正義の末
薄汚れた雑居ビルの一室。物1つ置かれてない上に、明かりもなく、窓から溢れる夕日の儚げな光だけが部屋の中にアクセントをもたらしていた。
「……報告は以上です」
作戦が失敗に終わったことを淡々と告げた並木は、主に顔を向けずに黒ずんだ床の1点を見続けていた。
「そうか。敵も中々のやり手だったということか。とはいえ、キミたちが無事で良かった。お疲れ様」
労いの言葉にも、並木は反応を示さなかった。今の並木は失敗を慰められることも、咎められることも、等しく無意味だった。
「しかし、彼らを倒せなかったのは問題だ。今後はより警戒を強めてくるだろうし、此方の手の内もばれてしまっている。はっきり言ってしまうと、もうキミたちだけでは彼らに正しき裁きを下すのは難しい。だけど、心配はいらない。神は正義を見捨てはしない。正義の名の下に、同志は集う。これは必然なのさ」
錆びたドアの悲鳴が聞こえた。広い部屋の中に高らかに響く靴の音。それが並木の横を通り過ぎると、主の側で止まった。
「紹介しよう。古錦勇。新たな正義の使者だ」
並木は力なく顔を上げて、紹介された人物、古錦を見る。面長で痩せこけた顔をしていて、そのせいか出目気味の瞳が際立っている男だ。
「これからは彼の力を借りて、正義を実行する。見てくれはこうだが、実力は折り紙付きだから、彼を頼ってくれていい」
「よろしくな、笹本クン」
古錦は並木の前に出て、左手を差し出して握手を求めてきた。並木は何の気もなく、それに応えようと手を差し出そうとしたが、古錦の手を見て、手が止まった。
握手を求める彼の手の甲には赤い火傷の痕があった。それを見た瞬間、フラッシュバックのように記憶が蘇った。駅のホーム、野次馬の中、去っていく男が1人。その男の手の甲には火傷の痕がくっきりと残っていた。
「あ……」
古錦の正体を指摘するために上げた声だったが、そこで言葉が止まった。代わりに口からは血が流れ出てきた。
痛みに気付いて見下ろすと、胸のあたりにナイフが深々と刺さっていた。そしてナイフの柄を握っていたのは古錦の右手。古錦はニヤついた表情を並木に見せつけた。
「駄目だぜ? そんな顔、俺に向けちゃ」
古錦はナイフを乱暴に引き抜いた。それと同時に胸から血が止め処なく溢れ、並木は無様に倒れた。
並木の意識は薄れていき、視界はぼやけて何も見えなくなった。薄れる意識の中、並木が思い出したのは、駅で古錦を見つける前、線路に落ちた老婆を助けたことだ。
「そう……だ……正義は……ここ……に……」
誰にも聞き取れない声を漏らし、並木は絶命した。
「……おい、何故殺した?」
古錦に向けられた声は僅かに怒りが込められているだけだった。
「やっぱよお、嘘吐くのは良くないと思うわ。何が正義だよ、馬鹿じゃねえの?」
古錦は歪んだ笑みを向けて言った。
「……お前の所為で計画が無茶苦茶だ」
「だからよお、そうやってちまちまちまちま、コスいことしてたってイイコトねえんだって。そろそろ表立ってヤり始める時期なんだよ、六藤」
沈みかけた太陽の残光が、並木の主、六藤の眼鏡に反射する。彼の心中を物語るのは僅かに下がった口角だけだった。