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青い死神

青い涙

作者: 悠凪

「面倒ったらないなー…」

 靴音を響かせながら、アンリはブツブツとある所を歩いている。自分の姿が映りこむほどに磨きこまれた大理石の床と壁、柱。白く高級なその神殿。

 黒に近い青の髪の毛と、息を飲むほどに美しい青紫の瞳。青みを帯びるくらいに白いきめ細かい肌をした端整な顔の、でも笑うと予想を裏切るあどけない笑顔になるその死神は、いつもと少々違う格好をしている。漆黒の衣装なのは変わりはないが、袖のないゆったりとした引き摺るほどに長い装束に細身の身体を包み、いつもなら長めの前髪が下ろされているはずなのに、それを綺麗にまとめられており、代わりにあるのは燃えるように赤い石の飾られたサークレット、耳には数個のピアス。首元には細やかな細工の施された白金のチョーカーと薔薇のモチーフのネックレス。左上腕には瞳と同じ青紫の薔薇の模様が描かれている。そしていつもなら手にしているはずの鎌はなかった。

「何で僕がこんなところに来なくちゃいけないの?今日はあの人のところに行こうと思ったのに。しかも……こんな格好までさせられて、これなんの嫌がらせ?」

 唇を尖らせて、眉間に皺を寄せる顔はまるで子供のようで、これが最高神に次ぐ高位の神の姿とは到底思えない。

「仕方ないだろ?お前は位も高いんだから、たまには顔を出しとけ」

 ぶつくさと文句ばかりを垂れるアンリのすぐ横には、長身のアンリよりもまだ幾分背の高い男がいた。深緑の髪の毛に、闇のように深く黒い瞳の真紅のローブを纏った男。華奢な印象にアンリに対して、体つきの良い精悍な雰囲気の人物だ。

「キーだっていやなんでしょ?そんな良い子ぶらなくても良いよ?」

 からかうように言ったアンリは、その男をキーと呼んで青紫の瞳を意地悪げに細めた。

「俺はお前ほど嫌じゃないけどな。もう慣れてるし。大体お前が参加しないから俺が代理になってただけなんだぞ」

 アンリと同じ高位の神であるキーが溜息混じりにそう言って軽くアンリを睨んだ。それにアンリは特に気にもしないように、まただるそうに盛大な溜息をつく。

 やがて二人の前に大きくて立派な扉が見えた。その前で立ち止まり、キーがアンリをちらりと見下ろす。

「くれぐれも、抜け出そうなんて思うなよ」

 釘を刺したその闇色の瞳に、アンリは顔を顰めて赤い舌を出しただけで返事はしなかった。

「お前ももう少し大人になってくれたら、俺も気持ちが楽なんだけどな」

「僕は充分大人だもん」

「年だけはな」

「フン。キーだって相当年いってるくせに」

 そんな子供同然の会話をしている事に気付かないアンリは、キーの開けてくれた扉から差し込んできた煌びやかな光の集まりに思わず長い睫毛を落として目を閉じた。

 広い神殿内の、一番広いその場所に、各所から訪れた男神、女神達が集まっている。誰も彼もが美しく着飾り、そして煌くオーラをまとい、流れる極上の音楽をバックに楽しげに優雅に会話をしている姿が目に入ってきた。

 有り余るほどにある食べ物、飲み物、飾られた花、溢れる照明。いくつもある、大きな窓から天界の象徴である丸くて柔らかな光を蓄えた二つの月が見える。星達がその月と共に愛らしい輝きを降り注ぐ下で、大きな神殿では宴が催されていた。

 アンリはそこに入るや否や、あまりに綺麗な、そして高位の神である自分への視線など気にしないように、好物の果物のあるところまで歩いて行く。緩やかな長い裾をたゆたわせて、この上なく優美に歩く姿はとても普段、聖堂の店主から『馬鹿』と言われている間抜けな死神には見えなかった。

「やっぱりこれ美味しい」

 綺麗に盛り付けられたその赤い実を一口頬張って、アンリはあどけない笑みを浮かべ、子供のように目を輝かせた。

 高い天井から吊るされたたくさんのクリスタルの贅沢なシャンデリアからは、温かなゴールデンイエローの光がその神々の宴を照らしている。外が暗い分、その色は一層煌びやかに見えた。

 しかしアンリは全くその宴自体には興味がなかった。数十年ぶり、いやもう数百年はここには顔を出していなかった。

 ここは最高神の神殿。アンリより上の位の神の所。そしてこの宴は十年に一度開かれる大きな大きな宴会だった。今日をかわきりに、数日間開かれる盛大な祭りとでも言おうか、あらゆる神々が集まり、享楽的にも悦楽的にもなる、アンリにとってはまさにどうでも良いくだらないもの。

 しかし立場的には、アンリは出席して当然の人物で、気の長い美しき最高神は何度も何度もアンリを招待しては断られてきた。

 そして、今日、ふらりと聖堂に行こうとしていたところを、今一緒にいるキーに見つかり連行され、ここにいる。

自分より大きな男に担ぎ上げられて、そのままあっという間に黒衣を剥がされて鎌を取り上げられたアンリは、誰もが息を飲むほどに綺麗な格好をさせられてしまったのだった。

「肩凝るー…これ外しても良い?」

 果物を頬張りながら、アンリはキーにチョーカーを示して言う。先ほどから馬鹿みたいに果物を食べるアンリを見ては溜息をついているキーは、眉間の皺を一層深くして首を横に振った。

「今日だけだから、我慢しろ」

「えー、やだ。僕肌弱いから痒いの。だから普段あんまり飾り物つけないのに」

 ぷっと頬を膨らませてアンリはキーを一睨みする。しかし言われた事は守るのか、無理矢理に外そうとはしなかった。

 滅多に顔を見せないアンリの登場に、そこかしこで綺麗な女神達が、ちらちらとアンリを見ては話をしている。それがたまらなく嫌で、アンリはバルコニーに逃げようとまたのろのろと歩き出した。

「こんなに長くなくても良いのに…転んだら恥ずかしいじゃない」

 もう口を開けば文句しか出てこない。アンリは夜風の気持ち良いバルコニーへとやって来た。

 広大な庭を望む事のできるそこは、誰もおらず、そして騒がしい会話も極上であると皆が褒める、しかしアンリには価値の分からない音楽も、どこか遠くに聞こえる。

 来たばかりなのにやたらと疲労感を感じる美しい死神は、庭を見下ろして、また盛大な溜息をついた。

「あー、もう帰ろうよ」

 月と星の淡い明かりに浮かび上がる庭には、一角獣や天馬たちが、それぞれに身体を休めたりのんびりと過ごしている。それを青紫の瞳に映したアンリは可愛らしい子供の天馬を見て目を細めた。

「お前は全く…ほんの少しの時間だろう?何でそれが我慢できないんだ」

 こめかみに指を当て、キーはわがままなアンリを嗜めるように言葉を零す。しかしそれもアンリにはどうでも良いことだった。バルコニーの手すりに腰を下ろして、落ちてきそうなくらいに輝く星を見上げて、それからだるそうに肩に触れる自分の髪の毛を細い手でよけた。

「なんで神ってこんなくだらないことが好きなの?僕もご主人みたいに下に降りようかな」

「ご主人?…あぁ、龍神様のことか。あの人も確かにこんな場所は嫌うだろうな」

 黒髪の優しくも厳しい、残酷な男を思い出してキーは笑った。

「うん。でもあの人はすごいよ。ちゃんと役目を果たして天界を去ったんだから」

「しかもお前の面倒まで見てくれてるんだしな」

「…ん。僕はあの人がいるから、まだ生きていける。……あの子がいなくても」

 あの子。

 かつてアンリの傍にいた大切な宝物の存在を思って、その宝石のような瞳が笑みの形に変わる。その相手も、相手と何があったのかも知っているキーは、ただ黙ってその様子を見ていた。

 穏やかな夜風に、アンリの気持ちも少しだけ落ち着いてきた頃、二人しかいないバルコニーに誰かが出てきた。

ちらりと視線を流したアンリとキーが、意外だと言わんばかりの顔になった

 キーの深緑の髪の毛よりもまだ鮮やかな青を帯びる緑の緩やかな巻き毛に、ルビー色の大きな瞳が特徴的な少年のような容姿の男。濃紺のローブを纏い、ゆったりとした足取りで二人に近づき、その整った唇の片方の端をくっと上げて笑った。

「……駄猫」

 アンリが思わずといった様子でポツリと言った。

「リーンハルトだよ。アンリ」

 そのルビー色の瞳が、どことなく挑戦的な色を見せてアンリを見つめて微笑んだ。それもどこか棘のあるような笑顔で。

「知ってる。リンでしょ」

 どうでも良いよと言わんばかりにアンリは視線を外して返事をする。その間に挟まれるように立っているキーが、やれやれと言った様子で肩をすくめた。

 アンリの目の前にいる男。リーンハルトもまた神であった。死と疫病を司る、この美しく愛らしさの強い容姿の神は、死と炎を司るアンリよりも少し低い位に位置するが、それでも高位には違いない。はるか昔から知り合いの二人はとにかく仲が悪かった。

 性格的な違いや感覚の違いもあるのだろうが、位を廻っての競争のようなものもあって、アンリがたいした努力もなしに今の位についた事が、リーンハルトは何よりも気に入らなかった。

 しかし要は、馬が合わない、生理的に嫌い、のようなものである。

 実際アンリは、やる気がことごとくないだけで、ちゃんとすればなかなかに優秀な素材を持っている。その優秀さをどこかで披露する事にまったく興味のない性格が損をしている事は、アンリ以外がよく分かっているのだが、当の本人は気にすらしていない状況だった。

「珍しいですね、あなたがここにいるなんて」

 嫌味たっぷりの口調でリンはアンリに言った。それにアンリのこめかみがひくりと反応する。

「…ですね?……あなた?」

 寒気でもしそうなそのいつもとは違うリンに、整った顔に嫌悪感を滲ませたアンリはスッと立ち上がり、上から見下すように言葉を返した。

「そう?たまには僕も役目を果たさないとね。君と違って」

 アンリの言葉にリンが一瞬睨むように瞳を強めたが、またふわりと、意地悪な色を帯びて微笑んだ。

「綺麗ですよ。その格好。普段の黒づくめより、何倍も…」

 アンリがこんな格好が大嫌いなこともよく知っているリンは、上から下まで嘗めるように見た。そのままアンリに近づき白くて、しかしアンリよりもしっかりとした手を伸ばして来る。その少しひんやりとした指がアンリの珍しく剥き出しになっている二の腕にさらりと触れて、白い肌に付けられている薔薇の模様に触れた。

「あなたは本当に綺麗ですね、どこもかしこも。いっそ男妾にでもなればいかがですか?」

 クスクスと笑うリンは、印象に反して存外に背の高い男だった。アンリとほぼ変わらないルビー色の目線が、楽しげに細められて、ムッとする青紫の瞳と交わった。

「綺麗なのは知ってる。これでもモテるからね。でも男妾はごめんだなぁ。僕は誰かに奉仕するなんて無理。リンの方が似合うんじゃない?僕ほどじゃないけど、綺麗だよ?」

 くつくつと喉の奥でアンリは笑う。長い睫毛が影を落とした青紫の瞳の中に、明らかに楽しんでいる冷酷な色が見えた。

 そんな二人の様子を見ていたキーは、もうどうにでもなれと言った感じでアンリのすぐ横で、バルコニーの手すりに腰を下ろした。

 キーの存在など忘れたかのように、二人は無言で睨みあう。どちらも嫌悪感しかない瞳で、しかしからかい甲斐のある相手であるために、いくらかはこの状況を面白がっている節もある。

「最近真面目に仕事してるんだって?」

 ふと、リンがいつもの口調に戻った。

「そうだよ。悪い?…あ、まだ僕の位狙ってるの?」

「……そうだって言ったら?」

 挑むように答えるリンに、アンリは鼻で笑ってリンの愛らしさの漂う顔を見る。長い腕を組みながら、少し顎を上げて薄く笑うアンリは、いつもののんびりとした間抜けな雰囲気はない。

「無理だ。お前が僕に勝てるわけがない」

 ぞっとするような声で言ったアンリに、隣にいたキーが珍しいものを見るように黒い瞳を見開いた。いつも柔らかい口調のアンリが、しっかりと威圧的な言葉で話した。たったそれだけなのに、一瞬背中にぞくりとするくらいに怖さに似たものを感じる。

 アンリの綺麗な瞳の中には、明らかに何かいつもと違うものがあった。冷徹で妖艶で、傲慢ささえ感じる態度。本来のアンリの姿を見た、とキーは思った。

 普段からやる気のない死神は、ある意味人畜無害的な雰囲気を持っているが、昔はそうでもなかった。猟奇的なことが大好きで、気まぐれで、他人を信用しない、頼らない。そんな頃のアンリを知っているのは、キーと数人しかいない。キー自身ももうかなりの長い間、アンリのこんな性格を見ていなかったので、呆気に取られてしまった。

 リンは一瞬息を飲み、それから口の端をあげるこの男独特の笑い方をする。アンリにも負けていない端整な顔に笑みを張り付かせて、くすりと笑った。

「さすが、アデライーダ様のご子息だ。一気に顔つきが変わる」

「…………」

 突然出された名前に、アンリの顔が表情をなくした。それが面白かったのか、リンは肩を震わせて笑いを堪えた。

 アデライーダ。

 それはアンリの母の名前だった。愛と戦いの美しき女神。アンリが授かったこの綺麗な青紫の瞳を持つ、好戦的で残虐な母の姿がアンリの中に甦る。

 青白い顔が一層青くなり、人形のようにその何も見せなくなった顔を見たキーが、ヤバいと思って思わず腰を上げかけたとき。強い風が三人の間を吹きぬけた。その時、キーの真紅のローブが風にふわりと踊り、前合わせが翻る。風の強さに顔を背けたアンリの視界に、そのローブの下に隠れていた長い剣が映った。

 アンリは何も考える間もなく瞬時に身を屈め、キーの腰にあった剣を引き抜くと、立ち上がろうとすると共にその刃を振るった。リンの脇腹を駆け上がりローブを切り裂き、脇の下あたりに斬り込んだのだ。一瞬の出来事に思わず飛びのいたリンだが、刀身の長いその剣から逃れることも出来ず、腕を上げたが、深々と下から刺し込まれた。

「ぐッ!ああぁッ!!」

 目の前が真っ赤になるほどの痛みに顔をゆがめたリンを見て、アンリは剣を両手で握り締め、ねじ込むように上へと持ち上げる。その手に、肉を裂き骨に当たる感覚が伝わってきた。

 うっすらと微笑んだアンリは、鋭い目つきでリンの顔を睨んだ後、大きく足を開いて全身に力を入れると、一瞬あどけない笑みを浮かべ、上体をやや捻るようにして一気に剣を上へと振り上げた。

 リンの叫び声と共に、骨を切断する鈍い感覚が、その華奢にも見える腕に伝わり身体を伝っていく。鮮やかな血が噴きだして、体幹から切り離された長い腕が空を舞った。何が起こったか理解するのに時間のかかったキーの目の前をそれが横切り、ごとりと、磨き上げられた大理石に落ちた。

 切り落とされた箇所を庇うように蹲るリンを見下ろすアンリは、その端整な顔に典雅で猟奇的で、そして激しい怒りをあらわにしていた。

「アンリ…お前、何してんだ」

 キーはまさかここまでアンリがするとは思ってもいなかった。そして自分が剣を持っていたことに激しく後悔した。

「これくらいで済んでよかったと思え」 

 キーの言葉に答えず、アンリはリンに告げる。切っ先をリンに向けて、ガタガタと震えるその身体を嘗めるように見た。

「僕の前で二度とその名前を出すな。次に出したら、僕はお前を殺す」

 返り血を浴びた端整な顔でそう言うと、剣を片手にアンリは歩き出した。

「どこに行くんだ…?」

「帰るの」

 振り返ることもせずアンリはそれだけ言ってバルコニーから直接庭に下りる階段へと歩いていく。その優美な後ろ姿に、キーがまた悪寒を感じて、それ以上アンリを追いかける事もできなかった。

 



 誰もいない広大な庭を歩くアンリは、一人呟いた。

「やっちゃった…」

 その口調も声も、いつものあどけない笑みを浮かべるアンリだった。月と星がアンリに優しい光をくれる。その中で、長い裾を引きずるように歩くアンリの綺麗な目から、一粒だけ雫が零れた。

「母様に似てるね…僕」

 頭に血が上ってしまった。母の名前に自我が崩壊してしまうかと思った。それだけアンリにとって母は鬼門。

 愛したい存在の母に対して、アンリは恐怖しか持っていない。それが悲しくて、でもどうしても母に似ている自分の底にある魂を感じて、アンリは自分を抱きしめるようにして大きく溜息をついた。

 歩きながら剣、サークレットやピアス、他の装飾品を外してポロポロと落としていく。何も飾るものがなくなったアンリは、二つの月を見上げて、ふわりとあどけない笑みを見せた。

「あの人に会いに行こう…」

 そう言った死神は、久し振りに聞いた母の名前を思い出し、小さく身体を震わせて、幾筋もの涙を流した。


 (了)

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