第35話:『水帝の終焉――そして世界は赤く染まる』
1
玉座の間を埋め尽くす『魂葬の海』が、意思を持つ魔獣のように俺と結衣に襲いかかる。 触れれば魂を溶かされる死の水。だが、結衣はその波頭に向かって一歩も引かずに杖を突き出した。
「――お父様、これが私の『答え』です。……氷結再定義:『終焉の銀世界』!!」
結衣の体から、命そのものを削り出したような純白の冷気が爆発した。 迫りくる黒い海が、その飛沫さえも空中で静止し、美しい結晶へと変わっていく。 「……馬鹿な。私の魂の水を、物理的な温度で止められるはずがない……!」
「これは温度じゃありません。……ハルトが教えてくれた、あなたの勝手な理への『拒絶』です!」
結衣の魔力と、水帝アクアの魔力が激突し、城全体が悲鳴を上げて軋む。 拮抗する二つの力。だが、俺は見ていた。アクアの背後、城の心臓部から汲み上げられる魔力の奔流が、結衣の限界を超えようとしているのを。
2
「(……今だ。ハク、演算はできなくても、俺の意志は通るだろ!)」
俺は眠るハクを左手で抱き締めながら、右手をアクアが操る巨大な水球へと向けた。 これまでは「自分を加速させる」ために使ってきた重力。だが、今の俺には「対象」が明確に見える。
「――法則改変。体積圧縮、及び事象収束。……全部、一箇所に固まれッ!!」
ドォォォォォォォォォォ!!
アクアが操っていた数万トンの海水が、俺の重力によって直径わずか数メートルの「高密度な水の塊」へと強制的に圧縮された。 「な……に……っ!? 水の質量を、重力だけで……抑え込んだというのか!?」
制御を失った水の塊は、あまりの密度に自身の重さに耐えきれず、アクアの術式を内側から崩壊させた。 その隙を、結衣は見逃さなかった。
「――これで、終わりです。さようなら、お父様」
結衣の放った最後の一撃――絶対零度の光軸が、アクアの胸を貫いた。 水の支配者の体は、足元から静かに、そして美しく氷像へと変わっていく。
3
「……見事だ、結衣。……お前は、私という古い理を超えた。……新しき王を……見届けるがいい……」
アクアの氷像が砕け、光の粒子となって海へと還っていく。 同時に、日本列島を沈めていた海面の盛り上がりが収まり、世界は静寂を取り戻した……かに見えた。
「……やった、のね。ハルト……」
崩れ落ちる結衣を支えようとした、その時だった。 ゴォォォォォォォォ……ッ!!
天を仰いだ俺の視界が、一瞬で「赤」に染まった。 雲が、大気が、物理的に「発火」している。 「……あはははは! 素晴らしいよ! 水帝という最高に冷めた前座が消え、ようやく舞台が温まってきたじゃないか!」
空から降り注ぐのは、雪ではなく、巨大な「火炎の雨」。 氷晶宮の天井が熱で溶け落ち、その炎の渦の中から、深紅のマントを翻した男が降臨した。 『炎帝』レオンハルト・フォン・イグニス。 かつて俺を試した男が、その瞳に狂気と歓喜を宿して、溶け始めた玉座の上に立った。
「ハルト、結衣。……OSという枷が消えたこの世界に、水など必要ない。……すべてを焼き尽くし、純粋な『エネルギー』へと還元してやろう!」
炎帝の背後で、かつてないほど巨大な火炎の獅子が顕現し、咆哮を上げる。 水帝を倒し、満身創痍の俺たちの前に、最強の武力を持つ暴君が立ちはだかった。




