獅子は豚を嫌悪する
洋風の館の中に何故か場違いな道場施設で、杏樹と花凛は特訓に励む。
杏樹のスパルタ指導に体力馬鹿の花凛も疲れが見えていた。
「ちょっと、休憩しよ、休憩」
花凛は如意棒を杖にして、肩で息をしていた。
「もう少しで形になるのですから、音を上げずに踏ん張ってくださいまし」
「こうも疲れると集中出来ないっての。外の空気、吸ってくる」
花凛は杏樹の言うことを聞かずに道場から出た。道場を出てすぐにあるフラワーガーデンをふらふらと歩いて噴水の近くのベンチに寝そべり、青空を仰ぐ。
体力回復のため、無駄に動かず放心状態で寝ていたが、どこからか太い声をぶつけられて意識を取り戻した。
「なんだお前は! おい、誰か! 薄汚いドブネズミが入り込んでるぞ!」
体を起こし声のする方を見ると、小太りの男が目の前に立って喚き散らしていた。
「誰がドブネズミよ、豚野郎」
「豚だと! コイツ……僕のことを……」
男は全身を震わせ、丸い拳を顔の横に構えた。
「殴るんだ? そんな豚まんみたいなお手てで。あー痛そーだなーブヒブヒパンチちょー痛そー」
「ぐっ……馬鹿にしやがって!」
脂ぎった蹄が花凛の顔面に襲いかかろうとしたが、寸前の所で止められた。豚の前足を掴んだのはいつの間にか2人の間にいた左京だった。
「統爾様、この方は杏樹お嬢様のご学友でございます。どうか、ご無礼をなさらぬよう」
「離せ、左京! 主人に逆らうな!」
「私が仕えているのはお嬢様ただ1人でございます。なので、統爾様のご命令に従うことは出来ません」
「ちっ、クソが!」
左京は掴んだ腕の力を弱めると、統爾がすぐに振りほどき、不機嫌そうにして去っていった。
「ここってペットは放し飼いなの?」
花凛の皮肉を込めた言葉に、左京は眉一つ動かさず淡々と答えた。
「あの方は杏樹お嬢様の兄上様でございます」
「お兄ちゃんなんていたの? この前、ご飯食べた時はいなかったじゃん。お父さんもいなかったけど」
「厳一郎様はご多忙でありますから、ほとんと屋敷にいることはありません。統爾様は、常に屋敷にいらっしゃいますが、お嬢様やエリカ様とお食事を取るのを嫌っておりまして、自室でお食事を済ませているのです」
「嫌ってるって、思春期拗らせすぎでしょ。一匹狼気取った豚とかどんなギャグよ」
「これ以上は話せませんが。複雑な事情があるのです。どうか不必要にご詮索をなさらぬようお願い致します。それと、統爾様を侮辱するのもおやめください。お嬢様が悲しまれますので」
杏樹が何故、あの不遜な豚を庇うのか理由は分からなかったが、これ以上の深入りを許すまいとする左京の目を見て、考えるのをやめた。
「ではそろそろ道場に戻りましょう。お嬢様もお待ちですので」
「はーい……」
立ち上がるタイミングで、携帯が鳴る。頼人からの電話だった。
「もしもし?」
何気なく電話に出ると、頼人は挨拶もなしに慌てた様子で言う。
「ぜろ子がいなくなった!」
大きな声だったので左京にも聞こえたようだ。眉間に皺を寄せて、花凛を見ていた。
「なに、どういうこと?」
「戸張くんから電話が来て、神社にいたのにどこにも見当たらないって。だから、みんなで辺りを探してる」
「分かった。あたし、杏樹と一緒にいるから、あたしたちも探してみる」
花凛は電話を切り、左京と共に道場に走って戻った。道すがら、杏樹も此方に向かってきて、その顔を見る限り、零子が失踪した連絡を受けていたのは分かった。
「花凛さん、ぜろ子さんが!」
「うん、頼人から電話きた。とりあえず、神社の方に行きながら探そう」
「はい。左京、あなたは大和近辺で不審人物がいないか探しなさい。ただし、見つけても深追いをせず、すぐにわたくしに報せるのです」
「かしこまりました」
休む間もなく現れた不穏の予兆に、花凛たちは焦っていた。誰しもがまだ、最悪の結果を想像すらせず、歯車は廻る。