プロローグ
裏庭に咲いた桜は、これまでにないほど美しく咲き誇り、ボウッとした妖しい光を発していた。
夜中、物音で目を覚ました沖崎晴香は音源を探るために歩き回っていた。
音のした方向から裏庭で何かがあったのだろうとあたりをつけて裏庭へ足を踏み入れたのだ。
そんな彼女が目にしたのは、桜の根元に座る自らの主の姿だった。
「まったく……こんなところで寝ていたら風邪をひきますよ」
至極、いつも通り小言を口にしながら近づくがそれにつれて少しずつではあるが違和感を覚え始める。
それは、べチャッという音とともに水たまりに足を踏み入れた時に決定的となる。
「水たまり? でも、雨なんて……」
今日は雲こそ出ているものの雨は降っていなかった。
水たまりに関しての疑問が解決するよりも先に雲が晴れて月明かりが主の姿を青白く照らした。
「お嬢様?」
桜の根本に座る女性は、青色の着物に身を包み、今にも起きだしそうな穏やかな表情を浮かべている。
しかし、その顔には血の気がなく、腹部からは血が流れ、着物や地面を赤で染めている。
「ウソ……お嬢様!」
自らの足元にある水たまりが彼女の地によって作られたものだと考え付く前に晴香は主のもとへ駆け寄る。
彼女の手を取るが、夕方暖かく自分を包み込んでくれた手はとても冷たく冷え切っていて、脈もなかった。
「そんな……誰がこんなことを」
「俺だよ」
その場に崩れ落ちてしまった晴香の疑問に答えるように桜の木陰から青年が姿を現す。
その青年は、数日前に主の客としてあらわれ宿泊していた人物だ。
彼の手には犯行を裏付けるように血濡れの刀が握られていて、彼自身も返り血を浴びていた。
「どうして?」
「理由を話す必要はない。俺がこいつを殺した。その事実だけ知っていればいい。そうだな。このまま帰るのもあれだから、真実を知る条件を教えといてやる。真実を知りたければ、もっと強くなって俺の前に戻ってこい。今のお前じゃ俺を殺すどころか、一太刀与えることすらできないだろうな。次に会うときは殺すぐらいのつもりで来い」
青年は刀を鞘に納めて立ち去っていく。
晴香はその背中を追いかけようとするが、足に力が入らず、立ち上がることができなかった。
「待って!」
必死に声を張り上げるが、彼は悠々とした歩みで物陰に姿を消してしまった。
晴香はその場にぺたんと座り、敬愛する主の血に身を濡らす。
そんな彼女の目からは一筋の涙が流れ出した。
「なんで……どうして……」
そんな疑問にこたえるものは当然ながらいない。
「なんでこんなことに……」
まったく理解できない。
なぜ、主が殺されなければならないのか? なぜ、彼はわざわざあんなことを言い残したのか? なぜ、なぜ、なぜ、なぜ……
「なんでなのよ!」
晴香は主の亡骸を前に声を張り上げる。
その声は闇に閉ざされた屋敷に響き渡るが、誰かの耳に飛び込むということはなかった。
翌日、偶然訪れたなじみの商人に発見されるまで少女はその場で脱力した様子で座り込んでいた。