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ブルーフレア  作者: 氷見山流々
新たな扉と出会いの日々
1/253

いち、にのはじまり

 その春は突然、訪れた。

 彩角市の大和区にある鳳学園。本日は土曜日だが、この学園では半日の授業がある。

 高等部2年C組の長永頼人(おさながよりと)は1限から帰りのホームルームまで、特筆すべきこともなく、平凡に過ごした。学年が上がったからといって、やっていることは以前と何も変わらない、そんなことを思わせた。

 頼人は帰宅する用意をしていると、脳天に響く、快活な声が襲ってきた。

「頼人! 今日だよ、今日!」

 声の主、獅子川花凛(ししかわかりん)はニヤニヤと笑みを浮かべて、頼人の背中を何度も叩いた。

「ちょっ、何だよ、いきなり。今日がどうかしたのか?」

「『どうかしたのか?』ってもしかして、忘れたの? あんなに楽しみにしていたのに」

 語調の強さから、ご立腹なことが分かった頼人は顎に手を当てて、自分の記憶を辿った。

「うーん、と……花凛の誕生日……だったっけ?」

「違うわよ! あたしの誕生日は8月! 毎年祝ってくれてるじゃん」

「いやそれは毎年毎年、誕生日だから祝えって花凛が言うから……」

「何よ、うら若い乙女の誕生日を喜んで祝えないの?」

 花凛の声がだんだんと大きくなっていた。慌てる頼人だが、話がずれて要らぬことで逆鱗に触れるのが嫌だったので話題を戻した。

「まあまあ、そんなことよりもほら、今日なんかあるんだろ? ヒントをくれたら思い出すかもしれないからさ、ヒントをくれよ」

 強引に話題を引き戻されて、少し腑に落ちない様子の花凛は口を尖らせながら頼人にヒントを与えた。

「10年前のことよ。これで思い出すでしょ?」

「10年前? 小学1年の時……」

 必死に思い出そうとするが、全く何も出てこなかった。頼人は自分の記憶力のなさを恨んだ。

「ごめん、思い出せない」

 申し訳無さそうな顔をする頼人に花凛も強く当たることはなかった。

「もう、しょうがないわね。答えは……タイムカプセルよ」

 これでも思い出せないか、と言わんばかりに鼻息を荒らげて言い放った。頼人はポカンと口を開けていたが、次第に思い出したのか、より大きく口を開いて叫んだ。

「思い出した! タイムカプセル埋めたな。確かオバケケヤキのとこに、だよな。今日だったのかあ」

 花凛は頼人が思い出したようでひと安心した。

「忘れちゃうなんてヒドイじゃない。折角2人で考えたのに」

「いやー、だってタイムカプセルって卒業の時期にやるものじゃん。そりゃ簡単に思い出せないって」

「そうかもしれないけど、あたしたちのタイムカプセルはそういうタイムカプセルじゃないでしょ?」

 花凛は得意げな顔をしてみせたが、頼人は合点がいかないようだった。

「あー、なんだっけか。10年後の自分へのプレゼントだったっけ?」

「んー、そうだけど、もっと意味のあるもの! とにかく行くわよ」

 花凛はこの場に留まっているのが煩わしくなり、頼人の腕を掴んで、教室を出ようとした。頼人は慌てて自分の鞄を取り、花凛に連れて行かれることにした。

「今から行くの?  一旦帰って準備してからのほうがいいんじゃない?」

 下駄箱で靴を履き替えながら、頼人は花凛に問いかける。

「そういう心配は無用よ。必要な物なんてこれで充分」

 花凛はバッグの中から小さなスコップを取り出した。

「もっと大きいものを使ったほうがいいんじゃ……」

「なに腑抜けたこと言ってんのよ。工事するわけでもないんだから、これくらいでいいの」

 頼人は一理あるな、と思いつつも、どう見ても砂遊びに使うようなスコップで掘るのは面倒だな、という気持ちもあった。しかし花凛が10年前の贈り物を待ちきれないでいる様子を見ると、返す言葉はなかった。2人は駐輪場に停めてある自転車に跨り、学校を後にした。


 タイムカプセルを埋めた『オバケケヤキ』とは頼人と花凛が住んでいる浦野区の、小高い丘の上にある巨大な木のことである。大きさもさることながら、細長い指のように伸びる枝と幹の模様が怨霊の呪いでも授かっているように見えて、非常に不気味であった。そのため、子供たちはオバケケヤキに近寄ろうと考えることはなかったのだが、2人はそれを逆手に取った。ある程度時間が経ってもいたずらに掘り起こされることはないと踏み、タイムカプセルを埋めることにしたのだ。

 オバケケヤキまでは途中まで帰宅に使っている道を通る。雲ひとつない快晴の空の下、河川敷を自転車で駆け抜ける2人。

 前を行く花凛になんとかついていっている頼人は一生懸命にペダルを漕ぎながら、10年前に埋めた物を思い出そうとしていた。

(手紙を入れたのは覚えてるんだけど、肝心の物がなあ。玩具とかは入れた覚えないんだけど……『意味のある物』って花凛は言ってたけど、意味のない物なんて入れるか? いや、あいつがあれほどもったいつけてるんだから凄く意味のある物ってことなんだろうな。うーん、分からない。思い出せない)

 何度考えても思い出すことはできなかった。しかしそれで良い気もしてきた。分からない方が中を開けた時の感動は大きくなるだろう。頼人は思い出すことを諦め、無心で自転車を走らせた。

 河川敷から離れ、住宅街を抜けていく。家々が立ち並ぶ中心に、オバケケヤキの丘があるのだ。

 その禍々しい巨木は遠くからでも認識することができた。周囲にある木々とは一線を画している出で立ちで、鎮座するそれはこの街の支配者のようだった。

 丘の下に着くと、自転車を停めて歩いて上がっていった。勾配は急ではないが、頼人は花凛についていくのに必死だった。2人とも部活に入って運動能力を鍛えてるわけではない。しかし花凛は人一倍の体力を持ち合わせていた。子供の頃から男たちに混ざって遊んでいたり、対等に喧嘩したりしていた花凛は、根っからの体力バカだった。

 悠々と進んでいく花凛と息を切らしながら後を追う頼人はさながら、主人を蔑ろにて爆進する犬とそれに振り回される飼い主のようだった。

 ようやく丘の上にたどり着くと、花凛は興奮を抑えきれずにオバケケヤキに走り寄っていった。頼人はカバンに入っている水筒を取り出して、貪るように飲んだ。

「えっと、確かこの辺りだったかな? おーい、頼人! 早くおいでよ!」

 頼人は返事をすることもなく、呼び声の下へのそのそと歩いていく。

「なに、疲れてんの? 体力ないわね」

「お前と比べたらほとんどの人間は体力ない部類に入るぞ」

「減らず口は叩かなくて結構。さあ、掘り出しに入るわよ」

 スコップを頼人に渡し、キョロキョロと地面を見出した花凛に頼人は疑問を問いかけた。

「スコップ、一つしかないのか?」

「うん、だから、頑張って」

「いやいやいや、肉体労働は花凛担当だろ!」

「タイムカプセルのことを忘れてた罰よ。甘んじて受け入れなさい」

 頼人は言い返すこと言葉が思いつかず、唸った。

「じゃあ、とりあえずここから掘ってね」

 ほくそ笑んだ顔を向けながら花凛は指図した。

「はい分かりました……って、とりあえずってなんだよ」

「とりあえずはとりあえずよ。なかったら違うところ掘るんだし」

「はあ? 埋めた場所覚えてないのかよ」

「目印に石積んでたはずなんだけど、なくなってるのよ。しょうがないから、勘」

 何か言ってやりたい気持ちがあったが、言ったところで意味などないと悟った頼人は黙って指示された場所を掘り出した。

 幼児が使うようなスコップであるため、土になかなか刺さらず苦戦した。

「なあ、これかなり時間かかるぞ。冗談抜きで日が暮れるって」

「一発で当てれば、問題ないじゃない」

「その一発を花凛の勘で引き当てられるのか……」

 次の場所の品定めしていた花凛は頼人の方に向き直り、鋭い目つきで睨んだ。これ以上、無駄口を叩いたら武力行使に出る、そんなことを語っている目だった。

 その強烈な眼光に一瞬動きが固まってしまった頼人だが、その意味を悟るとスコップを握り直して力任せに掘り進めた。

 しかし、いくら掘ってもタイムカプセルの気配はなかった。深さから考えても、もうこの場所にはないことは明らかだった。

「ここじゃなかったかあ。そんじゃ、次、あそこね」

 頼人の横で作業を眺めていた花凛は立ち上がって次の場所に歩き出した。頼人は急いで穴を埋めて、よろめきながらも立ち上がって花凛の示す場所へと作業場を移した。

 思った以上に疲弊していた頼人に気付いた花凛は、自分の鞄からペットボトルを取り出して頼人に渡した。

「おお……悪いな……」

 感謝の言葉を辛うじて伝えると、キャップを力無く開けて、一気に飲んだ。体力が少し回復して、生気を取り戻すと、大きく深呼吸してから作業の体勢を作った。今度の場所は土が柔らかかった。もしかしたらと期待も高まり、掘り進める手は速くなっていた。

 それから何度掘っただろうか。もはや精魂尽きて動く死体と化していた頼人。自分の勘の鈍さにバツを悪くしている花凛。2人の間には不穏な空気が流れていた。

 花凛は最大級の勘を働かせ、タイムカプセルの在りどころを示した。それはオバケケヤキの根元に近い場所だった。

「絶対ここにある。あるったらある」

 花凛は自分に言い聞かせるように呟いた。頼人は指示された場所を、感情を露呈することなく掘り出した。手に力は入っていないが、コツを掴んだのか着々と土が掻き分けられていった。

 スコップが何かを捉えた。不自然な硬さを感じ取ると、頼人の目に輝きが戻った。

「この感触、根っこではない」

 発した言葉に期待が込められていた。花凛も漸く自分の使命を果たせて安堵していた。

 土を除けていくと、薄汚い木箱が現れた。2人は歓喜の声を上げ、互いの顔を見合わせた。

 頼人は慎重に木箱を穴から出した。おぼろげながらも、記憶の片隅にこの木箱を埋めたことを覚えていた。こじんまりとした大きさだが、外装は丈夫な作りをしていて、無事に10年の年月を経ることが出来たようだ。

「やっとお出ましね! ああ、懐かしいなあ。こんな形の箱だったねえ」

 花凛は感慨深げに木箱を見ていた。一方、頼人は中に入っている物が気になって仕方なかった。

「もう開けていいよな?」

「うん、感動のご対面といきましょう」

 木箱の縁の留め具を外し、蓋に手を掛ける。しっかりとはまっているのか、なかなか開くことができずに手間取った。頼人の焦らしに耐えられず、花凛は木箱を取り上げて、力の限りを使い、こじ開けた。

 開いたには開いたのだが、あまりにも力が強かったのか、木箱の中身が散乱してしまった

「うわ、やっちゃった」

「蓋も花凛からしたら繊細に扱うべきものなんだな」

「そんなこと言ってないで、拾うの手伝いなさい。もっかい木箱に入れて仕切り直すわよ」

「いや、もう入れ直さなくても」

「ダメ、なんか感動がなくなっちゃうじゃん」

「ロマンチストなんだな、意外と」

「今頃気付いたの? とにかくやり直しよ」

「はいはい」

 頼人は別に中身が何なのかさえ分かれば趣など必要なかったが、花凛がやけに拘っていたので、茶番に付き合うことにした。

 頼人はまず、封のされた手紙を拾い上げた。拙い字で『10ねんごのわたしへ』と書かれていたので、おそらく花凛のものだと推測した。次にビーズの入ったケースを見つけた。頼人にはこれの心当たりが全くなかったが、花凛が知っているだろうと思い、特別気にすることはなかった。

 木箱の大きさからそれほど多くの物は入っていないことは予想できたので、花凛が拾った分と合わせて、全て回収できた。

 頼人は花凛に手紙とケースを渡した。花凛は集めた品々を行儀良く整理していき、それが終わると再び蓋を閉じてしまった。

「蓋を開けるところからやるのか」

 戸惑いを見せる頼人だったが、花凛は鼻息を荒くして弁明した。

「台無しになったところからやらなきゃ美しくないでしょ? 今度は大丈夫。蓋も緩くしたし」

 頼人はまた中身が放出されることを懸念したが、止めたところでどうにもならないと悟り、花凛に全てを委ねることにした。

 花凛は蓋を慎重に持ち上げていった。杞憂だったか、蓋は引っかかることなくすんなりと取られた。ここで本来ならば、感動が去来するのだろうが、一度悲劇を目の当たりにしたため、それほど心に来るものはなかった。しかし、中に入っている物に頼人は衝撃を受けるのだった。

 小さな箱に収まっていたのは2通の手紙とビーズの入ったケース、そして剥き出しになったナイフだった。

「どう? 少しは思い出した?」

 花凛は頼人の顔を覗き込んだ。驚きを隠せずにいる頼人を見て、してやったりと言わんばかりの表情を浮かべた。

「ああ、思い出した。なんでこんな発想に至ったのか。我ながらアホだな」

「頼人らしくて結構いいと思うけどね。玩具のナイフなんて」

 頼人はナイフを手に取り、じっと見つめた。プラスチックで作られたそれは頼人が子供の時に常に持っていた物だった。

「はい、手紙」

 頼人は花凛から手紙を渡された。そこには汚い字で『10ねんごのぼくへ』と書いてあった。もうほとんど思い出していた頼人にとって、手紙を読むまでもなかったが、過去の自分と向き合えるのは面白いという気持ちもあるし、花凛も自分の手紙を黙って読んでいたので、読むことにした。

『10ねんごのぼく、ぼくはつよくなりたいとおもっていますか? それとも、もうつよくなっていますか? もうつよいならこれはいらないかもしれません。でもぼくのことだからまだよわいとおもいます。だからこのナイフをつかって、つよくなってください。がんばれ、よりと!』

 大まかで曖昧な指標だが、頼人が今まで忘れていた気持ちを取り戻すには充分だった。

 まず、このタイムカプセルの正体。それは10年後の自分が忘れてしまった夢を思い出すためのものだった。子供ながらに夢が消えてしまうのを恐れて、このような形にして未来に夢を託したというわけだ。

 そして頼人がタイムカプセルに入れたナイフ。幼い頼人はナイフを力の象徴と捉え、弱い自分をナイフ自身の強さで補おうと考えたのだろう。しかし、これが与えた頼人への影響は思惑以上のものだった。『強さ』という漠然とした言葉をナイフに託され、果たして今の自分が欲しい『強さ』とはどんなものなのか。悩まずにはいられなかった。

「どうだい頼人クン、子供の自分からの応援メッセージは心に来たかい?」

 横から花凛がニヤついた顔で頼人を伺ってきた。

「まあ、結構心に刺さるな。痛いところを突いてるというか…」

「ほほう、一体どんな内容だったのかね?」

「何というか、もっと頑張れってことが書いてあった」

「何それ、すっごくふんわりしてんじゃん。あんな物入れてたんだから、もっと意味ある内容じゃないの?」

「ナイフ自体に意味なんてない。手紙にも本当に大したこと書いてなかった。大したこと書いてないんだけど、逆に今の俺には難しいんだ」

「ふーん、今の頼人がどうしたいかってことに突っ込んでるかんじ?」

「そうだろうなあ。はあ、自分に悩まされるとは思わなかったよ」

 頼人は大きな溜息を吐き、肩を落とした。制裁に等しいものを食らった頼人とは逆に、花凛はどこか清々しい顔をしていた。

「花凛のほうはどんなこと書いてあったんだ?」

「んーとねえ、教えない」

 概ね予想出来ていた返答だった。いくら花凛だからと言って、乙女の恥じらいというものは多少あるのだ。それでも花凛の顔色から、手紙もあのケースも今の花凛を喜ばせるものだということは分かった。

「……まあいいけど。ともかく、無事に過去の贈り物を受け取ることが出来たし、お開きということだな」

「そうね。それじゃあ、穴を埋めなくちゃ」

「そういえば埋め立てるの忘れてた。よし、やるか」

「あたしがやるわよ。頼人はステイしておきなさい」

 花凛は頼人が持っているスコップを掻っ攫い、テキパキと穴を埋めていった。上機嫌だった。タイムカプセルが花凛に相当良い影響を与えたのだろうと見えた。

 花凛が穴埋めをしている間、頼人は手に握ったナイフを見つめて、物思いにふけていた。『強さ』なんていくらでも捉えようのある言葉だ。頼人に足りない『強さ』なんて吐き捨てるほどあった。故に、その中から欲しい『強さ』を探し出すのは困難を極めた。所詮、子供の戯言と流してしまうのも悪くはないはずだが、夢も希望も持ち合わせていない頼人には考えようとせずとも、考えざるを得なかった。何よりそれが「物」として手中に存在する以上、逃れられる道理がないのである。

 終わりの見えない問いに、苛立ちが募り始めた。それを誤魔化そうとナイフを宙に放って、花凛の後始末を待っていた。

「おっし、終わり!」

 花凛はすっと立ち上がり、服に着いた土を払った。

 花凛の終了の合図を聞いた頼人は自分の世界から脱し、花凛の方へ向かっていった。雑な性格の花凛がしっかり仕事をやってのけたのか、確認する必要があったからだ。

「適当にやってないだろうな」

「ごらんなさい、ちゃんと出来てるでしょ」

 埋め立てられた地面は不自然な土色をしていたが、それを除けば完璧に修繕したと思えた。

「ほう、これなら大丈夫か」

「これくらいなら余裕よ。なんならもっと綺麗に出来るしね」

 花凛は謎の自信を見せた。

「でもまあ、此処ってあんまり人来ないし、適当でも大丈夫なんだろうけどさ」

「子供の遊び場にならない以上、よっぽどこの木が気になる人しか来ないかもな」

 タイムカプセルを探してる最中は全く気にしていなかったオバケケヤキを、全てが片付いた後で初めて気にした。

 近くで見ると、それほど恐ろしさを感じる要素はないように思えた。確かに模様が人の顔のように見える気がしたが、見えたところで何かあるわけでもなかった。

 頼人がそれより気になったのは根元の方だった。地表に出ている根の一つに奇妙な膨らみを持つものがあった。他の根はなだらかな形をしているのだが、明らかにこの根だけが病気に罹っているかのように、膨らんでいたのだ。

 その根に近寄り、膨らみを触ってみると、中に何かが詰まっているのかのような硬さだった。

「どうしたの? 何かあった?」

「この根だけ、風船みたいに膨れてるんだよ」

「本当だ。病気なのかな。こんなに立派で丈夫そうなのに」

 花凛は動物を愛でるように木の肌を撫でた。花凛にとっては悪鬼の如く扱われる呪いの木でも、手入れをされた並木道の木でも、等しく慈しむべき自然に変わりはなかった。

「これ、治せないかな? 中に変なの詰まってるなら出してあげたほうが良さそう。頼人、そのナイフ刺してみて」

「いやいやいや、素人の判断でそんなことしちゃダメだろ。ちゃんと専門家に見せるなりして……」

「こんなとこに専門家なんて来ないよ。それに根っこ1つを傷つけるくらいなら大丈夫だって」

 頼人が反論する余地もなく、手に持っていたナイフを花凛は奪った。花凛の自然を愛する心は方向性を間違っていた。

「ちょっと、本当にやるのか?」

「やる。虫がうじゃっと出てきてもビックリしないでよね」

 止めることを諦めた頼人は花凛を見守った。花凛はナイフを逆手に持って、突き刺そうとするが、思いの外、表面が硬くて傷さえつけることができなかった。ナイフがプラスチックというのを鑑みても、これほど硬いものかと驚いた花凛だが、次の一撃はしっかり両手でナイフを握り、勢いよく根に突き刺した。

 ナイフが根の中に侵入したと同時に何かが溢れ出てきた。目には見えなかったが、気体のようなものが出てきたことが感覚で感じとれた。花凛は驚いてナイフを抜くと、それは爆発的に拡散していった。

 衝撃波のようなものが2人の体を貫いた。2人はそれが体に入った瞬間、おぞましさを感じとった。何か暗い感情に囚われそうになったが、体から衝撃が抜けていくと、その感情も共に消えていった。

 2人はしばらく硬直していた。起きたことを理解する過程に至っていなかった。花凛の手に握られていたナイフが不意に地面に落ちた。それを合図に2人の時間は再び動き出した。

「何、今の? 何が起きたの?」

「わ、分からない。根から何かが出てきて、それが一気に目の前に来て……」

 自分の中に侵入した何かを確かめるように、体を触ってみたが、変わったところはなかった。確かに何かが発生したのだが、自分たちにも、周辺にも、影響があった様子はなかった。

「見て、頼人。刺したところが萎んでる」

 花凛の指差す先にはナイフを突き刺したはずの根に傷が残っていたが、風船から空気が抜けたかのように萎れていた。最早、根としての機能を果たすことは出来ないように見えた。しかし、傷口からはまだ、あの気体が漏れているように感じた。

「おい、これ何か出てるよな?」

「頼人にも分かるの? 見えないけど、出てるよね、さっきの」

 そう言うと、手のひらを傷口にそっとかざした。

「うわ、やっぱさっきのやつと一緒だ。なんか変な感じがするし」

 花凛は即座に手を引っ込めて、後ずさりした。あまりの気味の悪さに花凛でさえ、怖気付いていた。

「これ放っておいていいのか? 傷口塞いでおかないと、ヤバいことになりそうな気がする」

 正体不明のガスをその身に実感して、頼人はこれを危険物と判断した。今は自分たちに何も影響はないが、徐々に体を蝕み、侵されていく気がしていた。花凛も頼人と同じ感覚に襲われていたので、処置を施すべきだと思っていた。

「そうね、今の手持ちだとタオルとかで塞ぐくらいしかできないけど」

 花凛は鞄からタオルを取ってきて、根の傷口に当てた。しかし、ガスはタオルを平然と貫通し、せき止めることはできなかった。

「どうしよう、全然止まらない。何か他にあれば……」

 焦りが表情に出始める花凛。頼人も何か策はないかと、必死に考えてみるが、良い案は浮かばなかった。

 打つて無しで呆然としていた2人は、背後から何者かの気配を感じた。ほぼ同じタイミングで振り返った2人の目に映ったのは、冴えない中年の男だった。

 男は2人が気付いていることを意に介さず、しっかりとした足取りで2人へ近づいてきた。

 花凛を背後にして立っていた頼人の目の前に来ると、2人に思慮の暇を与える間もなく、一方的に言葉をぶつけてきた。

「お前たち、ここで何してるんだ? その制服は……鳳学園の生徒か。あそこは風紀を乱すことなどない立派な生徒で溢れていると聞いていたが、このような人気のない場所でよからぬことをしようとしてるんじゃないか? 許せんな、許せんよ。他校の生徒とはいえ、正しい道へと導くのが教鞭を振るう者の使命。私がお前たちの腐った性根を叩き直してやる!」

 まくし立てるように言う男に、2人は弁明はおろか、口を挟むことさえできなかった。

「ちょっと待ってよ! あたしたちは別に悪いことなんてしてない……はず。今はそれどころじゃなくて、大変なの! 木の根から変なのが出てて……」

「悪いことをしている自覚もないのか! 君みたいに髪を染めてる奴はなあ、ろくでなしと決まっているんだ!」

「関係ないでしょ! それよりも話を聞いて……」

「オマケに目上の人間に敬語も使えないときてる。懲罰は免れんぞ」

 聞く耳を持たない男は懐からスタンガンを取り出した。

「ふむ、ちょうどさっき不良どもから預かったスタンガンが役に立つとは」

「ぼ、暴力は良くないと思いますよ。ほら、PTAとかうるさいですし」

 頼人は宥めようとするが、もはや男は言葉を返すことはなかった。スタンガンを構え、2人に目掛けて突進してきた。

 突然の行動に反応が出来なかった頼人だったが、花凛が腕を引き、辛うじて回避した。

「こんな指導方法、うちの学校じゃあありえないっての」

「いや、何処でだってなしだろ! あいつ普通じゃないぞ 」

 2人に避けられた男は、即座に振り返りまた突進してきた。今度は身構える余裕があったため、頼人は自力で避けることができた。花凛は頼人と反対の方向へ避けた。2人で男を挟む形になったが、これが仇となった。男は頼人の動きが鈍いことに感づくと、執拗に頼人を狙った。単調な攻撃を続けるだけで避けるのは容易かったが、確実に体力を奪っていった。

 花凛は気を引きつけようと、男へ近づこうとした。すると男はスタンガンを振り回して、花凛を牽制した。

「不良少女は後で教育してやる。今は大人しく待っているんだな」

 不敵な笑みを浮かべて男はまた、頼人へ突撃していった。

 頼人は体力が尽きかけていた。今はほとんど気合で避けているが、限界はもう間近まで迫っていた。

 それでも花凛を狙わずにいてくれることを頼人は幸運だと思った。自分に固執してくれるなら、その隙に花凛が助けを呼びに行ってくれるかもしれないという期待があった。しかし実際は、花凛は自分を見捨てないでなんとか助けようと苦心していた。

 このままでは1人ずつやられていってしまうと思った頼人は覚悟を決め、男の足止めをすることにした。

 突撃してくる男を身構えて待ち受ける頼人。遂に観念したと思った男は、全力で頼人に向かっていった。

 その迫力で頼人の足は竦んでしまったが、後戻りは出来なかった。

 男が頼人の目と鼻の先にまで来た時、男の頭を何かが強襲した。男は少しよろめき、動きが止まった。頼人は驚きと恐怖が混じってしまい、尻餅をついた。飛んできた物体が頼人の足元に落ちた。それはプラスチックのナイフだった。

「おい、あんたの相手はあたしがしてやるよ」

 花凛だった。花凛がナイフを投げて男の注意を引こうとしたのだった。

「教師に物を投げつけるとは、良い度胸だ。宜しいだろう、まずはお前から教育してやる」

 男は静かに怒りを表した。頼人から目を離して、花凛へと攻撃対象を移した。

 花凛は懲りずに突撃をしてくる男をギリギリまで引きつけ、大振りでスタンガンを叩きつけてこようとした隙を狙い、懐へ飛び込んだ。そして男の腹を渾身の力で殴った。

 完璧に入ったはずだった。しかし、男は余裕の笑みを浮かべていた。勝利を確信していた花凛をスタンガンの一撃が襲った。花凛は悲痛の叫びを上げ、その場で崩れ落ちた。

「腹を狙われることなんて、うちの学校じゃ当たり前なんだよ。そのために腹だけは欠かさず鍛えているんだ」

 男は得意げな表情を浮かべて、花凛を見下した。そして、力が入らずに、膝をついている花凛の胸ぐらを掴むと、花凛は簡単に持ち上げられてしまった。

「頼人……逃げて……」

 振り絞って出した声を頼人は聞き逃さなかった。しかし、花凛を置いて逃げることは出来なかった。大切な親友を見捨てるという選択は存在しなかった。立ち上がろうとするも、足が言うことを聞かず、動けなかった。

 花凛は掴まれている腕を引っ掻いて抵抗した。男の手が緩みかけたが、そこから逃れるほどの力がなかった。

「全く、往生際が悪い子だ。まずは私の鉄拳で、悪しき煩悩を消し去ってやろう」

 花凛の頬を男の拳が襲った。とても筋力がある腕には見えなかったが、その威力は花凛の口から血が流れているのを見れば想像に容易かった。

「ん? なんだこれは」

 殴られた衝撃で花凛の制服のポケットからビーズケースが落ちた。男はそれを拾い、まじまじと観察した。

「ほう、見た目に似合わず可愛らしい物を持ってるな。良いじゃないか。実に女生徒らしい物だ。せっかく良い物を持っているのに、何故君はこんなに素行が悪いのだろう。惜しいな、惜しいよ」

 男はビーズケースを花凛の顔の横に並べて、目を忙しく左右させた。ケースの中で揺れ動くビーズに愛おしさを表したと思えば、隣の金色に染まった髪の不良少女を見て、嘆き悲しみ、男の感情は激しく浮き沈みしているようだった。

「ああそうだ、良いことを思いついた。君が清楚で慎ましい模範的な女生徒になるためにはこのビーズが必要なんだ。爪の垢を煎じて飲むという諺もあるくらいなんだ。美しい心を持つには美しい物を飲めばいいのだよ。我ながら素晴らしいアイディアだ。さあ、更生するためにも、このビーズを飲もうじゃないか!」

 明らかに破綻している理論だった。男が正常ではないと、言動から読み取れていたが、ここで男の常軌を逸する異常性が姿を現した。

 男はケースの蓋を開けようとするが、片手しか使えないため、なかなか開けられずにいた。苛立ちが勝り始めたのか、花凛を地に組み伏せてケースを開けようとしていた。

 頼人への警戒は薄まっていた。今が花凛を助け出す、最初で最後の機会に思われた。

 しかし頼人には不安があった。あの男に勝つ術が思いつかなかった。花凛でさえねじ伏せた力に対抗できるほどのものを持っていなかった。

 落ちているナイフを拾った。刃の先端は男に当たったことで欠けてしまっていた。殺傷能力がほとんどないプラスチックであることを鑑みても、このナイフが劇的な戦力になるとは思えなかった。

 頼人は自分の非力さを悔やんだ。それと同時に、力を欲した。

 好機を活かせず、這いつくばっていることしか出来ない自分に、あの男に対抗しうる力を。願う以上に、心を強く意識した。

 湧き上がる感情に応えたかのように、体中に力が巡っていった。今まで感じたことのない、不思議な感覚に頼人は満たされていた。

 いつの間にか頼人は立ち上がっていた。そして右手に巡っている力が、次第に増幅しているのを感じた。増幅した力は頼人の手から漏れ出した。強い意志から生まれ出た力は眩い光となって正体を現した。仄かに温かく、優しい光だった。

頼人は迷うことはなかった。花凛を助けるために、男に走り寄った。

 気配を察知して男は振り返った。先程まで弱り切っていた少年が、果敢にも攻めてきた。しかも彼の右手は閃光を放っていた。

「この期に及んで、何をする気だ? そんな子供騙しの手品で私が怯むとでも思っているのか!」

 花凛とビーズケースを放り出し、頼人に対峙した。男が体勢を整えるよりも早く、頼人は男に接近した。そして、光る拳を男の顔面に目掛けて、全力で叩き込んだ。

 手応えは頼人の手を覆う光が奪っていた。男に直撃した光は、頼人の手から離れ、男の顔面に吸収されていった。後ろにゆっくりと倒れていく男の顔は、驚きの表情のまま固まっていた。大の字になって倒れた男は、石像のように動かなくなってしまった。

 光を失うと同時に、頼人の体に満ちていた力が消えていった。膝から崩れ落ちそうになったが、寸前で堪えた。

「頼人、大丈夫?」

「花凛こそ……大丈夫か?」

 花凛はよろめく頼人に駆け寄って、肩を支えた。

「うん、大丈夫。一発しか貰ってないし、痛みも引いた」

「恐ろしい回復力だな。俺が助けなくても、自力でなんとか出来たかもな」

「無理よ、だってあいつ、信じられないくらい力強かったもん。それなのに頼人は一撃で伸しちゃうんだから凄いよ! なんだったのあれ?」

 頼人は右手を見つめた。もう何の変哲のない只の手だった。あの時、体の内側から溢れ出した力を説明しようにも、上手く言葉に表せなかった。

「よく分からないけど、花凛を助けたいって思ったら、ああなった」

「全然説明できてないじゃん。まあいいか、助かったんだし。ありがとね、頼人」

 お礼の笑顔は、頼人には最高の褒美だった。頼人もお返しにとばかりに、腑抜けた笑みを浮かべた。

 2人は倒れている男に目を遣った。

「分からないと言えば、この人も分からないな。なんでいきなり襲って来たのか」

「それに何か気持ち悪かった! 間違いなくヘンタイだよ」

「ヘンタイの一言で済むレベルとは思えない。何もかもが異常だった」

「うーん、なんなんだろうなあ。こっちはあんなのに構ってる暇なんてなかったのに……あ!」

 突然何かを思い出した様子の花凛。頼人も遅れて思い出して、顔を強張らせた。

「忘れてた。根をどうにかしなきゃいけないんだった」

「そうそう! ああもう、余計な邪魔が入るから」

 根を見ると、依然としてガスが噴き出ていた。困り果てている2人の前に、新たな人物が登場した。

「おお、こんなところに居てはいかんぞ。『悪意』に飲まれてしまうわい」

 しわがれた声と共に、巫女のような装束を纏った老婆が現れた。頼人と花凛を軽く気遣って、颯爽とガスの噴き出る根に近づいた。

「お婆ちゃん、危ないよそれ。なんか分かんないけど凄く嫌な感じがするの」

「ほう、お嬢ちゃんには分かるのかい。確かにこれは危険じゃ。だからわしがなんとかするのじゃよ」

 老婆は何かが書かれている札を取り出し、タオルを除けて根の傷口に貼り付けた。すると、噴出は止まって、周辺の空気も戻っていった。

「これでもう大丈夫じゃ。安心せい」

「凄いな、お札1枚であれが止まった。婆さん何者なんだ?」

「只の神に仕える老いぼれじゃ。それよりおぬしら、この根を傷付けたのが誰か知っておるか? 懲らしめてやらんとなあ」

 2人は老婆の発する威圧感に後ずさりした。しかし嘘を言うわけにもいかないので、正直に事の成り行きを話した。

「ほうほう、そういうことかい。あそこで寝てるのが襲ってきた輩かい?」

「うん。だけど寝てるって言うより、固まってるかんじだけど」

 咎められることを覚悟していたが、老婆は襲ってきた男に興味を持っていたようだった。硬直している男に近寄って、目を凝らして何かを見つけ出そうとしていた。

「おお、なるほど……これは不幸中の幸いかもしれんのう」

 老婆がニヤリと笑うと、振り返って頼人と花凛の顔を交互に見た。

「おぬしらを襲ったこの男は、根から溢れ出た『悪意』に飲まれてしまったのじゃ。悪意に飲まれると、思考が尖り、己の欲を満たすことしか考えられなくなる。そして悪意は同時に理を目覚めさせてしまい、人並み外れた力を使えるようになってしまうのじゃよ」

「悪意とか理とか一体なんなんだ。さっぱり話が掴めない」

「悪意とはこの星に溜まっている病原菌みたいなもんじゃ。深く考えなくて良い。理は……掻い摘んで言うと星の力じゃよ。この力を操り、超人的なことも出来るようになるのじゃ」

 老婆の言うことに現実味が全くなかった。しかし、真偽はともかく、出来すぎた話に2人は引き込まれていた。

「それじゃあ俺の中に湧き上がってきたのは悪意に依るものなのか?」

「きっかけは悪意なんじゃろうが、おぬしは飲まれてはおらんようじゃ。要は理を扱える力だけに目覚めたというわけじゃ」

「おお、良かった。俺もあの人みたいになるのかと思った」

「ならないとは言っておらんぞ。今後なるかもしれん」

 老婆の一言に頼人は血の気が引いた。

「悪意には飲まれなかったんでしょ? だったらもう大丈夫なはずじゃない」

「人をおかしくするのは悪意だけではないのじゃよ。理も使い方を誤れば、狂ってしまう原因になるのじゃ」

「うわー、じゃあ頼人もヘンタイになっちゃうかもしれないんだ」

 花凛は頼人をちらりと見て、意地悪い笑みを浮かべた。

「お嬢ちゃんよ、おぬしもその可能性はあるんじゃ」

「あたしも? 理とかいうのに目覚めてないのに?」

「こんな近くで悪意を受けたんじゃ。多かれ少なかれ、影響はあるだろうよ」

「そんなあ、ヘンタイになりたくないよ」

 項垂れる花凛の肩に頼人は無言で手を置いて嫌味な表情をした。花凛は歯軋りするばかりでまともに応答出来なかった。

「そこでおぬしらに提案があるんじゃ。このままでは理によって狂ってしまうんじゃが、理に心得があるわしが、おぬしらの理を制御する方法を教えてやろうと思うのじゃ。どうかね、わしの話に乗るかね?」

 老婆の話が耳に入ると、いがみ合っていた2人は大人しくなった。

「こんな意味不明で危険な力をなんとかしてくれるなら、此方からお願いしたいくらいだ」

「あたしも同意見。病気になったみたいで気味悪い」

 二つ返事で老婆の誘いに乗った2人。老婆はしわくちゃの顔をよりしわくちゃにして喜んだ。

「そうかい、良かった。ああ、それとだね。代わりに、と言ってはなんだが、しっかりと理を制御出来るようになったら、この町の悪意に飲まれた人たちの捜索を手伝ってもらうぞ」

「えっ、他にもあの人みたいなのいるの?」

「ああ、おぬしらが解放してしまった悪意はかなりの範囲に広がってしまったのじゃよ。個人差はあるが、悪意に触れて狂った人も出てくるはずじゃ。被害を食い止めるためにはわしの力だけでは足りんのじゃ」

 2人は自分たちの責任を問われているようで心苦しかった。

「あたしたちの所為だもんね。ちゃんと後始末しなくちゃ。手伝うよ、お婆ちゃん」

「そうだよな、謝って済む問題ではないし。やるしかないよな」

「引き受けてくれるか。良かったよ。これで町の平和を守れそうじゃ」

 老婆は2人の返事に頬を緩めた。花凛は覚悟を決めた顔つきをしていたが、頼人はまだ理解出来ないこともあり、少し不安だった。

「そういえば、名前はまだ聞いとらんかったな。教えておくれよ」

「俺は長永頼人って名前です。これからよろしく頼みます」

「あたしは獅子川花凛。ライオンのような強さと花のような美しさを併せ持つ乙女よ! よろしくね」

「頼人に花凛じゃな、覚えたぞ。わしの名前は神宮寺(じんぐうじ)はな。水ノ森神社で神主をしておる」

 老婆の身分が明かされたが、頼人も花凛も神社の名前に聞き覚えはなかった。

「水ノ森神社って初めて聞く名前だけど、どこにあるの?」

「むう、知らぬか……大和と浦野の境目辺りにあるんじゃ。おぬしらの訓練も神社でやるぞ」

「神社で訓練か。修行僧みたいなことさせられそうだな」

 自分たちに課せられる訓練を色々と想像してみたが、どれも現実的なものばかりで、計り知れない力を操るためのものとは思えなかった。

「訓練は明日から行う。今日はもう帰って休みなさい。色々あって疲れておろう」

「今からでもあたしは大丈夫なんだけどね」

「あれだけのことがあってまだ余裕なのかよ。さすが、体力バカだな」

 皮肉を聞き逃さなかった花凛は頼人を睨んだ。頼人は何も言っていないかのような素振りをして誤魔化そうとしたが、軽いデコピンを頂いてしまった。

「なんにせよ、今日はもうお開きじゃ。この男と根の後処理をせねばならんからのう。おぬしらにはこれを渡しておく」

 袖から人型の紙切れを取り出して、2人に1枚ずつ渡した。風に飛ばされそうなくらい薄い紙だったが、微動だにせず手のひらに乗っていた。

「それは式神じゃ。理の力が込められておる。それがおぬしらをわしの神社まで導いてくれるから、なくすんじゃないぞ」

 式神の手がめくれて、挨拶をしているようだった。花凛は式神を摘み、ひらひらと揺らして弄んでいた。

「導いてくれるなんて魔法みたいね。なんだが面白そうね、理の力って」

「呑気なことを言って……まあいいや、とっとと帰ろう。長居すると婆ちゃんの邪魔になりそうだ」

 はな婆は既に男の元で何かをしているようだった。もはや2人に構ってる暇はないと背中で語るはな婆を見て、2人は礼もそこそこに帰路に着いた。

道中では花凛が今日の出来事を振り返ったり、今後のことを話したりしていたが、頼人はそれを聞いているだけだった。

 返事を返す気力もなく、考えるにも何を考えれば良いか分からない。霧の中を歩かされている感覚だったが、後には退けない。何が起ころうと対処していくしかなかった。

 自宅に着いた頼人は、すぐに自分の部屋に入ってベッドに倒れこんだ。そのまま意識は薄れて、深い眠りへと落ちていった。

 かくして、普通の高校生だった頼人と花凛の尊い青春は、人並みならぬものへと昇華されていったのだった。


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