ありがちな日常
久しぶりの休みだった。
毎日をただ消費するように生きている自分が、珍しく朝早く目を覚ました。お気に入りのパン屋さんのカレーパンを思い浮かべると、自然と身体が動いた。
シャワーを浴び、テレビのニュースをぼんやり聞きながらトーストを焼く。普段は朝食など取らないのに、休みの日だけは「まともな人間に戻ろう」と無理やり自分に言い聞かせている。
家事を終え、ふと「もう少し寝てもいいかな」と思った瞬間、あの店の焼きたての香りが胸に蘇った。
今日は少し遠回りをして、大通りから行ってみよう。そう思ったのは、久しぶりに気分が軽かったからだ。
青空の下、大通りを歩いていると、信号の前で小さな背中が目に入った。白髪のおばあちゃんが、信号が変わっても動けないでいる。
僕は一瞬だけ足を止め……そのまま通り過ぎた。
パン屋に着き、カレーパンを二つ買った。袋を提げて帰り道を歩いていると、先ほどの信号のところに、まだおばあちゃんが立っていた。一時間近く経っている。
胸の奥が、ざわついた。
「……大丈夫ですか?」
声をかけた瞬間、自分でも驚いた。普段の僕なら、絶対に声をかけなかった。
おばあちゃんは震える声で答えた。
「足を……挫いてしまって……渡れなくて……ずっと、ここに……」
その言葉を聞いた途端、胸の奥が熱くなった。
僕は黙ってその場にしゃがみ込み、背中を向けた。
「僕が、おんぶします。掴まってください」
おばあちゃんは戸惑いながらも、ゆっくりと背中に乗った。驚くほど軽かった。まるで、風に吹かれたら飛んでいってしまいそうなほど。
信号を渡り終えた後も、おばあちゃんはまだ歩けなかった。僕は迷わず言った。
「家まで、送りますよ」
道中、おばあちゃんは小さな声で何度も繰り返した。
「ありがとう……本当に、ありがとう……」
孫の話、亡くなった夫との思い出、毎朝この道を歩くのが日課だったこと。
そして、今日みたいに誰も助けてくれない日が来るとは思わなかった、と。
家まで送り届け、玄関先でおばあちゃんは僕の手をぎゅっと握りしめた。
目には涙が浮かんでいた。
「あなたみたいな優しい人が、まだこの世にいてくれて……ありがとう。本当に、ありがとうね」
その瞬間、久しぶりに自分の胸の奥が、熱く震えた。
家に帰って布団に入り、今日の一日を思い返した。
ただ少しだけ、余裕を持って誰かに目を向けただけ。
それだけで、こんなに心が温かくなるなんて。
明日からまた、長い社畜生活が始まる。
でも、少しだけ違う気持ちで頑張れそうな気がした。
僕は目を閉じながら、静かに願った。
——少しの優しさを、誰かに分け与えられるような人間でいたい。




