第8話:『代償の嘘と、少女の祈り』
1
鼻をつく消毒液の匂い。真っ白な天井。 晴人が次に目を開けた時、そこは学園の保健室だった。全身が鉛のように重いのは、単に疲れのせいだけではない。自らの心臓周辺に「重力加速度」を強引に付加したことによる、肉体的な拒絶反応だった。
「……あ、ハルト! 気がついたの!?」
傍らで俺の手を握っていた結衣が、弾かれたように顔を上げた。その瞳は真っ赤に腫れており、何度も涙を拭った跡がある。
「結衣……か。俺、どれくらい寝てた?」
「三時間くらい。……バカ、大バカ! あんな、命を削るような術を使うなんて、聞いてないよ!」
結衣の声が震える。彼女の涙が俺の甲に落ち、熱を帯びて弾けた。 再検査で俺が見せた『命を燃やして重力に抗う姿』。それはルカが描いた完璧な偽装だったが、彼女にとっては紛れもない「絶望」だったのだ。
「ごめん。……でも、ああするしかなかったんだ。俺には、お前みたいに天性の才能はないから」
「そんなの、いらないよ! ハルトが壊れちゃうくらいなら、スクーラーになんてならなくていい! 私が、私がもっと強くなって、ハルトを一生守るから……だから……」
結衣は俺の胸に顔を埋めて、子供のように泣きじゃくった。 本当のことは言えない。俺の力は「呪い」などではなく、この世界を支配する「王の力」なのだとは。 彼女の優しさに触れるたび、俺がつく嘘は重さを増していく。それはどんな重力魔法よりも、今の俺を深く沈み込ませた。
2
「美しいね。実に美しい光景だ」
入り口のカーテンが音もなく開き、銀髪の美少年――ルカ・エヴァンズが姿を現した。
「ルカ様……」
結衣が涙を拭い、居住まいを正す。ルカは優雅に歩み寄り、俺の脈拍を確認するフリをしながら、耳元で小さく囁いた。
「『準Cランク』への昇格、おめでとう。これで君は、堂々と表舞台で暴れられる。……代償は、少しばかりの良心の呵責と、彼女の涙だね」
冷徹な言葉だった。だが、それがこの世界の真実でもある。 俺は結衣を安心させるように、精一杯の苦笑いを浮かべた。
「結衣、大丈夫だ。ハクもピンピンしてるし、次はもっと上手くやるよ」
「……本当? もう、あんな無茶はしないって、約束してくれる?」
「ああ。約束する」
指切りを交わす。その温もりに、俺は心の中で「ごめん」と何度も繰り返した。
3
結衣が飲み物を買いに部屋を出た後、ルカは表情を消し、窓の外を見つめた。
「ハルト、感傷に浸っている暇はないよ。君の判定が変わったことで、競技会の組み合わせが『再編』された」
「再編?」
「ああ。学園側は、君の『命を削る術』がどこまで通用するか試そうとしている。次の準決勝、相手は……」
ルカが端末に表示させたのは、一人の男の写真だった。 鋭い眼光に、緑色の髪。背景には、鋼鉄のように固い「樹木」を操る姿が映っている。
「八帝の一角、『木帝』の分家筆頭――一条レンだ」
木属性魔法の極致。それは単なる植物操作ではない。生命のベクトルを操作し、相手の魔力や体力を根こそぎ奪い取る「捕食」の魔法。
「今の君の『ボロボロのフリ』は、彼にとっては最高のご馳走だ。木属性にとって、命を燃やす人間ほど御しやすい相手はいない」
ルカは不敵に微笑み、俺の胸元を指差した。
「さあ、どうする? さらに嘘を重ねて勝つか、それともここで喰われるか」
俺の隣で、銀色の狐――ハクが「クゥォン!」と力強く吠えた。 偽装されたCランク。だが、俺の内側にある「法則」の計算式は、さらに深く、鋭く研ぎ澄まされていた。
「喰われるのは、向こうの方だ」
俺は保健室のベッドを降り、床を踏み締めた。 重力加速度の制御、第3段階へ。 成り上がりの階段は、ここからさらに険しく、そして熱く加速していく。
準決勝、木帝の血族・一条レンとの激突。触れるものすべての生命を吸い取る「魔樹」の森に対し、晴人とハクが放つ新戦術とは。そして、結衣が目撃する、晴人の「真の覚醒」の片鱗。




