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第三話 始まり

 流れる雲から顔を出しているこの山脈は、原始からの姿を色濃く残していて、豊かな水脈のおかげで植物が生い茂っていた。この山々の合間にある、とある丘の頂は、陽当たりも良く彼の今のお気に入りの場所であった。

 流れる風は木々や花々を揺らし、雲を運び、水と戯れる。まるで遊んでいるかのような純粋な喜びに満ち、心地良く、それは遠い彼の故郷を思い出させてくれた。



 サラが再び目を開けて起き上がった時、彼女はそんな丘の上にいた。

 眼下に広がっている景色に、サラは驚いて目を丸くする。

「この景色、気に入ってくれた?」

慌てて振り返ると、そこには金髪の青年が笑っていた。

「ここはどこだ?」

サラは答えることも忘れて、問い返してしまう。

「ヒトでは来られない場所だよ。」

そうイタズラめいた顔で笑う青年は、これまでに決して見たことのない綺麗な顔立ちをしていた。

「あなたは誰?……人間?」

サラが再び問いかけた。

「僕は、唄歌いのアークって呼ばれているよ。身体は大丈夫?」

アークと名乗った青年の言葉で、サラは先ほどの出来事を思い出し、青白い顔で自分の身体を眺めた。思い出しただけで身体が震える。

「あっ、ごめんね。そう言う意味じゃないんだ。足をくじいてたみたいだったから。心配しないで。奴らなら僕が吹き飛ばしたし、死んでなくても、今動ける奴は居ないはずだよ。」

慌てて、アークが言葉を重ねる。彼女の足には冷やした布が巻いてあり、それを見て震えはゆっくり治まった。気を失う直前、森の中に強い突風が吹いたことを思い出す。

「…あなたが助けてくれたんですね。ありがとうございました。」

ぺこりと頭を下げたサラを見て、今度は青年が尋ねる。

「君の名前を聞いても良いかな?」

「四宮彩良です。」

とサラは答えた。

「シノミヤサラ?それが名前?」

と再び聞いてくるので、

「サラが名前で、シノミヤが姓です。」

と答えた。

 少し間を開けて、

「…サラか。それが君の本当の名前?」

と険しい顔で彼は聞いてくる。

「はい?」と答えた彼女を見て、溜め息をついてアークは言った。


「いいかな。僕がこれからする話をよく聞いてね。サラ、今のこの世界では、君は人に本当の名前を名乗っちゃいけない。」

サラがアークを不思議そうに見つめると、アークは続けた。

「君は、違う世界から来たんだろう。心当たりは無いのかい?」

「…っ。」 

違う世界。

自宅の庭にいたのに、気づけば森の中だった。

必死に歩いた森の木々は、確かに見たこともない木々だと思った。

出会った男たちの服装や容姿が、どう見ても日本とは思えなかった。

知らない国?それは地球上のどこかの国?

じゃあ何で言葉が通じているんだ?

常識では考えられないことだと思う一方で、サラは、アークと名乗った青年の言葉が、不思議なほど自分の心に沈み込んだのが解った。

ここはいったいどこだと言うのだろう。そこまで考えて、そんな問いに答えられる者などどこにも居ないだろうと思った。サラ自身だって、自分の生まれた世界はどこだと説明することは出来ないのだから。理屈のない事実をただ知ったサラの目から、始めて涙が零れた。

「わわっ、ああ…ごめんね。いきなりこんな話じゃあ辛いよね。」青年が慌てる。

「…。違う。嬉しかったんだ。きっとセイラは元気になっているから。」

自分にできることなど何もなかった。

ただただ月に願うばかりだったから。

自分が、知らない世界にいるという実感は、そのまま、不確かな力の証明以外の何物でもなかった。


泣き顔を隠しもせず、微笑んだサラを見て、青年は思わず顔を赤く染めた。

「サラは可愛いね。男なら誰でも君を可愛いと思わない奴は居ないはずだよ。」

可愛いと言われたことならこれまでにも何度もあったが、嬉しく思えたことはなかった。

だが、下心や妬みの全く含まれていない青年の言葉と屈託のない笑顔には、サラも警戒心を少しだけ解くことができた。


 名前には魂を縛る力があると青年は言った。目には見えなくても、名前を呼ぶことで、内面の一部を拘束したり、身体を操ったりする力を持つ者がこの世界にはいるのだという。

「そっか…。でももうアークには名乗っちゃったな。アークはそういう力を持っているんだろう?」

ポツリと言ったサラに、青年は笑って答えた。

「僕は大丈夫さ。パートナーを持つ者はね、その魂の結び付きが一番強くて、他には影響しにくいんだ。だからサラもいずれそういう相手が見つかれば、あまり心配する必要はなくなるよ。それに、名前を縛れる者はそう多くは居ない。ただ、サラは特別人を惹きつけるからね。用心してるにこしたことはないよ。そうだな。姓のシノミヤというのを名乗らないようにしたらどうかな?その名は異世界のものだからこの世界の人間には馴染みがないし、サラが言わない限り名前だとは分からないから。それに字もね。秘密にするんだよ。」


 

 アークと名乗った青年も驚いていた。別世界から召還されてきた人間が現れることは知っていたが、人となりはもちろん知るすべは無かった。正直言って、もっと取り乱すだろうと思っていた。

 風が異世界からの来訪を知らせてくれたとき、気配をたどって慌てた。ちょうど紛争が起きている地域だったし、森の中は風が読みにくいからだ。森を焦がす炎を避けて、来訪者を探し、見つけたと思ったら、今まさに襲われそうになっているところだった。間に合ってよかった、と本当に思った。

 そして連れ出してみれば、見たことがないほど飛び切りの美少女だ。黒髪、黒眼も珍しい。異世界の人間は皆、このような容姿なのか?などと、サラが目を覚ますまで考えていたくらいだ。

 サラは、アークの予想外に落ち着いて見えた。彼女が口にしたセイラが誰かは分からないが、異世界に来た自分ではなく他の誰かの為に嬉しいと涙を零した姿は、遠い昔に離れた彼の人と自然に重なっていた。

「ありがとう。」

頭を下げたサラをアークは不思議な目で見つめたが、嫌な気はしなかった。こちらの世界ではそんな習慣はないが、彼女の国ではきっとそんな風に気持ちを表すのだろう。


 アークは静かに歌い始めた。

風が彼の周りで踊っているようだった。

この場所はなんて美しい。

それでも昨夜見たような場所もこの世界にはあるのだ。

自分はこの世界で何をすればいいのだろう。漠然と考えながらも、サラは空に吸い込まれるようなアークの歌声を聞いていた。

 純粋で、少し悲しい唄を。



 



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