(4)
「父上、お話したいことがあります。後で私室に伺うので時間を空けて頂けますか?」
「ジャンどうした? 改まって」
夕食後、エドワール四世が退出しようとした時、ジャンが声を掛けた。
エドワール四世はいつもに増して丁寧なものの言い方をしてきたジャンを不思議に思った。
「大切な話があります」
「……分かった。私室で待っていよう」
ジャンの真剣さに、その話がジャンにとって重大なことと察したエドワール四世はジャンに待つと言い残し私室に向かった。
ジャンは気を落ち着かせるようにふっと一息吐く。
そうしている間に、王妃や第三王子カミーユも退席して行った。
ジャンは覚悟を決め、席から立ち上がった。
「ジャン」
近寄って来たリュシアンが後ろからジャンの肩に手を置き呼び掛けてきた。
「私も同席していいかな?」
「兄上?」
リュシアンがついて来ると言ってきたのが何故か分からないジャンは、不思議そうにリュシアンを見た。
リュシアンはそんなジャンを見透かすように笑う。
「ブランシェス男爵の娘、アンジェリーヌとの事を認めてもらいに行くのだろう?」
今のジャンにこれ以上大切な話などありはしない。
リュシアンにはジャンの大切な話が何を指すかすぐに分かったのだった。
ジャンは益々驚きの目でリュシアンを見る。
「何故兄上がアンジェリーヌのことを知っているんだ? 俺はまだ誰にも彼女との付き合いを話していないのに……」
「私は一度宮廷で彼女に逢ったことがあるのだよ。彼女は父の伴で来ていたようだが、私を見てアルフレードと声を掛けてきた。その時私はお前の身の上を話したのだが、かなりショックを受けたらしい。けれどお前のことだから、身分の差で彼女を諦めたりはしないと思っていたよ。おまえが行動に出たということは、彼女も分かってくれたということ……だね?」
リュシアンの話を聞いて、ジャンはふと気づいた。
(そういえばアンジェリーヌは王家の紋章だけで俺をジャン、第二王子だと言ってきた。紋章だけなら普通俺が王族の何者かすぐには分からないはず。……そういうことだったのか)
あの日、アンジェリーヌは第二王子と知っていて、初めから別れを告げる覚悟で逢いに来たのかもしれない。
ジャンの胸にあの日のアンジェリーヌの涙に濡れた悲痛な顔が浮かんだ。
「俺は彼女を幸せにしたい。それが俺の幸せになるんだ。彼女にもう辛い思いをさせるのはまっぴらごめんだ。俺は俺の出来る限りの力で彼女を守っていく」
「私も応援するよ。……いい子を選んだよ、お前は。澄んだ、輝いた瞳をした娘だったな。……大切にするのだよ」
リュシアンはたった一度逢っただけのアンジェリーヌの姿を思い浮かべジャンに言った。
胸にほのかに抱く彼女への想いを、リュシアンは永久に封印しようとしていた。
親愛なる弟と、彼を愛するアンジェリーヌの幸せのために―――。
「ありがとう、兄上」
リュシアンの心に気づいていないジャンは、心強い援軍を得た思いで感謝したのだった。
二人はその足でエドワール四世の私室へ向かった。
私室にはエドワール四世だけだった。召使も臣下の者も誰もいない。
広い王宮の中でも唯一の王のプライベートルーム。国務から解放が許される空間。
そこに入室を許されているのは、王家のエドワール四世の家族だけである。
エドワール四世はジャンを待ち構えていたかのようにすでにテーブルについていた。
「リュシアンも一緒か?」
「ええ。ジャンの話はきっと私も無関係ではないはずなので……」
リュシアンはジャンの後に続くようにして椅子に腰掛けた。
二人はエドワール四世と正面から向き合う形で座った。
「で、話とは何だ?」
エドワール四世に言われ、ジャンは彼に挑戦的な瞳を向けた。
「父上に紹介したい娘がいます。俺の妻になる人として……」
ジャンから切り出された突然の結婚話にエドワール四世は正直驚いた。
今のところ三人の王子は未婚だった。
もう三人とも結婚話が出てもおかしくはない年齢だ。だが三人の中で一番その手のことには縁遠そうに思えたジャンからこの話が出るとは、エドワール四世は思ってもいなかった。
しかも臣下からの薦めの縁談ではない。本人から直接……だ。
「相手はどこの娘だ。他国の王族か? それとも公爵の娘か?」
王族の結婚する相手は大体にしてその二つに限られていた。
「いえ。男爵の娘です」
「男爵だと!?」
「はい。ブランシェス家の娘、アンジェリーヌです」
「何を馬鹿げたことを言っているのだ!」
エドワール四世は声を荒げた。
王族が男爵の娘と結婚など、相手として問題外なことだった。
ジャンは怯まなかった。
エドワール四世のこの反応は予想していた。
身分の差があるからこそ、アンジェリーヌも一度は別れようとしたのだ。
国を統べる者としては当然の反応だと思った。
「俺は馬鹿な事を言っているとは思っていません。俺はアンジェリーヌを愛した。彼女もそれに応えてくれた。俺は身分ばかりを重んじるような愛のない結婚などしたくない」
エドワール四世の頭の中におぼろげにロドリグが後継者にと紹介した娘の姿が浮かんだ。
「ブランシェス男爵は娘を後継者にしたはずだ。なのに何故お前と結婚しようとしているのだ? 王家の権力、地位に魅力を感じたのではないか!?」
「彼女を侮辱しないで下さい!」
ジャンの声に耳も貸さずエドワール四世は続ける。
「それにジャン、王家に必要なのは愛のある結婚ではない。より王家を国家を安泰に導く縁談だ。お前も王族に生まれたからには、国家のために身を捧げなければならない立場だということを忘れてはならない!」
王子としての立場。
幼き頃からその心得は学ばされてきた。国家のためになることをするように教えられてきた。
でも出逢ってしまったのだ。
己の何もかもを捨てても得たいと思う最愛の女性と。
ジャンはアンジェリーヌからブランシェス家の後継者のことは何も聞いていなかった。
彼女の絵からすると後継者に選ばれても不思議ではない。
だがそのことで彼女が自分とのことを諦めたりはしないはずと思っていた。
「父上、俺は国家を裏切ろうとしているのではない。これからだって王子として国の力になっていくつもりだ。いつか兄上が国王として立った時、その片腕になりたいと思っている。ただ結婚だけは譲れない。他の何を諦めてもアンジェリーヌとの事だけは譲れない。もしどうしても認められなければ、俺は王家を出る。貴族に……臣下になる。王子の身分を捨てる!!」
ジャンは立ち上がって熱く言い放った。
いつの間にか国王に対して敬語を使うことさえ吹き飛んでいた。
「父上」
ジャンの様子を見かねてリュシアンが口を挟んだ。
リュシアンにはこうなることが薄々分かっていた。だから二人だけで話をさせずに同席したのだった。
「私からもお願いします。ジャンの結婚を認めて下さらないでしょうか? ジャンに王家を去られては父上にも私にも、しいては国家にも大きな痛手となりましょう。確かに縁談による王家への利益も大切です。しかしそれだけでしか王子としての役目を果たせないわけではありません。ジャンには結婚以外のことで王子としての役目を果たしてもらいます。結婚による王家の強化は私が引き受けましょう。父上の意に叶った方がいれば、いつでも私がその方と結婚いたします。ですからどうかジャンとアンジェリーヌのことを認めてやって頂きたいのです」
「それでは兄上が俺の犠牲になってしまうようなものだ!」
「私のことは考えなくていい。ジャンはアンジェリーヌとのことだけを考えていなさい」
リュシアンは思う。
自分は王太子。元より自由のない身。結婚相手が選べないことなど初めから承知の上だと。権力を手にする代わりに、多くのことを諦めなければならない立場なのだと。
だからこそ思う。せめて弟は自由に生きていって欲しいと。
エドワール四世はしばらく俯いたままじっと考え込んでいた。何がこのアランテル王国にとって、王家にとって一番よい方法なのかを。
ジャンは言ったことは実行する男。
結婚をこれ以上反対すれば、本当に王家を出ていくだろう。
苦渋の選択を強いられたエドワール四世は、ジャンの有無を言わせない強い瞳を前に、諦めの溜息を吐いた。
「お前を失うのは確かに王家にとって善くないことだ。……仕方がないが認めよう」
「父上!」
ジャンは喜びの声を上げると嬉しそうにリュシアンを見た。
「よかったな」
「ありがとう、兄上。……でも兄上を辛い立場に立たせてしまったな」
「気にしなくていい。ジャン、私はお前のことを頼りにしている。お前を無くしたくなかったから助言したまでだよ」
リュシアンは弟を労わる優しい笑みで答えた。
第一段階は乗り越えた。大きく前進した思いをジャンは噛み締めた。
(これでアンジェリーヌを迎えに行ける)
ジャンの心は喜びに湧くのだった。