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(12)

「お、お父様!」


 アンジェリーヌは悲痛な声でロドリグを呼んだ。ロドリグも娘の存在に気づき、目を見張る。


「来てはいけない、アンジェリーヌ!」


 ロドリグは自分の命も顧みず、懸命にアンジェリーヌに叫んだ。


 自分が捕らわれたのはアンジェリーヌを狙ったからではないかとずっと心配していた。アンジェリーヌは宮殿でいつも周りに警護がついている身分。そう簡単に宮廷外に出られないだろうとふんでいた。


 だがアンジェリーヌは来てしまった。それも男装してまで。絵と自然に包まれて伸び伸びと成長したアンジェリーヌの活発な部分がここへきて災いしてしまったのだった。


「私に構わず逃げなさい!」


「いや、お父様!」


 アンジェリーヌは必死に首を振った。父を見捨てて引き返すことがアンジェリーヌにはどうしても出来なかった。


 尊敬し続けてきた父親。王妃になどならなければ父親をこんなことに巻き込むことはなかったのだ。


(お父様に非はないわ。罪は私自身が受けなくてはいけないのよ)


「お前はもう自分一人の命ではない。この国を担っているのだ。それを忘れるでない!!」


「お……父様」


 ロドリグの必死な説得に、アンジェリーヌの胸は痛んだ。


 アランテルの王妃。リュシアンと共に国を背負っている立場。


(分かってる。分かってるわ。でも……)


 アンジェリーヌはそれでもロドリグを助けるのを止めることは出来ない。


「王后陛下、約束を守って頂き感謝しますぞ。お父上の身柄はあなた様の御身と引き換えです」


 ロドリグに剣を突き付けている男とは別の、その隣にいる男が口を開いた。アンジェリーヌはその男に見覚えがあった。


(あの男は確か……議員の一人、ポベール子爵だわ)


 思うと同時にあと何人自分に敵意を持つ者がいるのかと考えると、アンジェリーヌは背筋が冷たくなるのを感じた。ポベール子爵はきっと大勢の中の一人にすぎないと思った。


 王妃になったのは間違いだったのか。しかしならなければ周りの人々はどうなっていたか。


(私はどうすればよかったの……?)


 自分の決断に迷い続けながらもアンジェリーヌは馬から降り、ゆっくり一歩一歩父とポベール子爵の許へ足を進み出す。


「アンジェリーヌ、来てはいけない!」


 父の言葉を聞き入れることなく、アンジェリーヌは真っ直ぐ歩んで行く。


(私が王妃になったのが正しかったのか間違いだったのか、正直分からない。でも私の命で解決出来るなら……それでいい)


 アンジェリーヌはポベール子爵の前に立った。


「父を解放して下さい」


「……いいだろう」


 ポベール子爵は不適な笑みを零して言った。そして視線で隣にいる手下に合図する。


 その視線につられる様にしてアンジェリーヌも隣の父を見た。瞬間瞳に飛び込んできた光景に、アンジェリーヌは目を見開き息を止めた。


 父だけは助けたい。アンジェリーヌの願いが目の前で砕け散る。


 ロドリグに突き付けられていた剣が彼の背後から深々と突き立てられたのだ。その切っ先はロドリグの胸から突き出していた。


 ロドリグは鈍い呻き声をあげ、そのままうつ伏せに倒れこんだ。


「お……父さ……」


 アンジェリーヌは崩れるように座り込むと、傍で倒れているロドリグに恐る恐る震える手で触れる。


 何が起こったのかアンジェリーヌには状況が呑み込めなかった。目の前にある光景が現実のものとは信じられなかった。


 ロドリグの縛られた手が微かに動いた。彼は必死に娘を捜そうとするが、僅かに首を動かすのがやっとの状態。


「ア……ン……」


 娘の名を呼ぼうとするが、声ももはや虫の音よりもか細いものだった。


 アンジェリーヌはロドリグが必死に何か言おうとしているのを感じ、顔を近づける。


 ロドリグは出来るだけ深く息を吸い込むと、残された力を振り絞って声を発した。


「……生き…ろ」


 ―――それが最期だった。


 絶命した父の躯を前に、アンジェリーヌは全身を振るわせ己の頭を抱え込んだ。目の前に広がる現実を拒絶するように。


「い…………いやーっ!!」


 全身から放たれた悲鳴はアンジェリーヌから精神力を奪い尽くす。守りたかった者を目の前で失ったことが彼女の心を引き裂いた。


 残されたのは茫然自失となった彼女の抜け殻だった。


 すぐ傍で父を手にかけた男が今度は自分に刃を向けていることなど、アンジェリーヌが気づけるはずもないことだった。


            *    *    *


「今の……聞こえたか?」


「ああ兄上。こっちからだ。急ごう!」


 すぐ傍まで来ていたリュシアンとジャンの耳に、アンジェリーヌの絶望の叫びが届いた。


 アンジェリーヌの心が涙を流している。


 二人の心に彼女の泣き顔が浮かび、己の心が痛んだ。そして胸に広がる不安。


(間に合ってくれ!)


 二人の祈りは同じだった。


 己の何と引き換えても構わない。ただアンジェリーヌの命だけは救いたい。


 二人は木々の間から洞穴の近くへ抜け出した。アンジェリーヌの声が聞こえてから時間にして1分かかったかどうか。だが二人にはその何倍も長く感じられた。


「アンジェリーヌ!」


 父の亡骸を前に座り込むアンジェリーヌがその声に反応することはなかった。


 二人は何が起こったのかすぐに悟る。そして今まさに起ころうとしていることも……。


 ポベール子爵はリュシアンがこんな早く駆け付けてくるとは予想していなかった。しかもジャンも一緒だったことに更に驚く。ジャンはアンジェリーヌが初めて逢った時に思ったような見かけだけでなく、剣もまさに軍神と呼ぶに相応しい力の持ち主なのだ。


 ポベール子爵は舌打ちした。


 彼はある人物からリュシアンが来る前にアンジェリーヌを始末するように言われていた。リュシアンの暗殺は彼女を殺した後にすればいいと。決して二人を生きて会わせてはならない、二人を一度に消せばいいと思わないようにと。


 ポベール子爵は知らなかったのだ、神の血のことを。ただリュシアンが来たり兵を連れて来た時に備え、人数だけは揃えていた。


「皆の者、あの男の命を取った者に褒美をやるぞ」


 ポベール子爵はリュシアンを指さし叫んだ。


 すると洞穴やその回りから雇われたならず者たちが二十人ほど姿を見せ、剣を片手に次々襲い掛かって来ようとしていた。


 アンジェリーヌにはその背後から今にも剣が振り下ろされようとしている。


 ほんの一瞬、リュシアンとジャンはどちらからともなく視線を合わせた。そして一斉に馬をアンジェリーヌとポベール子爵へ走らせ始めた。


 まさに敵陣へ切り込んで行ったのだ。


 リュシアンは馬を駆け出させると同時に神の血の力を行使させた。洞穴の側面が破壊され岩となって山積みされる。


 突然響き渡った爆音に、敵は皆後ろを振り返り立ち尽くす。その隙を狙って二人は敵の間を駆け抜けアンジェリーヌの許へ辿り着いた。


「アンジェリーヌしっかりしろ! 怪我はないか!?」


 馬から飛び降りたジャンは、アンジェリーヌに剣を向けていた手下を斬り倒すと彼女に駆け寄りその肩を掴んで揺すった。


 だがアンジェリーヌはまだ正気を取り戻せない。ジャンは仕方なしに軽くアンジェリーヌの頬を叩く。


「アンジェリーヌ、しっかりしろ! アンジェリーヌ!!」


 ジャンの懸命の呼び掛けに、アンジェリーヌの瞳の焦点が合う。自分を取り戻したアンジェリーヌは、瞳に飛び込んできたジャンの姿に心を爆発させた。


「ジャ……ン。お……父様が……お父様が! ……ああーっ!!」


 アンジェリーヌは叫ぶとジャンの胸に泣きついた。王妃としての、リュシアンの妻としての自分など何も考えられなかった。自分を取り繕うことなど、とても出来なかった。ただ愛する人に縋りついて悲しみをぶつけることしか出来なかった。


「私のせいでお父様がっ!!」


「お前のせいじゃない。自分を責めるな!」


 ジャンは精神が壊れるのではないかと思うほどの泣き声をあげるアンジェリーヌをしっかりと抱き締めた。


「何故ブランシェス男爵を殺害し、王妃の命を狙った!?」


 リュシアンはポベール子爵に剣を突き付け問い詰めた。


「お前が首謀者か?」


 喉元に剣を突き付けられ、ポベール子爵は冷や汗を流し唇を噛み締める。


 ジャンもアンジェリーヌを抱き締めつつも鋭い視線をポベール子爵へと向けた。


 ポベール子爵は苦笑する。


「私の口を割らせたいのなら、この状況を打破してからにしてもらいましょうか……陛下」


 ポベール子爵に促されリュシアン達が辺りを見ると、敵がぐるっと取り囲むようにして剣を構え今にも襲い掛かろうとしていた。


「あの者どもは陛下の命すなわち褒美を手に入れるためなら、私の命がどうなろうと関係ない連中達だ。……さあどうします、陛下?」


 リュシアンは奥歯を噛み締めた。


 ジャンと二人で倒せる数ではない。しかもアンジェリーヌを抱えて戦うのは困難なこと。


 リュシアンは決断した。


「ジャン、アンジェリーヌには決して見せるな!」


 リュシアンの言葉の意味を察知したジャンは、今もなお泣き続けるアンジェリーヌを更に強く抱き締めた。


 これから起こる光景を彼女にだけは見せてはならない。ジャンは自分の体全てでアンジェリーヌを包み込んだ。


 リュシアンの体が熱を帯びる。その直後爆発音が響き渡り地鳴りがした。


 神の血の力が辺りの敵すべてを地面ごと吹き飛ばしたのだ。


 ほんの一瞬の出来事に、敵は自分の身に何が起こったのか知りもせず命を落としたことだろう。


 ポベール子爵も目に飛び込んできた光景が現実のものとは到底信じられず、気絶寸前といったところだ。


 当のリュシアンの胸には罪悪感が漂っていた。


 木々の焼け焦げた匂い。


 大きく抉られた大地。


 肉の塊となった数十人の人々。


 望んでこんなことをしたかったわけではない。


 力は抑えたつもりだった。しかしアンジェリーヌとジャンを守ろうとしたその思いが、思いのほか神の血の力を増幅させてしまった。


 力を使うからには命を奪う覚悟はしていた。だがいざ現実を目の前にして、人の命を奪う権利が果して自分にあるのだろうかと己に問い掛けずにはいられなかった。


「兄……上?」


 心配そうに掛けてきたジャンの声に、リュシアンは我に返る。リュシアンは剣を持つ手に力を入れ直し、ポベール子爵を見据えた。


「すべて話してもらうぞ。覚悟しておくのだな」


 ポベール子爵はリュシアンの視線にガックリとうな垂れた。


 我を忘れ泣いていたアンジェリーヌだが、突然胸に帯びた熱と異様な雰囲気にそっとジャンの胸から頭を起こした。


「だめだ、見るな!」


 瞬間ジャンは辺りの光景を見せまいとアンジェリーヌを抱き締めた。


 だがアンジェリーヌは彼の背後に広がる光景を目にしてしまったのだった。


(今の………何?)


 ここは森のはずなのに自分が来た時の風景とは大きく異なっている。


 窪んだ大地。


 一瞬にして劫火で焼かれた草木。


 そして点々と散らばっているどす黒い塊。


(あれはもしかして……人間……なの?)


 吐き気がした。現実のものとは思えなかった。


 こんなことが出来るのはたった一人しか思い当たらない。


「神の血の……力……なの?」


「今は何も考えるな」


 ジャンはアンジェリーヌを諭そうとした。だがアンジェリーヌは、神の血が、自分の紅の女神としての存在が急に恐ろしくなった。


 たった一瞬にして人も街をもすべてを消し去ることの出来る力。その力に己も荷担している。その事実がアンジェリーヌを恐怖へと導いた。


 自分の存在が恐ろしくて、アンジェリーヌは震える体でジャンにしがみついた。


「ジャン……怖い。私……怖い」


 ジャンはアンジェリーヌの思いを受け止めようと彼女を優しく包み込む。


 リュシアンはアンジェリーヌの受けた心の傷に、己の心を抉り取られるような痛みを感じ立ち尽した。

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