第二章 第一話 月
四宮彩良はその晩、月を見ていた。
いや、その晩も見ていた、と言ったほうが正確かも知れない。
独りの夜は何となく月を探すのが習慣となっていたからだ。
十四の女の子が何故夜独りで過ごしているのか。家庭の事情と言えば、その一言で済む世の中ではあったが、彼女もまた吐き出しようのない重たい物を心の奥底に独りで抱えていた。
彼女の家庭は両親と妹の四人家族だが、年の二つ離れた妹は心臓に重い病を抱えて生まれてきた。母は妹の付き添いで病院に泊まりこむ毎日で、父は入院や莫大な手術費用を稼ぎ出すために仕事に明け暮れ、たまの休日はやはり病院で過ごした。小児専門病院は、家族と言えど子供同士には面会制限があるのを、世間の人は知っているだろうか?両親が妹の側に居る間、一緒に過ごせないサラは独りだったし、彼女が妹に会う機会は年に二度あれば良いほうだった。サラと妹の面会は、幼稚園や学校が長期休暇に入り、しばらく他の子供に接することのない期間を経て、一般的な感染症の潜伏期間を明けた後に許される可能性があったが、それすらも妹の体調があまり良くなければ見送られ、また半年は待たなければならなかった。
結果として、二人姉妹と言っても、お互いが一人っ子であるような環境であった。物心付いた時にいつも側に居てくれたのは祖父母で、彼女は大抵祖父母の家で過ごした。寂しさを紛らわせながら真っ直ぐに成長して来られたのは間違いなく彼らの力が大きかったのだが、今は既に亡くなり、彼女は必然的に家で独りで過ごすことが多くなったのだった。
妹の医療費は家庭だけでなく、周囲からの寄付を頂くこともあり、姉である彼女は相応に振る舞うことを周囲から求められる立場であった。賢しいサラは小学校に上がる頃にはそれを理解していたし、彼女を囲む環境は必然的に、わがままも言わない、感情をあまり表に出さない女の子へと成長させた。
外見は真っ直ぐな黒髪を背中に垂らし、小柄で華奢な色白の身体と大きな黒い瞳。万人が認める美少女であるサラは、その口数が少ないことでも有名であったが、それは彼女の人気を損なうものではなかった。一見無愛想にも見えるが、話してみると少ない言葉数の中にも思いやりのある優しさが垣間見えたし、他人がやりたがらない仕事を進んで引き受け、成績も良く、運動も出来て、学校の教師や大人達の信頼も厚かった。
サラの妹は名前を星良と言った。
幼い時間をほとんど病院で過ごしたセイラであったが、成長すると退院して家で過ごせる機会が出来るようになった。彼女は姉と遊べる時間を喜び、二人はこれまでの姉妹としての時間を取り戻すかのように仲良く過ごした。
サラと対照的に、セイラは明るくて良く話す女の子だった。病院で人に囲まれて過ごした時間が彼女をそうさせたのかもしれない。彼女もまた美少女と呼ばれる容姿を持ち、自分が辛い時でも周りを気遣い、いつも感謝の言葉を口にしていた。
セイラはよくサラに「パパとママを独り占めしてごめんね。」と言った。
そんなセイラの為に、サラはよく家でフルートを吹いた。サラが独りの時間を埋めるために祖父母が習わせてくれたフルートを聴くのが大好きでよく聴かせてとせがまれたからだ。そんなある日、
「いいなぁ。お姉ちゃんは。美人で、勉強も出来て、フルートも上手くって。」
ぽつりとセイラから本音が漏れた。
「セイラの方が可愛いぞ。素直だし。私より明るい。」
率直なサラの言葉に、セイラは笑う。
「でも出来ないことも沢山あるもの。」
そう言う妹に、サラは何も言えない。話すのが苦手な自分を悔しく思うことしかできなかった。
対称的な姉妹を、周囲はよく「太陽と月みたいね。」と評した。
健全に学校へ通い運動も勉強も出来た姉が太陽。
儚げな妹が月。
だが本当にそうだったのだろうか?
幼い少女から思春期の女の子へと成長してその可愛らしさに磨きがかかっても、心の奥底に抱えた二人の寂しさは解消されなかった。それぞれ歩んだ人生は全く異なっていたし、共に過ごした時間は本当に短いものであったが、二人はよく似た姉妹であった。姉妹二人ともがお互いへの羨望の眼差しを隠しながら病気の辛さと寂しさに独りで耐えてきた。強くて、そして脆かったのだと思う。
そして、周囲に二人の内面を理解できる人間は居なかった。
今日も、母はサラに簡単な夕食を準備するとすぐに、調子を崩して長期入院中である妹の下へ戻って行った。父も職場から病院へ直行していることだろう。
「あの子、最近調子が良くないのよ。」母が言うとおり、最近は電話で話すことすらできていなかった。
彼女は部屋で独りフルートをしばらく吹いた後、窓を開けて月を探した。
その晩は良く晴れており、南西の夜空にその月の白さが映えていた。上弦の月はサラのお気に入りで、月を見ると不思議と落ち着いた。
黒と白が丁度、半分個。
「お前は私みたいだ。」と笑う。
嬉しいのか悲しいのかさえ曖昧な独り言だった。
「セイラのほうが太陽みたいだけどな。」吐き出す息は白い。
その時だった。
空から声が聞こえたのは。
「太陽の光を受けて月は輝く。けれど、
太陽の光を受けて輝くものもあれば、月の光を受けて輝くものもある。
そなたは月であるが太陽でもある。」
声のしたほうに目を向ければ、空に光の玉が浮かんでいた。
「何?」サラは小さくつぶやく。光の玉から声が返ってきた。
「我は光の精霊。」
「セイ…レイ…?」
光の声は続ける。
「そなたは我を求めた。我はそなたを求めた。
そなたが我の求めに応じるならば、我もそなたの願いに応じよう。」
「願い?」
「我は聞いていた。セイラを助けてとそなたは以前から我に願っていた。」
「…っ。助けられるのかっ?」
サラは大きな声を上げた。セイラが助かるなら自分はどうなってもいい、サラは本気でそう思っていた。
「我の力はそなたのものなり。癒しの力をそなたの望みどおりに。」
声はそう告げると、急に光の玉の輝きが増して、サラは目を開けていられなくなった。
頭の中に、声が響く。
『願いはかなえられた。次は我と我の主の願いをかなえよ。世界を照らして闇を救え。』
(我と我の主の願い…?世界を救え…?世界…?)
強い光に包まれてサラは意識が遠のくのを感じた。