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(6)

 部屋には重い空気が流れていた。


 リュシアンの私室に集まった四人はしばし無言だった。


 それを破ったのは集めたリュシアン本人だった。


「イレール、あれが神の血の力……なのか?」


「私も実際目にしたのは初めてですが、まず間違いないでしょう」


 イレールは冷静に答えた。


「紅の女神も彼女に間違いないと思うか?」


 リュシアンはちらりとアンジェリーヌを見る。


「はい。あの場にいた女性は彼女ただ一人」


 二人の会話を聞いて、アンジェリーヌは不安げにジャンを見る。


 ジャンはアンジェリーヌを安心させてやりたいと思うが、その表情は硬かった。


 ジャンの心にも不安が渦を巻いていた。だからジャンはアンジェリーヌの手を握ったまま離そうとしなかった。


 リュシアンは額飾りを外すとアンジェリーヌを見た。


「アンジェリーヌ、そなたこれと同じものが体のどこかについていないか?」


 アンジェリーヌは戸惑いながら小さく頷いた。


「本当か!? どこに?」


 驚きを隠せないジャンがアンジェリーヌの両の二の腕を掴んで聞いてきた。


「大切な話があるって言ったのはこのことだったの。私は普通の人と違うものを身体に持っている。夫となるあなたにだけはこの秘密を話しておかなくては……と思ったの。でもこれが何なのか私は知らないわ。……紅の女神って何? 神の血って?」


 不安そうにアンジェリーヌはジャンを見つめた。


「話す前にお前の石を見せてくれ。本当に兄上と同じものなのか確かめたい」


「ジャンにだけなら……。私の石はここにあるの。だから……」


 アンジェリーヌは胸の狭間を押さえた。これを見せようとすれば胸も見せなくてはならない。異性に胸を見られるのは恥ずかしかった。


「……兄上、隣の部屋借りてもいいか?」


「ああ」


 事情を察したジャンはリュシアンの許しを得ると、アンジェリーヌの手を引き隣の部屋へ移動した。


 アンジェリーヌはジャンに背を向けるとドレスの胸元のリボンを解き、一度深呼吸をした後彼に向き直った。そしてそっと胸元を広げる。


 恥ずかしさのあまり、アンジェリーヌはジャンから視線を逸らさずにはいられなかった。


 ジャンは深い緑色の宝石に人差し指でそっと触れた。アンジェリーヌは触れられた瞬間、鼓動が跳ねる。心臓の音がやたら大きく感じた。


 確認し終わったジャンは彼女の服を直した。


「こんなことさせてすまなかったな。……確かに兄上と同じ石のようだ」


「やっぱりそうなの……」


「やっぱり?」


 アンジェリーヌは頷いた。


「あの時……リュシアン王太子殿下が光に包まれた時、私の石も急に熱を持ったの。だからきっと同じ石なんだろうと……」


「そうか」


 ジャンは自分を納得させるように呟いた。


 二人はリュシアン達のいる部屋に戻った。ジャンは彼らに石がまず間違いないこと、リュシアンの石に反応して熱を持ったらしいことを伝えた。


「兄上、本当にアンジェリーヌが兄上の紅の女神なのかどうか、もう一度確かめてみてくれないか?」


「どうやって?」


「例えばあの花瓶を壊してみるとか。アンジェリーヌが本当に兄上の紅の女神なら、神の血の力で破壊できるだろう?」


 ジャンの指したのは部屋の隅にある五十センチ程の花瓶。もちろん生花も飾ってある。


 水の入ったその重さは大の大人一人で持ち上げるのがやっとのものだ。


「無茶なことを言わないでくれ。神の血の力は街一つ消すことの出来る強大なものだ。さっき初めて使ったばかりでコントロール出来る自信などない。一歩間違えば宮殿ごと破壊しかねないのだぞ」


 使った者だから分かる、力を行使する恐怖。


 さっきはシャンデリアだけで済んだ。あの時も少し間違えば宮殿を破壊していたかもしれないのだ。


「やってみてはいかかでしょう?」


「イレール、そなたまで何を言う!?」


「心を落ち着かせて、対象物のみ壊すことに集中したら多分大丈夫でしょう。彼女が紅の女神かどうかはっきりさせなくてはなりません」


 ジャンとイレールに見つめられ、リュシアンは思い詰めたように考え込む。


 紅の女神が本当にアンジェリーヌかどうか確かめなくてはならない。しかしコントロール出来る自信がない。


 もしアンジェリーヌが紅の女神なら、彼女は神の血と紅の女神のことを知らねばならない。王家が守ってきた、王族とごく少数の大臣しか知らない王家に受け継がれる血の秘密を。


「……分かった。やってみよう」


 リュシアンは決心すると、額飾りを外した。


 深呼吸をして心を落ち着かせると、真っ直ぐ花瓶を見据える。


 そして花瓶が壊れるよう心に強く念じると同時に、先程の血の湧き上がる感覚が再びリュシアンの体を駆け抜けた。


 額の宝石が深紅に染まる。


 同じくしてアンジェリーヌも胸が熱くなるのを感じた。


 陶器の割れる甲高い音が部屋に響いた。


 花瓶がシャンデリアの時と同様粉々に砕け散った。


 それだけに留まらず、花瓶を載せていた台までもが同じく原形を留めることなく辺りに散らばっていた。


 アンジェリーヌはそっと自分の胸の狭間を覗き込んだ。


(……赤くなってる)


 もはや自分が紅の女神という存在であることは、疑いようのない事実だと認めるしかなかった。


 リュシアンはホッと息を吐く。宝石は緑色に戻っていた。


 極力力は抑えたつもりだった。だが目的以外の物まで破壊してしまった。


 リュシアンは改めて神の血の力の大きさを実感せずにはいられなかった。


「これではっきりしましたね」


 イレールが言った。


「……そのようだな」


 リュシアンはジャンとアンジェリーヌの座る長椅子に近寄り、アンジェリーヌの横に腰を降ろした。


 リュシアンは静かにアンジェリーヌを見つめた。


「今から話すことは王族とほんの一握りの大臣しか知らぬこと。そなたも誰にも、たとえ父親にも話してはならないことなのだ。よいな?」


 リュシアンの真剣な眼差しに、アンジェリーヌは戸惑うように傍らのジャンを見る。


 ジャンはアンジェリーヌの手を握る手に力を込め頷いた。


「はい、殿下」


 アンジェリーヌは何を言われても受け止めようと思い答えた。


 リュシアンはアンジェリーヌの様子を見て静かに語り出す。


「私の額にあるこの宝石は神の血と呼ばれていて、長男にのみ現れるものだ。普段はこのように緑色をしているが、ある瞬間にだけ色を深紅に変える」


「ある瞬間?」


「そう。……紅の女神を共にし破壊の力を発する時に、だよ。この力は攻撃の力。街一つをも容易く破壊できる力なのだ。初代の国王はこの力を使い、アランテル王国を建国したそうだ。それからはこの神の血を持つ長男が代々王を継いできた。愛人の子であるにもかかわらず、私が王太子という立場でいられるのもそのせいなのだよ」


 リュシアンの話を聞いて、アンジェリーヌは以前ジャンが話してくれたことを思い出した。


 兄は愛人の子だが訳あって王太子は血筋に関係なく長男と決まっていると。そして自分は第二王子であるが継承順位は三番目だと。


 その理由はこの神の血と呼ばれる印のためだということをアンジェリーヌは知った。


 リュシアンは話し続ける。


「神の血の力を行使するには紅の女神が傍にいることが絶対条件でね。紅の女神とはこの印を持つ者一人に対してこの世に一人だけの選ばれし運命の女性。父にもその相手がこの世のどこかに存在するはずだがまだ見つかっていない。……いや、その女性と出逢う方が奇跡なのだろう。代々の国王の中でも出逢ったのは初代と三代目だけだと聞いている。この国にいるのか他国にいるのかそれを知る術はない。逢った時に神の血の力を発する他ないのだ。先程の私とそなたのように……ね」


「私が殿下の……紅の女神?」


「そういうことだ」


「でも私は王族とは何の縁もない血筋……」


「紅の女神は王族の血筋とは無縁なのだよ。それどころかアランテル国民とも限らない。ただ神の血と同じ石を身体のどこかに持っている。それが紅の女神という証拠なのだ」


 リュシアンの話はアンジェリーヌから口数を奪っていった。


 王族とほんの一握りの大臣しか知らない王家の秘密……神の血。それだけでもその力を目の当たりにしたアンジェリーヌに驚きを隠せないほどの衝撃を与えた。


 さらに追い討ちをかけたのは紅の女神の存在。


 神の血の運命の相手。


 リュシアンの運命の女性がこの自分なのだと知らされ、アンジェリーヌはショックを受け不安に駆られた。


 愛しているのはジャン。


 しかし自分の運命の相手は彼の双子の兄、リュシアン。


 アンジェリーヌは運命という渦に飲み込まれてしまいそうだった。


「アンジェリーヌ、不安がることはないよ。そなたは紅の女神の運命に縛られることなく、ジャンとの愛を育んでいけばよい。もし万が一神の血の力が必要になったら、その時だけ力を貸してくれればいいのだから」


「……リュシアン殿下」


 彼の温もりある微笑みに、少しだけアンジェリーヌの心が軽くなった。


「ジャン。彼女を守るのはお前の務め。紅の女神という重圧を取り除いてやるのもお前の役目だよ」


「分かってるさ」


 リュシアンに諭され、ジャンは頷いて答えた。


「ジャン殿下とアンジェリーヌの結婚、早めた方がいいのでは?」


 イレールがリュシアンに問い掛けてきた。


「どうしてだ?」


「彼女が紅の女神だと明るみに出れば、恐らく大臣達はジャン殿下とではなくリュシアン殿下との結婚を進言してくるはずです。先程殿下はマルシーナ伯爵に口止めされていましたが、あの男、気の弱いところもあります。もしそこから漏れでもしたら……。今のうちなら国王陛下の許しも頂いていることですし、大臣達も強引には言ってこられないでしょう。一度結婚したらそれを取り消してまでリュシアン殿下と結婚させることはないと思いますし」


「アンジェリーヌを不安がらせるようなことは慎むのだイレール。大丈夫。もしアンジェリーヌが紅の女神と知れてしまっても、国王は一度許したことをそう簡単には翻したりはしない。それに彼女は王家の一員になるのだ。この宮殿にいる限り、万が一の時はすぐにでも助けてもらうことも出来る。何も案ずることはない」


「そうだといいのですが……」


 イレールは言葉を濁した。


 イレールは自分の中に広がる不安な考えが無駄に終わって欲しいと願った。


 その時、扉を叩く音が突如響いた。


 皆、一斉に扉を振り返る。


「王太子殿下、……王太子殿下いらっしゃいますか!!」


「何事だ」


 イレールが扉を開けに行く。彼が扉を開けるのを待ち構えていたかのように、声の主オーション子爵が口を開ける。


「大変です。国王陛下がお倒れになりました。意識もなく危険な状態だそうです。陛下の許へお急ぎ下さい!」


「父上が!?」


 リュシアンとジャンが顔を見合わせる。


 つい先程会ったエドワール四世の顔がアンジェリーヌの胸にも浮かんだ。


(そんな……。さっきはそんな様子全然感じられなかったのに)


「両殿下、急ぎましょう!」


 三人がリュシアンの私室を飛び出そうとした。


「アンジェリーヌ、お前も来い!」


 ジャンが振り返りアンジェリーヌを呼んだ。


「私などが行っても……」


 王の私室に入れるのは王族のみ。


 国の一大事で大臣などの地位の高い貴族は見舞いに入れても、自分などが入れるはずもないとアンジェリーヌは踏み止まろうとした。


「お前はもう王家の一員だ。来い!」


 ジャンに強く言われ、アンジェリーヌは自分が王家に嫁ぐ身だと自覚した。


「はいっ!」


 アンジェリーヌも三人の後を追うように駆け出した。


 国王は自分の私室で横たわっていた。


 リュシアンとジャンはエドワール四世の傍らに並んで立つ。


 王妃とカミーユがそれに続くように部屋に到着した。


 リュシアンは御典医を見る。


 御典医はリュシアンが言葉を発する前に静かに首を横に振った。


「手の施しようがありませんでした。……すでにお亡くなりでございます」


 その場にいた全員が息を呑んだ。


「母上!」


 ショックに耐えきれず倒れた王妃をカミーユが支える。


「それは、真……か?」


 リュシアンは信じられない思いでもう一度確かめた。


「はい。恐れながら申し上げます。崩御あそばされました。……傍におりました者の話では、陛下は頭を抱えるようにして倒れられたそうです。恐らく頭の中の血管が詰まったか切れるかして脳に異常が出たのだと思われます。今の医学ではどうすることも出来ませんでした。力及ばす申し訳ございません」


「…………ご苦労だった」


 リュシアンは事実を受け止めようと必死だった。


 ジャンは眠るエドワール四世の手を握った。


 力の抜け切ったエドワール四世の手は、ジャンに彼の死を伝える。


 ジャンもまた、受け止められない現実に手が震えていた。


「父……上」


 ジャンの悲痛な呟きがアンジェリーヌの胸を打った。


(こんなことになるなんて……)


 まだ一日も経っていない。彼が自分の娘として迎え入れると告げてくれてから。


 国王としては厳しい人だったのだろう。しかし父親としてはきっと家族を慈しみ愛していたに違いない。


 アンジェリーヌはエドワール四世が迎え入れると告げた時の優しい表情を思い出してそう思った。


「リュシアン王太子殿下」


 彼の傍に一人の中年男性がやって来た。現宰相であり、イレールの父でもあるギョーム・ロ・ソシェルだ。


「ギョームか。父上がまさかこんなに早く逝ってしまわれるなんて……」


 リュシアンは肩の力を落とし呟くように言った。


「はい、残念でなりません。お悔やみ申し上げます。……ですが王太子殿下、辛い胸の内はお察ししますが、これからのことで色々打ち合わせがございます。陛下の葬儀、そして新国王の即位式が待っております」


「分かって……いる」


 リュシアンの表情は悲痛に満ちていた。


 そこには国を統べる国王の地位につく者の喜びなど微塵もない。


 アンジェリーヌはジャンとリュシアンの一歩後ろから二人の姿を見つめていた。


(これが王族なの? ……これが国の中心となる者の宿命なの?)


 家族の死の悲しみに浸る時間さえ与えてもらえない。


 国を守る者として、その歩みを止めることを禁じられた一族。


 最高の地位と引き換えに、彼らは家族の愛情を犠牲にしてきたのだ。


 アンジェリーヌは噛み締める。


 これが王族なのだと。


 そして自分もこの一員になるのだと。


 一個人としての感情を人前でむやみに露にしてはいけない。


 リュシアンとジャンが気丈に対応している様子に、アンジェリーヌは彼らの心の内を思うと、二人に何も声を掛けることが出来なかったのだった。

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