第九話 村長の家
アルフォンスは、文字通り舞い上がっていた。
身体が本当に風のように軽い。顔が緩みそうになるのを懸命にこらえて、母屋へと戻る。母親は息子のその顔を見て、呆れながら、
「セリーナちゃんの為にも、しっかりおし。お父様は支度してるからお前も急ぎなさい。」と背中を叩いた。
馬の支度をし、アルフォンスは父の後ろに続くようにして村長の家へと向かった。村長の住んでいる部落は一つ山を越えた向こうにある。シフォン村は広いのだ。
まだ成人していないアルフォンスは、親や祖父母の使いで来たことがあるだけで、寄り合い場としても使われている村長の屋敷内に入ったことはない。他の風の里の家々よりも数倍は大きく、屋敷と呼ぶに相応しいその館が見えて来ると、流石にアルフォンスも緊張して、周りの風と景色を楽しむ余裕も無くなっていった。
到着を告げ、少しして通された部屋には、それは見事な刺繍を施した布地が敷き詰めてあリ、まずはその壮観さに目を奪われた。
部屋の一番上座に壮年の村長が座り、壁際には寄り合いの上役を勤める面々が揃っていた。部屋の奥の角にはマー(長老)が鎮座している。アルフォンスは自然に深々と頭を下げていた。村長が口を開いた。
「急に呼び立てしてすまぬ。ジュペ殿。」
父が軽く頭を下げる。
「いえ。」
「アルフォンス、久しいのう。」
「お会い出来て嬉しく思います。村長様。マー。」
「ビシューから聞いておるぞ。そなたがアーク使いの適性を備えておると。」
村長が続ける。
「来年の成人の儀の試験、ここに居る皆が楽しみにしている。」
「子供達の数も、使い手の数も、限られておるからなあ。」
上役の一人からも声がかかる。
「勿体無い限りです。まだまだ未熟者ですよ。」
と父が答えた。
「さて、今日来てもらったのは、アーク達のことだ。」
少し間を置いて、村長が続けた。
「最近、アーク達が騒いでいるのは知っているだろう。マーの風見での、風使いが現れたと仰っている。」
「風使いが?」父も驚いている。
「時に、数日前、アーク達が騒いだ時にそなたが側に居たと告げたものがおっての。アルフォンスよ、そなた、何か知っていることは無いか?」
アルフォンスは驚いて言葉に詰まった。
やはりマーには風が真実を告げている。自ら告げねばならぬことは分かっていたが、アルフォンスの頭の中には、今朝のセリーナの言葉が浮かんでいた。
(…マーに風使いだと知られてはいけない…?どういうことなんだ?)
父が「どうなんだ?」と促す。
嘘をのべてもマーには分かるだろう。
考えて、アルフォンスはこう答えた。
「あの日突風が吹き、アーク達が騒ぎました。ビシューさんが風の精霊がお通りになったと言われましたが、私には何も見えませんでした。」
「その言葉に偽りはないか?」
「はい。」
事実は何も告げていないが、嘘もついてはいない。
村長は一度、マーの顔を仰ぎ見るが、マーは一言も発さない。
「分かった。聞きたいことはそれだけだ。向こうに食事を用意しておるでの。土産もある。母君に持ち帰るがよい。」
村長がそう言い、アルフォンスと父は下がった。
(マーと村長が『風使い』を探しているのは間違いない。自分が風の力を得たことを告げなくて本当に良いのだろうか。)
帰り道、アルフォンスは考えていた。
だが、セリーナの言葉の意味がどうしても分からない。始めは、アルフォンスが将来、村の外で仕事する事になるのを寂しがってくれているのかと思っていた。でも、これまでずっと、アーク使いを目指しているのも応援してくれていたし、セリーナがマーに知られてはダメだと言いに来たその日にマーからの呼び出し…。
(それに、あのキスは…?)
思い出して、赤面しながらも、馬の手綱を握り直す。
(明日はセリーに会えるだろうか?…羊当番また代わってもらわないと。)
無言で前を行く父の背中を見据えた。
すでに太陽は南西に傾いている。
草原の民の時間は短いのだ。
風の力で帰ったら早そうだな、と思いながらも、馬の背に揺られる時間を楽しむことにした。
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