第十七話 別れ
日記は、アルフォンスが探しに来た木の枝の間にちゃんと見つかり、彼はすぐにそれを開いた。内容は年が明けた数ヶ月前の事から始まり、始めの頃には、日々感動したことや、刺繍のことや、家族のことが沢山書いてあった。丁寧な文字と、人や物に対する優しさが詰まった文章に、彼女らしさが滲み出ていて、自然と目尻が下がる。
所々にはアルフォンスと交わした会話とその時の心情が書き記されていて、彼は素直に嬉しくなった。よく表情を変えたが、最後には必ず見せてくれたあの笑顔を想い浮かべずには居られない。
しかし、それも途中までだった。わずか四日前の出来事。二人で過ごしたあの日から、その内容は数ページに渡り夢のことやセリーナの考えが書いてあり、その内容を読み進むにつれ、アルフォンスは手の震えが止まらなくなった。
セリーナも風の精霊の祝福によって、風の力を得ていたという事実。
その力に戸惑い、アルフォンスの残酷な未来を視て思い悩んでいた日々。
今になって知る数々の現実に、アルフォンスは愕然とした。
自分は、彼女の一体何を見ていたというのだろう。
なぜ彼女の変化に気付かなかった?
思い当たる答えは、容赦なく自らに突き刺さる。
浮かれていたとしか言いようのない自分。招く結果を良く考えもせず、アークを騒がせ、マーたちに風使いを探させるきっかけを作った。
セリーナが会いに来た時も、話は後でも出来るときちんと聞こうともしなかった。
風の精霊の現れた意味も、発された言葉も深く考えることなく聞き流して、ただただ、得た力をどう使うかばかりを考えた。
自分は、何故アーク達の前であんなに愚かな振る舞いをした?
アーク使いまであと一歩と自負していた自分は、アークのことを本当に理解していたのか?
例えば、自分はセリーナと同じように、アークに手紙を届けて貰えるだろうか。 答えは、否だ。
セリーナと同じ素質を持っていても、アークは二羽居なければ伝書のやり取りは出来ないという思い込みは、風使いと呼ばれる力を得ても何も変わっていなかったと知った。
「…何が風使いだ。僕はバカか。」
涙が頬を伝う。
頬を撫でる風は、セリーナと同じ様に優しくて。でも、その風は、セリーナの匂いを運んではくれなくて。得た『風の力』が、セリーナはもうこの里には居ないのだと突き付けてくる。
どれだけ後悔しても、過ぎた時は元には戻らないのだ。
その日、里に知らせが広まる。
『二の部落長 ビクス・アミエが長女 セリーナ・アミエが風の精霊の祝福を受けた。彼女はこの村のためにすでに世界に赴いている。
皆で風に祈ろう。』と。
それは数十年ぶりの知らせだった。
知らせを聞いた皆が、アミエ家に駆けつけた。一足先に、兄のビシューによってその知らせを聞いていたセリーナの父と兄弟達は、駆けつけた里の者達の喝采に感謝を口にしていたが、セリーナの母親は隅で独り泣き崩れていた。
アルフォンスは、少し離れてその様子を見ていた。知らせを聞き、家族に連れられ皆と同じように祝に来ていたロニーが、彼に気付いて声を掛ける。
「アル…、風使いはセリーナだったんだな。だからこないだお前も呼ばれたのか?」
アルフォンスは困ったような笑みを浮かべることしかできない。
「大丈夫か、お前。」
ロニーはアルフォンスの様子に気付き、心配そうに顔を覗きこむ。
その時だった。後ろから低い声が聞こえたのは。
「あいつはお前の為に行ったんだ。分かっているのか?」
「ビシューさん…」
「俺は何も言わない。だがお前の為じゃない。あいつと約束したからだ。」
それは今までに見たことのない冷たい瞳だった。
「あいつはずっと泣いてたんだ。それなのに、結局独りで決めて、独りで行ってしまった。家族にも、俺にも何も言わず。」
冷たい瞳から涙が一粒零れた。
「俺はお前に期待してた。だからセリーナに近づいているのを知ってても見逃していた。…お前はこれからどうするつもりだ?」
「…僕は…。」
だが、アルフォンスの返答を聞くことなく、ビシューは背中を向けて行ってしまった。
「何があったんだよ。」
ロニーが強い口調で尋ねる。
オマエハコレカラドウスルツモリダ?
ボクハコレカラドウスルツモリダ?
だがその時にはもう彼の心は決まっていた。
「僕も行かなくちゃ。ロニー、元気でな。」そして彼は自宅の方にかけていく。
そして、その日の夜だった。
風の里からアルフォンスの姿も消えたのは。
たった一通、これまでの感謝の言葉を詰め込んだ手紙を家族宛に残して。
セリーナに遅れること一日。
彼の行方を知る者は、里には誰一人居なかったのである。
最後まで読んで下さった方々、ありがとうございました。
風編自体がプロローグみたいなものだったので駆け足で行くつもりが、
思いのほか長くなってしまいました…。
次の第二章から本編になる予定です。良かったらまた読みに来て下さいね!