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(14)

 裁判が行われ、予想通りカロンヌ公爵を始め、この事件に関わった者には極刑の判決が下された。


 そしてもう一人、直接関わったわけではなく巻き込まれただけに過ぎないカミーユにも刑が言い渡された。


 王族から臣下の公爵への身分の降格が下されたのだ。正当な血筋を持つカミーユの王位継承権を剥奪し、今回の事件が再び起こらないよう、大臣達が仕組んだことだった。


 リュシアンは最後まで一人になっても反対し続けた。カミーユには何も罪はない。周りが勝手に持ち上げたに過ぎない……と。


 だが大臣達は血筋を重んじる者が根絶やしになったわけではない、カミーユがこのままの地位にいる限り再び今回のような事件が起こるだろうと言い、カミーユの王族からの排除を国王であるリュシアンに強く進言してきた。


 まだ国王としての絶対的な力のないリュシアンはそれでも反対した。もう誰も自分のために犠牲にしてはならないというリュシアンの決意がそうさせた。


 しかしリュシアンの国王としての立場の脆さを知るイレールがリュシアンを説得し続け、とうとうリュシアンが折れる形で収まったのだった。


 カミーユの降格が決まり、それがイレールによって本人に伝えられて間もなく、リュシアン自らカミーユと王太后を宮殿の一室に迎え、彼らの前に跪き頭を垂れた。


「今回のことは私の力が及ばず、こんなことになってしまい大変申し訳なく思っています。継母上には母を亡くした私達兄弟を引き取り実の子のように育てて頂いたのに、その恩を仇で返すようなことをしてしまい、どう償っていったらよいものかと思案しています。カミーユにも本来なら王位を継いだのはそなたなのに、王位を奪った上に王族から追い出すことになってしまって……」


 リュシアンは己の無力さが悔しくて思わず泣きそうになり言葉に詰まった。それを堪えるように唇を噛み締める。


「陛下、顔を上げて下さい。私達はあなたを責めるつもりはありません。責めるとすれば理由はどうあれ王族に刃を向けた者に対してでしょう。神の血を持つ者が王位を継ぐ。それが国の定めた決まりなら、それに従うのが王家の務め。ですから陛下は何も後ろめたさを感じることはないのです。堂々と国王として立っていればよいのです。その器量が陛下にはおありなのですから」


「継母……上」


 逆に励ましの言葉を受けたリュシアンは、幼い頃から与えてくれていた母の愛情を感じ、ただただ自分を許してくれた王太后に感謝した。


「兄上、私はこうなって正直心のどこかでホッとしています。私には国王としての器などありません。貴族になればその柵から解放されるのです。ただたとえ貴族になったとしても、兄上を今までと同じように兄として慕うことは許して下さい」


 心優しいカミーユの言葉にリュシアンは胸が一杯になった。


「身分が異なっても、私はそなたの兄であることに変わらない。私といつまでも兄弟でいて欲しい」


 リュシアンは心に刻む。


 この母子を二度と災いに巻き込んだりはしない。守っていくことが償いなのだと。


              *    *    *


 カロンヌ公爵の処刑の日が訪れた。


 広場には貴族を始め民衆も多数集まっている。そして騒動が起こらないように兵士も多く配置されていた。


 その中でリュシアンとアンジェリーヌとイレールは、王家の所有する屋敷の広場に面したバルコニーにいて、その様子を見下ろしていた。


 ジャンだけは下の断頭台の近くでカロンヌ公爵が連れて来られるのを待っている。カロンヌ公爵の身分を考え、ジャンが彼の最期に残す言葉を聞く役目を担ったのだ。


「アンジェリーヌ、本当に見届ける覚悟出来ているか? 人の死に様を見るのは決して気分のいいものではない。また悪夢にうなされてしまうかもしれない。それでもよいか?」


 リュシアンは最後にもう一度確認する。どれほど悪夢にうなれて涙を流し苦しんでいたか、リュシアンもよく分かっていた。


 彼の心遣いがアンジェリーヌの胸に染みた。


 人の死を見届けるのは正直いって怖かった。見届けたからといって恨みが晴れるわけでもない。それでも避けて通ることは出来ないものだと感じていた。


「はい。私に出来ることは父の代わりにこの事件のすべてを見届けること。それが私に出来るせめてもの父への償いなのです。それで私が苦しむことになっても、それは私に与えられた試練。それに公爵が処刑されようとしているのに、王妃の私が立ち合わないわけにはいきません。この処刑は国にとっても重大な出来事なのですから、王家としても立ち合うことで公爵に敬意を表すべきと思いますから……」


「国の……私の立場を思ってのことなら無理することはないのだよ。私はこれ以上そなたを苦しめたくはない」


 ジャンとのこと、父親のこと。……愛する人を泣かせてばかりいる後悔がリュシアンの胸を苛んでいた。


「陛下のお気遣い、嬉しく思います。けれどたとえ苦しんだとしても、それは決して陛下のせいではありません。私自身が選んだことなのです。ですから陛下も己を責めるのはどうかおやめ下さい」


 恐れを抱きながらも耐え抜こうとするアンジェリーヌの健気な姿がリュシアンの胸を打つ。


 たとえ少しでも支えになることが出来るのなら、他の何を犠牲にしても支えになってやりたいと思った。そうすることで己の悔んでも悔みきれないやり場のない思いが、僅かでも救われる気がした。


「アンジェリーヌ、私に出来ることがあったら遠慮せず頼って欲しい。私はそなたの力になりたい。ジャンの代わりに今は私がそなたを支えてやりたいのだ」


 リュシアンの切実に訴える瞳に、アンジェリーヌの心を一瞬切ない苦しみが駆け抜けた。


(陛下は心の底から私を心配してくれている。……愛してくれている)


 リュシアンの包み込む温かな愛を感じたアンジェリーヌは、この人のためにジャンのことを忘れようと思い始めていた。


 そうすることがリュシアンにとってもジャンにとっても自分にとっても……そしてこの国にとっても、一番よい選択なのだと受け入れようとしていた。


 広場が一際ざわめき、そしてどよめきに変わった。


 カロンヌ公爵が広場に連れて来られたのだ。


 彼は広場の中央に設置された断頭台に向かって毅然とその足を進めている。後ろ手に縛られてなお臆することなく、真っ直ぐ先を見据えるカロンヌ公爵の姿に、アンジェリーヌは動揺した。


(あの人がお父様を殺した……首謀者)


 ジャンに逢うこともなく王家に嫁ぐこともなければ、恐らく名前しか知らなかったであろう大貴族の筆頭人物。


 顔を会わせたのも言葉を交わしたのも数えるほどでしかなかった。それでも会うたびに、彼の威圧感に胸に重苦しいものを感じていた。


(あの男が……)


 彼を殺して父が戻ってくるのなら自分の手が血に塗れても構わない。そう思うほどアンジェリーヌの心に憎しみが湧き上がった。


 それなのにアンジェリーヌは彼に憎しみをぶつけることが出来なかった。


 憎い。だが彼のその堂々とした姿に、彼の信念までもが伝わってくる。


 ―――国王には正当な血筋の者を。


 やり方は間違っていた。しかし他人の命を奪ってまでもその信念を貫こうとしたカロンヌ公爵の確固たる決断を、アンジェリーヌは責めることが出来そうになかった。


 自分にはそんな決意も強い心もない。いつも守られて支えられて……そして逃げていた。己の弱い心で、どうしてあのカロンヌ公爵に立ち向かって彼を罵倒することが出来ようか。


 カロンヌ公爵の存在はアンジェリーヌに自分の心を見つめさせた。


 アンジェリーヌが葛藤している間に、カロンヌ公爵は断頭台へと上がっていった。


 彼の傍にジャンが歩み寄り声を掛ける。彼の遺言を聞くためだ。


 カロンヌ公爵は顔色一つ変えることなくジャンに二言三言何かを伝え、ジャンに背を向け断頭台の前に立った。


 その姿は後悔などない、事をやり終えた満足感さえ漂わせていた。


 一方ジャンはどこか落ち着かない、動揺しているような表情を出していた。


(どうしたのジャン? カロンヌ公爵は何と言ったの?)


 ジャンを動揺させたカロンヌ公爵の言葉に、アンジェリーヌの心もざわつく。


(お父様のこと? 私のこと? ……それとも陛下のこと?)


 気になってしまう。今すぐにでも駆け寄って聞き出したかった。しかしこの場を離れるわけにはいかなかった。


「アンジェリーヌ、大丈夫か? 見届けられるか?」


 リュシアンの言葉にアンジェリーヌは我に返り、カロンヌ公爵を見下ろす。


 彼はすでに頭を垂れ、台に首を固定されている。後は鋭い刃が彼の首に落とされるばかりだ。


 アンジェリーヌの脳裏に刃が振り落とされる瞬間の想像が浮かんだ。


 人間の死。


 血に塗れるその姿を想像したとたん、アンジェリーヌの心に父の死の衝撃が蘇る。呑み込まれそうになる思いに、手を握り合わせ懸命に耐えた。


 その恐れに震える手に重ねられた温もり。


 ―――リュシアンの手だった。


 無闇に触れないと言ったリュシアンが私的にアンジェリーヌに触れたのは、一体何日前のことだったろう。それは思い出せないほど前のことだった。


 アンジェリーヌは縋りつく思いでリュシアンを見つめた。


「そなたはよく頑張った。……もう無理をせずともよい」


 優しく語り掛けるリュシアン。


 彼の言葉に、アンジェリーヌは彼に支えられている自分がいることを悟った。いつも一歩後ろから背中を見つめ、必要な時はその手を差し出してくれていたのだと。


 そして今もまたアンジェリーヌはリュシアンによって己の歩みたい先へ踏み出す力を与えられたのだった。


「陛下、……最後まで私はここにいます」


「………そうか」


 アンジェリーヌの決意にリュシアンは穏やかに言った。


 アンジェリーヌはリュシアンの手から力を貰い、カロンヌ公爵へと真っ直ぐ視線を下ろした。


 刃が振り落とされたのはその直後のことだった。


 弔いの鐘を聞きながら、アンジェリーヌは人の命の儚さを噛み締めるのだった。


              *    *    *


 カロンヌ公爵の事件から、ようやく平穏を取り戻しつつあった。


 夕食後、執務室へとジャンがやって来た。


「兄上、いえ陛下。大切なお願いがあります」


 こんな時間にやって来ただけでなく、ジャンから今まで一度も呼ばれたことのない陛下という敬称で呼ばれ、リュシアンはジャンの顔を不思議そうに見た。


 ジャンの表情はいつになく真剣で、何かを内に秘めている感じをリュシアンは受けた。


「陛下、では私はこれで……」


 異様な雰囲気にイレールが気を遣い退出しようとする。


「待てイレール。お前にも聞いてもらいたい」


 ジャンが引き留める。


 リュシアンは机の上で手を組み、目の前に立つジャンを見上げた。ジャンの願い事がよほど重大なことなのだと肌で感じ取っていた。


「頼みとは何だ?」


 ジャンはリュシアンの声から彼が自分の真剣さをどことなく感じとって今向き合ってくれているのだと知り、決意を口にする。


「俺を王族から外し公爵へ降して欲しい」


 リュシアンは予想もしていなかった言葉を聞き思わず立ち上がった。が、すぐには言葉が出てこない。そんな驚きを隠せないリュシアンにジャンはもう一度言う。


「俺を貴族に……臣下にして欲しい」


「……なぜ急に……そんなことを?」


「この前の事件がきっかけといえばきっかけだが……。よく考えて決めたことだ」


「そんなこと認められない。私にはお前が必要だ」


 リュシアンの声は動揺で上擦っていた。ジャンを失うことの大きさを分かっているからこそ、その衝撃は大きかった。


「俺も陛下の片腕になりたいとずっと思ってきた」


「では何故? 私を助けてはくれないのか? 私の頼りなさに呆れてしまったからか?」


「呆れたことなんてない。片腕になれなくなったのは本当に済まないと思っている。けれどもこれが陛下にとっても俺にとっても最善のことだと思ったから決めたんだ」


 リュシアンの頭の中は混乱し、とてもまともに考えられなくなっていた。急にこんなことを言い出したジャンの心理を掴めなくて、どう説得して思い留まらせたらいいのか分からなくなっていた。


「ジャン殿下、それはこの間のカロンヌ公爵の言葉と何か関係があるのではないですか?」


 そんなリュシアンの様子を助けるように、イレールが口を挟んできた。


 イレールの言葉にジャンは一瞬躊躇ったが、すべてをはっきりさせないと認めてはもらえないと思い頷いた。


「あの時カロンヌ公爵は言ったんだ。俺の存在が兄上を追い詰めるだろうと」


「私を追い詰める?」


「ああ。兄上と俺は同時に産まれた兄弟。神の血のことを知らない貴族にとったら、カミーユがいない今となっては兄上と俺、どちらも王位を継ぐ権利が同じようにあると思うだろう。カミーユの時のように己の感知しないところで勝手に貴族が兄上を排除しようとするかもしれない。貴族が真っ二つに分かれ、それはやがて兄弟の対立へと繋がってしまう。そうなればまた兄上もアンジェリーヌも苦しむだろう。それにカロンヌ公爵はこうも言ったよ。俺のアンジェリーヌへの想いがやがて兄上への憎しみとなり、彼女を手に入れるためなら王位をも望むようになるだろうと。俺は反逆者になどなりたくはない。兄上を憎みたくも追い詰めることもしたくない。俺は王位継承権を放棄することで、兄上もアンジェリーヌも守ろうと決心したんだ。だから兄上、どうか俺の願いを聞いてくれ。俺に王子としての最後の役目を果たさせてくれ」


 処刑の日から今日まで考えに考え抜いた結論。カロンヌ公爵の言葉を鵜呑みにしたわけではない。自分たち兄弟の立場の危うさが分かっているからこそ決心したことだった。


 ジャンの決意の固さを感じてもなお、リュシアンはすぐにそれを受け入れられなかった。


「アンジェリーヌのことはどうするのだ? お前が王族でなくなってしまったら、お前とアンジェリーヌを結婚させることが出来なくなってしまうではないか! 私は彼女と約束したのだ。いつかきっとお前の許へ返すと……」


 リュシアンの言葉でジャンの胸にアンジェリーヌへの想いが込み上げる。ジャンは目を伏せた。


 自分の一生を懸けて愛し抜こうと決めた女性。貴族に降ることは結婚するどころかもう二度と彼女の傍で彼女を見守ることも出来なくなるということ。彼女が苦しみ涙を流していても手を差し伸べることも出来なくなるということ。


 それを考えると胸が痛む。しかしジャンは彼女を救える人物がもう一人いることを知っていた。


 ジャンはリュシアンの隣に歩み寄り、肩に手を置いた。


「兄上、アンジェリーヌのことを頼む」


 リュシアンは目を見開いた。ジャンがアンジェリーヌを諦めたと口にしたからだ。リュシアンは驚きを隠せないまま愕然と首を横に振った。


「兄上にしか頼めないことだ」


「無理だ。……アンジェリーヌを幸せに出来るのはお前だけなのだぞ」


「そんなことはない。兄上の想いが彼女を幸せに出来るさ」


 ジャンが本気でアンジェリーヌを手放す覚悟を決めている。その上自分に託そうとしている。


 リュシアンはジャンを思い留めさせる術をすべてなくした。


「それでは兄上、手続きが出来たら俺に教えてくれ」


 ジャンはリュシアンから離れ退出しようと扉に向かう。扉を開ける手をふと止め、もう一度リュシアンを見た。


「兄上、……アンジェリーヌと幸せにな」


 想いを押し殺し微笑んで言うと、ジャンは部屋を出て行った。


 リュシアンは額に手を当て崩れるように椅子に座り込んだ。


「……イレール教えてくれ。どうすればジャンを思い留まらせることが出来る?」


 部屋の隅で事の成り行きを見守っていたイレールがリュシアンに近寄る。


 イレールもジャンの突然の行動に驚いていた。あの心のままに生きてきたジャンが、己の想いを封印し、国と兄と恋人を守るために身を引いたのだ。ジャンの成長を、イレールは頼もしくさえ感じていた。


「ジャン殿下はご自分の立場を痛感したのでしょう。自分は諸刃の剣だと」


「……諸刃の剣?」


「はい。陛下を守り手助け出来る一方で、陛下の脅威となる唯一の存在だと悟ったのです。ですから身を引いたのです。陛下と王后陛下を守るために……」


 リュシアンはイレールが何を言おうとしているのかを悟り、悲痛に満ちた表情を浮かべ彼を見つめる。イレールはリュシアンの胸の内を知って頷いた。


「ジャン殿下は自らの取るべき道を選んだのです。もう止める術は……ございません」


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