そして錠は弾け飛ぶ
一面に広がる血の海の中心に、屍となったユカリが浮かんでいた。ユカリの傍らには、返り血を浴びて全身が真っ赤に染まった古錦が佇んでいた。
「死ぬってのはどんな感じなんだろうな。痛みは感じたのか? それとも感じることもなく逝ったのか? 頭が破裂する瞬間はどうだ? 俺のことは見えてたか? 最期に見たのはなんだ? 最期に何を考えた? 教えてくれよお……」
古錦は震えた声を出しながら、エニシを見た。血溜まりを踏みしめながらうつ伏せに倒れているエニシの下に行き、足で強引に仰向けにひっくり返した。
エニシは虚ろな目をしていた。それだけだった。
「自慢できるな。世界で何処探したっていないぜ? 完全な死を体験した人間なんてな。羨ましいなあ。早速、感想をお聞きしましょう。えー、クソガキの片割れ選手、頭がぶっ飛んだ直後はどんなお気持ちでしたでしょうか? ……もしもし? もしもーし? シャイなのかな? では感想は後日改めてお聞きしましょうか。気を取り直して、次に参りましょう……どうでござんしょ、観客の皆様?」
正面に顔を向けた古錦の視線の先には、5人の少年たちが呆然と立ち尽くしていた。
「んー、折角だから何を思ってるのか当ててみるか。まずはそこのでかくて目立つ奴、やべー奴だコイツって思ってる。ご明察、俺様は相当キテる。特技は殺人、趣味は嫌がらせ、好きな言葉は悪逆非道。歴史に名を残すシリアルキラーを目指して日々頑張ってまーす。で、その横の……お前は知ってるな。御門杏樹だ。なんでまあ、そんなお嬢様が此処にいらっしゃるかはさておき、お前が思ってることは……いや、何もないな。何かを考える余裕がない、この惨劇を前にして混乱に混乱を重ねて思考が止まってる。ダメだなあ、世界に名を馳せる大富豪のご息女様だってのに、ゆとりがない! そんなんじゃパパも跡を継がせるの不安だろうに。次はその隣の目つきの悪い少年。お前は……難しいな。あー、なるほどな。心を読まれてるんじゃないかと思って、顔に出さないようにしてんのか。あいにくだが、俺様はそんな高尚な超能力は持ってない。でも、結構人の心を読むの得意なんだぜ。マジシャンとか、占い師とか、あと詐欺師とかに向いてんのかもな。そんで、だ。残りのお2人さん、冴えない顔した少年と、イケてるかんじの女子高生。お前らは、分かりやすいなあ」
古錦は嘲笑うかのような表情で、その2人、頼人と花凛を見た。
「くっ、ふふふふ。その顔、大好きなんだ。悲しんでる顔とか絶望してる顔もたまんないけど、一番はその憎悪に満ちた顔だ。そうなんだよ、憎しみや怒りってのは人を傷付けることでしか引き出せないんだ。そんなとっておきの感情を俺様に向けてくれるなんて、嬉しすぎてイっちまいそうだぜ、ハッハハァ!」
「貴様ァ!」
頼人は古錦に飛びかかっていった。しかし古錦の背後から人のような影が飛んできて頼人に当たった。それに覆いかぶせられ、倒れた頼人は飛んできたものを確認した。見間違えかと思い何度も確認するが、それは間違いなく、はな婆だった。はな婆の体には至る所に傷が出来ていて、意識もなくぐったりとしていた
「勝手なことをしてくれるなよ」
古錦の背後には背の高い男が立っていた。
「素直な人間じゃないもんでね。でも、面白いことになりそうじゃないか、六藤くん」
古錦は男の名を強調するかのような言い方をした。六藤と呼ばれた男は古錦を一瞥した後、頼人たちに目を遣った。
「今の今まで、尽く邪魔をしてきた連中を目の前にすると、この私でさえちっぽけな感情が芽生えてしまう。だが、そのババアで少しは発散できたから、大きく揺らぐことはないがな」
六藤は頼人に抱えられているはな婆を冷たい目で見た。
「なんだよ、自分だってやりたい放題やってんじゃねえか」
「あの時の話、しっかり聞いていたか? 要である神宮寺はなの無力化、三福大介の置き土産である忌神子の抹殺。それだけやれば良いところを、お前は色気を出して余計な人間を殺した。まだ我々は目立つ訳にはいかないと言っただろう。私はさんざんお前に注意してきたが、ただ殺したいだけで殺すのはリスクしかない行為だ。自分の欲求を最優先して任務を放棄しようなど……」
「あ-あーお小言は勘弁してくれ。せっかく良い気分になってたっつーのに。テンション下がるぜ」
六藤は呆れたかのように溜め息を吐いた後、辺りを見回した。伏している零子を見つけると、六藤の視線は止まった。
「あれが忌神子か。ちゃんと殺してあるんだろうな?」
「殺してねえよ。使いたくなったんだ」
「……じゃあ責任は持ってお前が連れて帰れ」
「言われなくてもそうしますよ」
古錦は靴音を鳴らしながら、零子に近付いていく。戸張がそれを止めようとするが、銃声と共に戸張の足元に銃痕が出来た。
「良くない癖だ。威嚇発砲は空に向かって撃てと口うるさく言われてたんだが。まあ恐れを知らない子供には此方のほうが意味があるか。次は脳天を撃ち抜く。死にたくなければ動くなよ」
「くっ、零子……」
銃口を向けられ、戸張は動けなくなった。両手を強く握りしめて顛末を見届けることしかできなかった。戸張の歯がゆさを知ってか知らずか、古錦は焦らすかの如く、一歩一歩を踏みしめながら零子に近付いていた。
「かわいいかわいい零子ちゃん。これからずーっと、俺様と楽しいことをいっぱいしましょうねえ、ヒヒヒヒ」
嫌味が篭った声で言う古錦に、戸張は理性の限界に陥れられた。我慢が効かず、体が動いたが、その瞬間、冷たい空気が流れて行動を強制的に止められた。
「あん? なんだこの気味の悪い感じは? ……ああ、そうか。お前のか。忌神子ちゃん」
零子は音もなく立ち上がっていた。赤い瞳が今までより濃くなり、血のような色になっていて、そこから想像できないほど澄んだ涙が溢れ出て止まらなかった。
嫌な空気は増していき、此処にいる全ての者が言い知れぬ不安感に襲われた。危機感を覚えた六藤は素早く銃を零子に向けて発泡した。しかし引き金を引くと腔発が発生し、六藤の手が血に塗れた。
「腔発か……偶然にしては出来すぎている」
六藤は怪我を負いながらも眉一つ動かさずに、破裂した銃を見ていた。負傷した六藤には目もくれず、古錦は笑みを浮かべながら零子を見つめていた。
「おはよう、零子ちゃん。気分はどうだ?」
零子は唇を震わせ、涙に潤んだ瞳からは突き刺さるような視線が古錦に送られていた。
「怖いなー、そんな目で俺様を見ないでくれよ。怖さのあまり……殺したくなっちまうだろ!」
「黙れ!」
零子が一喝すると同時に、古錦の右手が爆音と共に弾けた。肉片が散乱し、手首からは血が噴き出ていた。
古錦は情けない悲鳴を上げ、手首を抑えながら転げ回った。
「痛え、痛えよ! 手が、ああ、なんでだ、チクショウ!」
「殺す。私の大事な人を奪ったお前は、お前だけは殺してやる!」
頼人たちは冷たい空気が引いていくのを感じた。肌に触れるその感覚は消えたが、目に見える形で存在し続けた。古錦を囲うようにして漂う黒い靄は見た視覚からも嫌悪感を抱かせるものだった。
黒い靄の一部がチリチリと小さな音を立てて歪む。すると、歪んだ部分が閃光を放って爆発した。それを皮切りに靄が次々と爆発し、古錦は炎と黒煙に包まれた。
爆発が終わると、零子は突然意識を失って倒れた。不意の出来事に戸惑う頼人たちだったが、六藤は動じた様子もなく、炎と煙に近付いて、その中に手を突っ込んだ。血塗れになった古錦を引っ張り出すと、自分より体格のある古錦を苦もなく担ぎ、頼人たちに向き直った。
「これが負の力か。恐らく三福が殺さずにいたのも、危害を加えたら己にそれが返ってくると考えたからか。もういい、忌神子は諦めよう。しかし、危険因子は可能な限り排除しなければ」
遠くからサイレンの音が聞こえてきた。騒ぎに気付いて、警察が来ているようだ。
「此処で始末したいところだが、そうはさせてもらえないようだ。だが、逃げ隠れはさせない。服部刑事を預かっている。返してほしくば、一週間後、彩角プリンスホテルに来い」
六藤はそう言い残し、人を担いでるとは思えない身軽さで去っていった。
サイレンはもう近くまで迫り、赤い光が夕日と混じり合っていた。頼人たちはどうすることもできずに、惨状の中で放心していた。