第25話:『水面の断罪者――師弟の氷刃』
1
ガウェインが消滅した後に残された「銀のチップ」を拾い上げると、周囲の景色が急激に変貌を始めた。 廃墟のビル群が、まるで蜃気楼のように揺らめき、地面からは無数の水が湧き出す。それは一瞬にして、千代田の街を底の見えない「巨大な水面」へと変えてしまった。
「……ここからは、彼女の領域だ。足元に気をつけなよ。油断すれば、魂ごと底に引きずり込まれる」
ルカの警告通り、水面は鏡のように静止しているが、そこからは圧倒的な密度の魔力が立ち上っていた。 結衣が、震える足取りで一歩前に出る。彼女の瞳は、水面の中央に立つ一人の女性に向けられていた。
「……セ、セレナ……先生……?」
そこにいたのは、かつて結衣がスクーラーとしての基礎を学んだ恩師であり、数年前の紛争で行方不明となったはずの「水の聖女」、セレナ・マクガイルだった。 彼女は透き通るような青いドレスを纏い、感情を失った瞳で結衣を見つめていた。その額には、ガウェインと同じく「世界のOS」のノイズが刻まれている。
2
「――久しぶりですね、結衣。立派なスクーラーになったようです。……ですが、不適格者に魂を売ったというのなら、ここで私が『浄化』せねばなりません」
セレナが静かに腕を掲げる。 瞬間、周囲の水面から無数の「水の鎖」が噴き出し、俺と結衣の四方を囲んだ。
「待ってください、先生! どうして……どうしてこんなところに!?」
「……ここは、理から外れた者の掃き溜め。そして、新しい世界を拒む者の墓場です。……来なさい、結衣。あなたの氷が、私の水を止めてみせなさい」
セレナの合図と共に、水の鎖が一斉に襲いかかる。 結衣は反射的に氷の盾を張るが、セレナの水は「液体」でありながら、氷をすり抜けるようにして結衣の四肢を拘束した。
「が……っ!? あ……あぁ……!」
「結衣!!」
俺が助けに入ろうとした瞬間、足元の水が牙を剥いた。
「――神代晴人。不適格者の君には、相応の『重圧』を与えましょう。……重力加速度、適用無視。重さのない水に、溺れてみなさい」
3
「(……っ!? 体が浮く……!?)」
セレナが指を鳴らすと、俺の周囲だけ「重力加速度 9.81m/s2」という定義が消失した。 無重力状態。踏みしめる地面を失い、俺は空中に投げ出される。さらに、重さを失った水が球体となって俺を包み込み、肺から酸素を奪おうとする。
(ハク……演算しろ! 重力を、再定義……)
「キュ……キュォォ……!」
ハクが苦しげに鳴く。セレナの「流体」による演算妨害は、ガウェインの真っ直ぐな重圧よりも遥かに複雑だった。 「……ハルト、待ってて。……私が、やらなきゃ」
水の鎖に縛られながらも、結衣の瞳に強い光が戻った。 彼女は、恩師から教わった「流動」の教えを、今この瞬間に否定しようとしていた。
「先生……私はもう、守られるだけの子供じゃない。ハルトが見せてくれた『新しい理』を、私は信じます! ――氷結再定義:『絶対零度の断罪』!!」
結衣の体から、白銀の衝撃波が放たれた。 それはセレナの水を凍らせるのではない。水の「分子の運動エネルギー」を、重力を媒介にして物理的に静止させる、晴人との共闘で掴んだあの力だ。
パリィィィィィィィン!!
結衣を縛っていた鎖が、そして俺を包んでいた水の球体が、一斉に砕け散った。 空中で体勢を立て直した俺は、ハクの演算を全開にする。
「――法則改変! 加速の定義を結衣の氷に乗せる!!」
俺と結衣の視線が交差する。 恩師を超えるための、最初で最後の一撃。 結衣の放つ巨大な氷の刃が、俺の重力加速を纏って、セレナの胸元へと突き進んだ。




