ぜろ子の領域
感情と共に封印されていた力、零子の心を支配していた負の気。絶望の奥底にいた零子が戸張に救われ、多くの人たちに出会い、喜びを知り、生きる活力を得たことでその力は本来の色に戻っていった。
ユカリの死と戸張の心神喪失は零子の意思を芽生えさせ、感情が封印されていた反動もあってか急激的な心の成長を促進させた。
この2つの兆しが交わったことで、零子はその負の力をコントロールできるようになり、唯一無二のパーソナルへ昇華した。
自身に不幸や不運が訪れることで、その力は発動できる。効果は単純。相手にも不幸や不運が不条理に降りかかる。古錦が触手を踏んだことも、受け身を取り損ない顔面を強打したことも、シャンデリアが都合良く落ちてきたことも、零子の能力によるものだった。
シャンデリアの下から古錦が這い出てきた。ガラス片で傷だらけの古錦はふらふらになりながらも立ち上がった。
「クソがっ、またワケ分かんねえことしやがったな、忌神子! ぶっ殺してやる!」
零子は古錦の怒声に怯む様子もなく、悠々と背を向けて歩きだした。
満身創痍とはいえ、隙だらけの零子を見逃す古錦ではなかった。零子の背中を追いながら、バタフライナイフを展開しようとする。しかし、そこで不幸な事故が起きた。
手早く刃を展開させようとするが、手元が狂って刃が指を切ってしまった。指先に予想外の痛みを感じて、思わずナイフを落としてしまった。落ちていくナイフは刃の先端を真下に向けたまま、靴を貫通して足に刺さった。
立て続けに起こるナイフの反乱で、古錦は悶絶しながら身をかがめた。足からナイフを引き抜き、八つ当たりのように投げ捨てた。ナイフは不可解な軌道を描きながら飛んでいき、直立不動のタコ丸の額に刺さった。
触手を吐き出したままのタコ丸の口が更に開いていき、遂には顎が外れて大量の触手が溢れ出てきた。その触手は何故か古錦に向かっていき、瞬く間に体の自由を奪っていった。
「節操がないんだね、タコ丸って」
零子はソファーに座りながら古錦の無様な姿を観賞していた。
「やめろ! バカヤロー! そういうふうになんねえはずだろうが! なしだ、なし! 消えろ、タコ丸!」
そう言い終える前に古錦は触手の全身全霊の力で投げ飛ばされていた。しかし、消えろという言葉通り、触手とタコ丸は一瞬で跡形もなく消えた。
古錦は勢いが付いたまま床に叩きつけられて、加わった力に抵抗できずに転がっていった。ようやく止まることができたが、おかしくなった平衡感覚を取り戻すために目を閉じたままじっとしていた。
元に戻ったことを実感してゆっくりと目を開けた。視界に映ったのは零子の足だった。視線を上げると、真紅の瞳が射殺すような視線を送り返していた。
「てめえ、よくもやってくれたな……」
「私は何もしてない。お前が勝手に自滅していっただけ。恨むなら自分の不運を恨め」
立ち上がる力も残っていなかった古錦だったが、目と口だけは敵意をむき出しにしていた。
「へっ、そうか、そうだな。俺様がこんなガキに負かされるなんてありえねえからな。古錦勇を殺せる奴は俺以外存在しない。そして俺は全てを殺せる、全てを壊せる。この世のあるものは全部、俺の玩具なんだ。お前もちゃんとぶっ壊してやる。心も体も、余すことなくぶっ壊してやりゃッ……!?」
古錦の口から血の塊が落ちた。
「あーあ、舌噛んじゃったんだ。そんな慌てて喋るから。でももうちょっと喋ってよ。教えてほしいこと、あるから。お前たち、私の何を知ってるの? 忌神子って何? 私を捕まえた三福とお前たち、どういう関係? それと……あっ」
零子は矢継ぎ早に問いを投げかけていたが、目の前に起きた変化に閉口してしまった。
古錦が死んだ。彼の口から落ちたのは血の塊ではなく舌だったらしい。それが原因で大量に出血し、窒息死してしまったのだろう。そして、改めなければならないことがあった。
彼は古錦ではなかった。目の前で息絶えた彼は全くの別人だった。見覚えのないこの男は恐怖に満ちた顔をしたまま死んでいた。
「偽者……うーん……」
零子は出来の悪い頭で考えた。だが、色々な出来事がこんがらがって整理がつかなかったので、1つだけ答えを出して考えるのをやめた。
「やっぱり私、運がないな」
死体に一瞥もくれずに零子はその場を後にした。