死を越えて
伏水日奈美は倒れた後、二度大きな痙攣を起こして動かなくなった。胸と口からは大量の血が溢れ続け、血溜まりは見る見る内に広がっていった。
花凛と杏樹は血溜まりを踏み越えて、日奈美の側にまで来た。花凛が日奈美を抱え起こして呼びかけるが、全く反応を示すことはなかった。
「ねえ、センパイ! センパイったら! ……ウソ、でしょ? 返事してよ、ねえ!」
杏樹は動転している花凛から奪うようにして日奈美を取り上げて、傷口を見る。体の中心から僅かに左に逸れた位置、心臓のある部分に穴が空いていた。そこから止め処なく溢れ出る血の量を見ても、日奈美が死に絶えたことは明らかであった。
「……駄目です」
杏樹は力なくそう言った。
「そんな……センパイ、死んじゃったの?」
花凛は声を震わせて問う。杏樹はどうとも答えることは出来ず、ただ日奈美を見ていた。
「死んでないよね? まだ助かるよね? なんか方法あるでしょ? ねえ、杏樹!」
「わたくしたちに出来ることはありません。生徒会長殿はもう……」
「まだ分かんないでしょ! そうだ、救急車呼ぼう。お医者さんに見せれば、助かるかもしれない。」
花凛は携帯電話を取り出して、電話を掛けようとした。しかし、あまりにも動揺していたせいか、携帯が手からすっぽ抜けて地面に落ちた。それを慌てて拾おうとするが、先に何者かが拾い上げた。花凛は視線を上げた。
「いやはや、間一髪と言ったところですかな」
携帯を拾ったのは鳳理事長だった。理事長は呼び出しかけていた電話を切り、花凛に返した。
「なんで切っちゃったの? 救急車呼ばなきゃセンパイは……」
「獅子川さん、落ち着いてください。貴方が思っているほど、深刻な事態に陥ってはいません」
「はあ? こんな状態で深刻じゃないって……」
「花凛さん、理事長のおっしゃる通り、一旦落ち着いてくださいまし。何やら理事長には生徒会長殿を救う術をお持ちのようです」
杏樹は理事長の恐ろしく平静な姿を見て、このような事態が彼にとって緊急性も異常性もない、ありふれた出来事でしかないことを悟った。現状、自分たちに出来ることはないので、解決方法を持っているであろう理事長に全てを委ねるのが懸命だった。
杏樹に宥められ、花凛は「ごめんなさい」と小さな声で言った後、口を噤んだ。理事長は微笑みを花凛に向けた後、杏樹が抱える日奈美の前で膝をついた。
「御門さん、姉さんをこちらへ」
理事長に促され、杏樹は日奈美を渡した。理事長は日奈美の顔をじっと見つめた後、日奈美を地面に仰向けに寝かせた。
「離れててもらいますでしょうか。少々、危険なことをしますので」
花凛と杏樹は理事長に従い、日奈美と彼女の側に立つ理事長から離れた。
「はい、その程度で大丈夫です。それでは……」
理事長は懐からマッチ箱を出し、慣れた手つきでマッチに火を点けた。そして2、3歩後退りした後、小さな火の点いたマッチを日奈美の体の上に落とした。
日奈美の上に落ちたマッチは急に火の勢いを強めて、一瞬にして日奈美を包み込むほどの大きな炎になった。あまりの出来事に理解が追いつかない花凛と杏樹は唖然として燃え盛る炎を見ていた。
暫くすると、天高く燃えていた炎が弱まっていった。自然に炎は消えて、黒く積もった灰が残った。その灰がもぞもぞと動き出すと、山の裾野から足が1本飛び出した。次いで、もう1本足が出てくると、その両足を地面に立てて直立した。
舞い上がる灰の中から、裸の少女が現れた。顔を隠すほどに長く伸びた髪に灰が大量に付着していて、それを振り払うように何度も大きく頭を振った。ある程度灰を振り落とすと、髪を掻き分けて顔を露わにした。
花凛と杏樹はその顔を見たが、この少女に見覚えはなかった。全く見知らぬ少女が灰の中から現れたのだ。少女の出現が2人を更に混乱させたが、理事長は驚くこともなく、裸体を晒す少女に自らのジャケットを着せてあげた。
「鏡」
少女はぶっきらぼうにそう言うと、理事長は手鏡を取り出して少女に向けた。少女は髪を手でときながら、まじまじと自分の顔を眺めた。
「悪くない顔。でも、相変わらず背は低いなあ。70点ってところかな」
「これでいきますか?」
「うーん、とりあえずこれで。それにしても、タイミング悪いったらない。伏水日奈美として、ちゃんと卒業してからじゃないと、周期がズレるのに」
「加えてですが、伏水日奈美がいなくなることで、学園側でも色々と不都合が生じてしまいます。それに関しては一度……」
「あ、あのー。もしもし?」
淡々と話を進める理事長と少女に、花凛が割って入った。
「状況をいまいち把握できないんだけど。何がどうなって、あなたはどちらさま?」
花凛は少女に視線を向けた。
「私? 私は……あー、今度はなんて名前にしようかな。この顔に合いそうな名前……」
花凛の質問に答えることも忘れて、少女は黙考してしまった。
「いやいや、なんなのよ。なんで名前を今考えるのよ。もう、何もかも分からなすぎて頭が割れるー」
苦悩する花凛を余所に、杏樹は今起きた出来事を整理し、大凡の見当をつけた。それを確かめるべく、理事長に問いかけた。
「あの方は生徒会長殿で間違いありませんね?」
「ええ、そうです。まあ生徒会長であった伏水日奈美の人生は終わったのですが」
「やはりそうですか。何度も学園生活を送ってこられたのは、年を取らないからではなく、姿を変えることが出来たから。しかし、姿を変えるには一度死に、炎で体を燃やさなければならない。こういったところでしょうか。有りていに言えば、彼女は『転生』のパーソナルを持っている、と」
「ご名答です。補足すべき点がいくつかありますがね。それについては今はよしておきましょう。私ももう疲れましたし、あなた達もお疲れでしょう」
「ええ。ですが、頼人君たちが気になります。探しに行ってきますわ。花凛さん、もう頭をお抱えにならなくて良いので、頼人君を探しましょう」
「うーん、まだ脳の処理が追いついてないけど。とりあえず、センパイが無事だったから良しってことなのかな? そんじゃあ、頼人を……お……?」
花凛は目の前が霞んで、体に力が入らなくなるのを感じた。体が言うことを聞かず、手をつく暇もなく倒れると、微かに聞こえる声を最後に意識が消えた。