第32話:『真実の空、混沌の産声』
1
まぶたの裏を焼くような白光が、ゆっくりと、しかし確かな「色彩」へと変わっていった。 喉を焼くような乾燥した空気ではなく、湿り気を帯びた、生命の匂いがする風。
「……ハルト……起きて、ハルト!」
結衣の声で、俺は意識を浮上させた。 目を開けると、そこには見たこともないほど深く、吸い込まれそうな「青」が広がっていた。ホログラムの空ではない。OSが描画した偽物でもない。 何億年も前からそこにあったはずの、本物の空だ。
「……ここ、は……」
「千代田の跡地だよ。……でも、もう『イースト・エンド』なんて呼び名は必要ない。世界のOSが消え、物理法則が『本来の形』に戻り始めたんだ」
傍らに立つルカが、どこか遠くを見つめながら言った。 周囲を見渡せば、浮遊していたビルはすべて地に落ち、砕け散っている。代わりに、アスファルトの隙間からは異常な速度で瑞々しい緑が噴き出し、崩壊した街を飲み込もうとしていた。
再起動。 それは単なる復旧ではなかった。管理されていた「安定」が消え、世界が原始的なエネルギーを爆発させているのだ。
2
俺は自分の体に意識を向けた。 脳を焼いていたあの「演算のノイズ」が完全に消えている。 ハクは俺の膝の上で、元の小さな子狐の姿に戻り、深く穏やかな眠りについていた。
「ハク……。お疲れ様」
そっと撫でると、温かな体温が伝わってくる。 だが、安堵に浸る時間はなかった。 突如、地平線の彼方、かつて学園があった方角から、巨大な「柱」が立ち昇った。 それは光ではなく、赤、青、緑、土……七つの色が混ざり合った、どす黒い魔力の渦。
「……始まったね。光帝という重石が取れたことで、残された七人の八帝たちが、世界の主導権を巡って暴走を始めたんだ」
ルカの瞳に冷徹な光が戻る。
「彼らにとって、OSのない世界は都合が悪い。自分たちが神でいられる『新しい檻』を作ろうとしているのさ。……特に、結衣さんの父親――『水帝』はね」
3
ルカの言葉に応じるように、俺たちの周囲の地面が激しく脈動した。 緑の隙間から、黄金の液体が染み出し、それが人の形を成していく。 それはOSが作ったコピーではない。生き残った八帝の一角、『土帝』ガイア・クロムウェルが、遠隔地から送り込んできた「土の分身」だ。
『……不適格者の小僧、そして反逆の管理者よ。よくもソロモンを討ち取ってくれたものだ』
土の巨人が、地響きのような声を上げる。
『だが、自由とは責任だ。貴様らが壊した秩序の代わりに、我ら七帝が「新約」を書き記す。……そのための生贄として、神代晴人。貴様の持つ『創生の権限』を差し出せ』
「……断ると言ったら?」
俺はふらつく足で立ち上がった。 脳のノイズは消えた。だが、今の俺にはハクの演算補助はない。 それでも、右拳を握りしめると、これまでにないほど澄み切った「重力」が、俺の意志に従って渦巻くのが分かった。
「――法則改変なんて名前はもう古いな。……これは、俺自身の力だ」
俺の背後に、九つの尾を持つ巨大な狼の影が一瞬だけ揺らめいた。 OSというフィルターを通さない、剥き出しの重力。
「……結衣、行けるか?」
「うん。……お父さんに、言わなきゃいけないことがたくさんあるから。……邪魔する人は、私が凍らせてあげる」
結衣の杖から、これまでの青白い光とは違う、生命力に満ちた「真なる氷結」の波動が広がる。
世界の再起動。それは、神代晴人と七人の皇帝たちによる、真の世界の覇権を賭けた「最終戦争」の合図だった。




