは小声で詠唱をする。

「闘う者、逃げる者、誰もが嬲られ死にゆく地獄。孤独に血を吐き、彼らを憂う。この躯体に偽りはない。この気魂に嘘はない。嗚呼、人とは斯くも儚い生命か。儚く美しく、脆い生き物か。彼らに捧げられるのは血だけだ。烈火の如く赤く熱い、醜き者の血だけ……」

 詠唱が終わりかけたその時、足元のアスファルトが割れて水が吹き出してきた。ウィッチは驚き、詠唱を止めてしまった。

 吹き出た水はウィッチの足を掬う程の強さで水雲の所まで流れていった。そして水雲の足を伝い、腕を這い、手のひらを終着点とすると、そこで球状となり次第に膨れていった。

「……めんどくせえ。うじうじ考えても無駄だ、無駄」

 水雲は眉間に皺を寄せながら言った。

「パクれるもんならパクってみろよ! あたしのパーソナルは『流れ』だ。水の流れを支配する。流れを強くも出来るし、天地問わず何処にだって流れの向きを変えられる。このパーソナルはあたしに憎悪を忘れさせない枷だ。それを外してくれるなら、少しは楽になるかもな!」

 水雲に躊躇いがないことが分かり、ウィッチはかなり焦った。膝まで浸水し、激流で立っているのさえ辛い状況が出来てしまい、これを抜けるには詠唱が不可欠だった。

 ウィッチは再び詠唱を始める。しかし、当然水雲はそれを阻止してきた。

「もう何もやらせねえぞ!」

 激流が向きを変えて、大波となってウィッチを襲った。ウィッチを飲み込んだ波は激しく渦巻きながら空に上っていった。

 ウィッチは逃げ場を失い、打開する手段さえ行使できなくなった。酸素がなくなり、意識を朦朧とさせながらも、懐からメダルを探る。水の理ならば土の理で消すことが出来るかもしれないと考えた。

 何度もメダルを取っては捨てを繰り返し、ようやく土のメダルを手に取ったが、その時にはメダルから理を取り出せるほどの気力がなくなっていた。

 水流にメダルが攫われる。最後の反撃の手段もなくなり、意識も消えていく。

 死の間際には走馬灯が流れるものかと思っていたが、そうでもないらしい。ただ目の前が白くぼんやりとして、曖昧になっていく。世界も、自分も、全てが無になっていく。

 白くなる視界に小さな黒い点が1つ、2つと増えていく。白を蝕むようにそれは増殖していき、それと同時に意識が鮮明になる。

 胸が熱い。熱さを確かめるように、ウィッチは手を胸に当てる。固い物体が服にポケットにあった。それが熱さの正体だった。

 それを手に取った瞬間、何かが自分の中に入り込んできた。異物感は即座に消えて体に馴染んでいき、指先に力が宿る。理を射出するようにそれを外に出すと、世界が色を持って帰ってきた。

 ウィッチを閉じ込めていた渦潮は弾けるようにして消えた。地面に膝をついて落ちたウィッチは暫く下を向いた後、ゆっくりと顔を上げた。

「……おい、なんだよ、今度は。何をした? なんで、そうなった!」

 水雲は声を震わせながらも、声を張り上げて言った。

 ウィッチの瞳は真っ赤に染まっていた。鮮血のような赤は不気味に光を灯しながら、水雲を見続ける。そして、その手には黒煙を吐く漆黒のメダルが握られていた。

 黒煙は直ぐに収まっていき、消えたと同時にメダルが粉々に砕けた。しかし、ウィッチの瞳は赤いままだった。

 動揺する水雲を余所目に、ウィッチは足元に落ちていた土のメダルを拾った。そして淡々と詠唱を始める。

「月が日に喰まれし刻、狂信者の祈りは届かん……」

 詠唱に気付いた水雲は慌てて止めに入る。四方から水柱を使ってウィッチを攻撃するが、ウィッチを土の壁が囲み、水柱を全て受け止めた。

「くっ、そんなもんで守りきれると思うなよ!」

 全ての水柱を使って攻撃するが、その度に土の壁が厚く、高くせり上がって阻む。

「……遍く星々を統べる天空神、黒き想望を叶え、大地を穿つ星を降らさん。八百の天降石よ、滅尽せよ。この地に蔓延る禍の獣共を。業を背負いし憎き人共を」

 水雲は壁の内側から聞こえる声から詠唱の終わりを告げる言葉を聞き取った。

「ファナティカル・メテオ」

 遙か上空に鈍色の巨石が次々と発生した。巨石は重力に従い落下していき、水雲たちのいる場所に雨のように止めどなく降った。

 巨石は例外なく全てを破壊していった。土壁はウィッチを巨石から守るためにドーム状に変形した。それでも完璧な防衛には至らず、立て続けに降る巨石に悲鳴を上げていた。

 ドームが耐えきれずに崩壊したタイミングで、巨石は降り止んだ。開けた視界から見えたのは巨石によって破壊され、跡形もなくなった商店街の残骸。それ以外は何も残っていなかった。

 ウィッチは大きな溜め息を吐いた。瓦礫を避けながら何処ともなく歩く。

「気分悪い……はあ……」

 尚も続く爆破、人々の絶叫。それに加えてサイレンの音が幾重にも鳴る。

「戻らなさそうな匂いしかしないねー……でも、その方がいいのかも。グッバイ、クソみたいな世界」

 空を覆い始めた雲を見上げながら、ウィッチは吐き捨てるように言った。

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