木漏れ日の酒店で
【ギルド地区】
《酒場・月光白兎》
「御目出度ですわ」
「え?」
「いんや、ほなから御目出度ですて。ご懐妊です」
思わずフレースは片手からボレー酒の入った杯を落とし、床に金色がぶちまけられる。
綺麗に磨かれた漆の床に刻まれた規則正しい割れ目に沿って金色は伝い、巨人かと見間違う程の大男の足下へと辿り着いた。
「…………」
「あ、すんまへん、ドルグノムさん」
「…………ン」
巨体の男は硬直するフレースを前に新しいボレー酒を置き直し、雑巾と水の入った桶を持って立ち去ってく。
のしのしと遠ざかっていく後ろ姿を眼に、ケヒトは相変わらず良ぇ店ですなぁと間延びした口調で述べた。
「ちょ、ま、待って欲しいわね、ケヒト。解任ってあの解任? 私、首になるのかしらね?」
「いや、ご懐妊、御目出度。貴方のお腹ん中に赤ちゃん居ります言ぅ話ですわ」
「え……、でも……、その……」
「ヤることヤってますねんやろ? ほら出来ますて」
ケラケラと笑うケヒトだが、フレース本人はそれ所ではない。
彼女の脳内には様々な単語が飛び交っており、完全に思考能力は停止していた。
本当に耳穴と口から黒煙を出すのではないかと思えるほどに、思考能力が様々な単語に圧迫されていたのである。
故に、彼女が出した答えは、非常に単純なもので。
「ににに、ニルヴァーに嫌われたら、どうしよう……」
「…………はぁ?」
元より戦闘を生業とする彼女とニルヴァーだ。
ギルド登録パーティーである[八咫烏]の二人は正直言って、それほど有名ではない。
実際、サウズ王国での仕事失敗が名前に響いたことも影響している。
冥霊や三武陣に比べるとどうしても名落ちしてしまうので、上位下級に甘んじているのが現状だ。
要するに、今は冥霊や三武陣と違って名前で依頼を取れないレベルであるから、より依頼を取って名前を挙げるのが重要な時期という訳で。
そんな時期に戦闘も出来ない状態になれば嫌われるのでは無いか、と。そういう事だ。
「下らんわぁ」
「本当、どうでも良いわね」
と、いつの間にか事を聞いていたユーシアまで加わって。
二人共々からフレースは批評を受ける。
貴方達にはどうでも良くても、自分には死活問題だ、と。
そんな彼女の必死の言葉でさえ、ケヒトとユーシアにため息をつかせることしか出来ない。
「もう知らないのよねぇえええええええええええええええええええ!!」
大泣きしながら去って行くフレースの後ろ姿を見ながら、今一度ケヒトとユーシアは大きなため息をついた。
そんな二人の隣では黙々と地面を磨くドルグノムの姿が一つ。
「ユーシアさんはどう思います?」
「言わずもがな、ってね。私だってドルと結婚してからギルド辞めたしね」
「ドルさんみたいな旦那貰ろうて幸せ者ですなぁ。あんな旦那さん欲しいですわぁ」
「ドルは絶対あげないわよ?」
「馬に蹴られたぁないですんで結構です」
彼女は苦笑、と言うよりは溢れ出る笑みを止めながら椅子に背を預けた。
鼻先をくすぐる良い料理の薫りを嗅ぎながら、彼女は窓の外へと視線を向ける。
そこには転びそうな女性を支える、黒眼鏡の男が一人。
否、正しく言えば。
泣きながら笑顔で抱き付いている女性を抱き締める、溢れ出す喜びに口端を崩す男が、一人。
「……ほんまに、馬に蹴られたぁないわぁ」
「全くね」
「ン……」
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