~テスト勉強は計画的に~②
今日テストはしない、その宣言の後1年2組は水を打ったように静まり返ったがそれも刹那。数瞬の後には、主に男子生徒から歓声が上がった。
(テストしない?でも私勉強して…)
テストがなくなった事に喜びの声を上げるべきか、中休みの勉強時間が無駄になった事を悔やむべきか迷っていたら背中をトンと叩かれ、「無駄な努力 ご苦労様」
と言われた。恨むぞこのやろう。
「弥生、なんでさっちゃんは小テストやらなかったんだと思う?」
「一身上の都合でしょ」
放課後、帰り支度をしている私に茜が話し掛けてきた。これは面倒事に巻き込まれる香りがするのでなんとか直帰したい。
「ごめん今日は部活が…」
「バレー部は休みでしょ、金曜日だし」
げ、知ってたの…
何を隠そう私八王子弥生はこの水無高校女子バレー部に所属している。茜は勿論それを知っているが、オフの日程まで教えた記憶はない。なんて交友関係が広さだこと。
「ちょっち付き合ってよー、気にならないー?」
抱きつくな、鬱陶しい。
「気になるって、なにが?」気付いてはいるが取り敢えず聞いてみる。
「さっちゃんがテストしなかった理由だよ、変だって気付いてるでしょ?」
確かに今日の佐久間先生は変だった。テストを延期するでもなく、ただ『今日はしない』とだけ告げて授業を開始したのだ。これを変と言わないのならば何と言うのだろうか
…異変だろうな。
「佐久間先生、『今日は』やらないって言ってたよね。ってことは今度やる予定はあるのかな?」
「だろうね、その日程の発表をしなかったのは気にかかるけど」
「抜き打ちの形にしたかったんじゃない?昨日はうっかり口を滑らせちゃったから延期する、とか」
「それはないよ。弥生、忘れたの?『羅生門終わったら小テストします』って最初にさっちゃん言ってたじゃん。二週間くらい前になっちゃうけど」
そ、そうだったっけ?まるで覚えてないよ…その時私いた…?
「だからむしろ延期は生徒にとって好ましいんだよ、テストをやることは知ってたしね。でも教師側にはメリットなんてあるわけない。
つまりね、弥生。」
茜は子供に教え諭す様に、こう続けた。
「さっちゃんは
テストを延期する予定は無かった、でも延期せざるを得ない状況に陥ってしまったんだよ」
うん、やっぱり茜は頭もいいみたいだ。付き合うだけ付き合ってみよう、面白そうだ。
「…わかった、いいよ。考えてみよう」
…というのが建前。
本音としては『この会話が何人かのクラスメイトに聞かれてしまっているから。』ここで無理やり断ってしまうと私の評判が悪くなりかねない。波風立てずの信条を掲げている私にとって、ここでの否定は好ましくない。
「でもさ、茜」
「なに?」茜が答える、随分嬉しそうだ。
「ちょっと考え過ぎじゃない?『今日はテストをする気分じゃなかったから』しなかったってことも」
「ないね」
茜に食い気味に否定された。
「仮にも教師が自身の調子云々で学生の成績に関わるテストを蔑ろにはしないよ。ましてや真面目な教師を絵に描いたようなさっちゃんに限ってそれだけはないよ」
ううむ、ここまで断言されると反論するのも難しい…私も佐久間先生が理由なく予定を変更するような人には思えないけどさ…
「それに『調子が悪いからテストはしない』って言うなら学校休みなよ、授業やるなよって話だしね」
確かに、それは私も思っていた。騒ぐ生徒を静めると何事も無かったかの様に授業を開始したので私もおや、と気になっていた。
「そう言われればそうだよね、授業はしっかり進めてたし…テストだけしないのは不自然だよね。『羅生門』のところは今日やらなかったし」
「昨日のうちに『羅生門』は終わっちゃったからね、弥生は覚えてないかもしれないけれど」
あい確かに。覚えてませんとも。
「先生の都合が悪いでもなく、授業が追いついてない訳でもない。残る可能性は…」
私は顎に指を当てて考えてみようとするが、それより早く茜が人差し指をぴっと立て、
「推論その1。」と切り出した。
「なに?」
「テスト用紙の紛失」
ほう、意外と現実的だ。私は納得しかけるが…
「それはないよ」とだけ言っておく。
「やっぱり?」
反応を見るに否定される前提の推論だった様だ。ふん、面白くない。
「テスト用紙って手書きな訳じゃないんだからテストのデータはパソコンの中にあるはずだし、紛失に気づいたらもう一回印刷すればいいじゃない」
「データが家のパソコンにあったら?印刷してくるの忘れちゃったとか」
「それなら佐久間先生はテストの延期と日程を宣言すると思うよ。家に帰ればすぐにでも印刷出来るんだし、自分の過失で罪悪感もあるだろうし『次回の授業』とか日にちを指定してると思う。それにそもそも学校で印刷も出来るのにわざわざ家からの荷物を増やすことは無いと思う。学校で印刷した方がいろいろ効率的だよ」
一息に否定してしまったが当の本人は実に楽しそうだ。
「なるほどね、弥生は頭の回転早いんだね。驚いたよ」
まるで驚いた風を見せずに彼女はそう言った。
「まあ今の推論は否定されるだろうって思ってたし、気にしてないよ」
この子は私の心でも読めるのだろうか、それとも私に未知のテレパス能力が備わっていたのだろうか?どちらかと言えば後者であって欲しい。
「推論その2はね、弥生」
ぼーっとしてる私に茜は続ける。
「テスト用紙の盗難」
一瞬、何について話しているのか分からなくなった。盗難?何でいまそんな単語が出てくるの?
「…話が飛躍しすぎだよ、茜。たかだか小テストの為にそんなリスクを負う学生はいないでしょ」
「価値観なんて人それぞれだよ、それにもしかしたら犯人は『小テスト満点じゃなくちゃ晩御飯抜きよ!』ってお母さんに言われたのかもしれないじゃない」
犯人って…まだそうと決まったわけでもなかろうに。
「でも盗むって言ったってテスト用紙の実物を見る機会なんて、ましてや盗むタイミングなんかどこにも無いじゃない」
おまけにテストの細かな日程を知ったのは昨日の5限だ、計画を練る時間も無い。それならテスト勉強をした方が堅実だ。そう言おうとしたが
「それがあるんだよ、昨日の5限にさ」
あるんかい。
「弥生は寝てたから知らないだろうけど本当は昨日、テストするはずだったんだよ。でも羅生門がまだ終わってないことに気付いて、急遽授業になったんだよ」
…そうだ、思い出した!テストやらないって単語が聞こえて安心して本寝に入ったんだ!
「その時さっちゃんはテスト用紙持って教室入って来たんだよ。で、みんなザワザワし出しちゃって。『まだ羅生門終わってないよね』、『テスト今日じゃないよね』そんな声が私にも聞こえて来たよ」
もちろん佐久間先生にもその声は聞こえたのだろう。だからテストは延期になったんだろうし。
「でもさっちゃんはそれに気付かなくてさ」
気付かなかったんかい。
「私が言おうとしたら、寸前にりっちゃんが叫んでくれたんだよ、『せんせー!羅生門まだ終わってませーーん!!』って」
ふと斎藤さんの席を見る。
窓際の一番後ろの席。私ならあそこから先生に話し掛けることは出来ない。もちろん物理的に声が出ないというつもりは無いが、クラスの注目を集めてまで大声を出す勇気は私には無い。さすが斎藤さんだ。尊敬するよ。
ちなみに席順はまだ出席番号順の席順なので私と茜の席はクラスの真ん中やや後ろ辺り。早く席替えをしたい。切実に。
「さっちゃんは耳が遠かったみたいでね、りっちゃんの声も何回か聞き返してたよ。声はすごい大きかったんだけどね」
それは…なんともご愁傷様、さすが斎藤さん。私には出来ない芸当だよ。
「じゃあテスト用紙は一度配られたの?」
私が問う。
「ううん、前の子に渡しかけたけど、それより斎藤さんの声が届く方が早かったしね。幸い中の不幸と言うか、問題を見るのは叶わなかったんだよ。
でね!ここからが面白いんだけど!」
よかったよかった、ここまでは面白い話じゃないって自覚はあったんだ。そう悪態をつくより先に茜は話を続けた。
「なんとね、1組と3組はもうテスト終わってるんだよ!!」
心を、いや魂を込めて、この言葉を彼女に贈ろうと私は思う。
「………で?」
「ノリ悪いなぁ、こういう時は少しオーバーでもリアクションは取るもんだよ」
なんだってェ!?そいつは初耳だぜシスター!
「それで?1組と3組が終わってるからなんなの?」
「昼休みにね、聞きに行ったんだよ。他のクラスの友達にね、テストのことを。」
倒置法ですか。変わった使い方をするなぁ。
「そしたらもうテスト終わっててさ!問題も教えて貰ったんだよ」
「ち、ちょっと!先に教えなさいよ!そういう大事なことは!」
茜はかぶりを振ってこう続けた。
「いいけど…意味ないよ。『1組と3組で問題違った』もん」
言葉の意味を理解するのに数瞬を要した。いや、言語の理解はできていたが理由の理解に些か手間取ったのだ。
理解すると私はほう、と息を吐いた。
「なるほどね、クラスによってテスト日程違うから問題変えてるんだ…」
「そ。カンニング防止にも抜かりが無いね~。さすがさっちゃんだよ」
流石と言うか、完璧主義者と言うか、疑心暗鬼の鬼と言うか。
徹底してるなぁ、と私は心底感心した。問題分からないのはザンネンだったけど。
「で?話の『面白い部分』はいつ始まるの?」
「え?面白くなかった?クラスによって問題変えてるんだよ?こんなに面白い出来事なんてそうは無いよ!」
どうやら私と茜とでは『面白い』の定義が根底から違うらしい。
彼女の『面白い』の定義は、私で言う『興味深いこと』あたりの認識だろう。
「それに昨日の内にどっちのクラスもテストが終わってて、聞こうと思えばテストの内容がクラスによって違う事も確認できる。そして私たちのクラスではまだ羅生門を終えてない。どう?計画を立てる理由も、時間も、少しはありそうじゃない?」
はぁ、そんな理由で窃盗を疑ってたのか。随分と曖昧な理由で犯人扱いされたX君(さん?)ゴメンね。と心の中で詫びを入れる。
「もう帰るよ、疲れた。」
「えー!待ってよ!まだ3組の早苗から『教科書読み込めばよかったぁ』って愚痴られた話もしてないのにぃ!!」
まだそんな話まであったんだ…本末はなんだったんだと言いかけるが、クラスメイトも随分と減った今なら多少無理にでも帰路へ向かう事も容易い。さらば茜。犯人探し、精々頑張ってくれたまえ。
午後八時を過ぎた頃、姉の皐月が家に帰ってきた。
「ただいまぁ…」
随分とお疲れのようだ。会社員だし、珍しくもないのかな。
「おかえり、お風呂湧いてるけどご飯も出来てるよ。どうする?」
ふふん、気の利く妹を崇め奉るといい。
「風呂ぉ…入るぅ…」
いやいや、そんなに褒めなくてもいいよ。照れるじゃないか……
……くそう…何か反応しろよ。
「最近どう?学校楽しい?」
風呂から出た姉がやたらと曖昧な質問を投げ掛けてきた。
私が「楽しいけど、楽じゃない」
と答えると姉ははっ、と乾いた笑いをして「そうか、そうか」とだけ相槌を打った。
「なにか変なことでもあったでしょ」
う、図星。やっぱり私にはテレパス能力でも備わっているのだろうか…
「変なことって訳でも無いんだけどね…」
私は姉に昨日の5限にあったこと、今日の昼にあったこと、放課後に茜と話したことを伝えた。一言一句間違いなく。……と言うと少し語弊があるかもしれないが大体は正しかったとは思う。一通り話し終えた後、姉はポツリとこう言った。
「…それで?犯人の子とはどうなったの?」
…聞き間違いだろうか、今『犯人』って単語が聞こえた気が…
「『犯人』って言うのは聞こえが悪いね、悪意があったのかは分からないしね」
よかった、私の耳はまだ遠くないようだ。
「ち、ちょっと待ってよ、話飛び過ぎだよ。犯人とか悪意とか今の話聞いてた?」
「今の話しか聞いてないからこの結論にしかならないんだよ。確証も何もないけどね。
弥生、変なことって言うけど…」
姉は一息吐いてこう続けた。
「謎なんて、あって無いようなものじゃない」