因縁
鈴星が醸し出す異常な空気に、杏樹は寒気を感じた。最初に相対した時と一変し、目が虚ろで、全体的に痩せこけていた。女子の命とも言える髪の毛も、傷みきってみっともないものになっていた。
そして何より異質さが表れていたのが、彼女の手に握られた鋏だった。一般的な裁ち鋏より一回りは大きく、光沢のない刃には影雪の血とは別にどす黒い血がこびり付いていた。
「ねえ……殺したんでしょ? 並木君のこと」
鈴星は震え混じりの声で呟いた。
「並木……ああ、あの時の。殺されたのですか? いったい誰が……」
「とぼけるなッ!」
突然の怒声に杏樹の体は引きつった。しかし鈴星は一瞬で前の調子に戻り、言葉をぽつぽつと吐いていった。
「並木君を殺したのはあなた……悪を裁くのが並木君の望み……だから叶えてあげるの、並木君のために」
鈴星は覚束ない足取りで杏樹に近付いてきた。手に持った鋏を不規則に揺らし、だからといってそこに意味というものを持たせていないわけではなく、確実に杏樹を殺さんとする強い意志が読み取れた。
杏樹は自分の足元を確認した後、じりじりと詰めてくる鈴星に合わせて後退りしていった。
鈴星とは一度戦っている。その時、既に鈴星のパーソナルがどのような効果を持つのか見当が付いていた。
それにさえ気をつけていれば、負けることはない。杏樹は鈴星の変貌に驚かされながらも、心にはまだゆとりが残っていた。
上昇を続けるエレベーター。重たい空気が充満し、沈黙がそれを助長している。扉の上部にある階層を示すランプも、じれったくノロノロと進み、最上階に着く半分の所にようやく差し掛かろうとしていた。
ここまで止まることのなかったエレベーターだったが、減速してとある階で止まった。扉が滑らかに開いたが、エレベーターホールに人影らしきものは見当たらなかった。
「妙だな。誰もいねえのに、何故こんなところで止まった?」
「そんなの気にしてもしょうがないでしょ。さっさと上行こ、上」
そう言って花凛が閉めるボタンを押そうとした時、ホールの奥から声が届いた。
「おいおい俺様をスルーしようってか? 幼気な小学生をぶっ殺したお前らの仇、古錦勇様がここにいるぜ。ちょっと遊んでいこうや、なあ!」
花凛の手が止まった。忘れたくても忘れられない声に、頼人たちは感情を昂ぶらせた。
その明らかな挑発で、頼人がいの一番にエレベーターから降りようとした。だが、それをか細い手が引き止めた。
「行っちゃダメ。あいつの言葉に惑わされないで」
頼人は振り向き、零子を見下ろした。
「ユカリを殺した奴を見逃すっていうのか?」
「私たちは服部さんを助けに来たんだよ? あれに構ってる暇はないよ」
「だけど……そうだ、あいつのとこに服部さんがいたらどうするんだ? あの化け猫は最上階に服部さんがいるって言ってたけど、それが嘘であの六藤とかいう奴しかいなかったら、それこそ罠じゃないか」
「それを確かめる方法はないな。ここで奴の挑発に乗るか、無視して最上階を目指すか。あまり悩んでる時間はないが」
一同は黙り、互いに顔を見合わせる。結論を出せないことに苛立った頼人が、またしてもエレベーターから降りようとする。しかし、頼人よりも早く零子が降りて頼人を阻んだ。
「みんなは上に行って。私がここに残る」
「ぜろ子? 無茶しないでよ。あたしがここに……」
「大丈夫だよ、花凛ちゃん。私はもう戦えるから。ほら、早く上に行って」
零子は微笑んで平気であることをアピールした。その笑みがいつもの笑みと違うことに皆が気付いていたが、誰もそれを口にしなかった。零子の意思を覆せる説得は誰も出来なかった。
「分かった、任せる。でも、無理だと思ったらすぐに逃げてよね」
零子が無言で頷くのを見届け、花凛はエレベーターの扉を閉めた。
ただ1人残った零子は声が聞こえた場所へ向かう。その胸に多くの思いを秘めながら。