第22話:『亡霊の街と、重力の残響』
1
超音速輸送機のハッチが開くと同時に、重く、淀んだ空気が機内に流れ込んできた。 かつて日本の中心地であった東京都・千代田区。だが、目の前に広がるのは、歴史書にある繁栄の面影など微塵もない、無慈悲な「法則の墓場」だった。
「……何、これ。ビルが、浮いてる……?」
結衣が息を呑む。 視界に入る高層ビルは根元から断裂し、重力を無視して地上数十メートルの位置で静止していた。空は毒々しい紫色の雲に覆われ、時折、空間そのものがガラスのようにパキパキと音を立てて剥離している。
「ここが『東の最果て(イースト・エンド)』。十数年前、ある『法則改変』の実験が暴走し、世界のOS(基本法則)が回復不能なほどに破損した場所だ」
ルカが静かに機内から降り立つ。彼の周囲では、空間干渉の障壁が火花を散らしている。 俺の肩で、ハクがこれまでになく激しく警戒の声を上げた。
「……ハク、どうした? 何が見える」
「キュォォォ……!」
ハクの視線の先。崩落したガード下の暗がりに、人型をした「何か」が揺らめいていた。
2
それは、実体を持たない半透明の影だった。 だが、その影からは、俺が使っているのと同質の――いや、それよりも遥かに剥き出しで、禍々しい「重力の波動」が漏れ出している。
「……重力加速度、九・八一……いや、一〇・五……いや……計算、不能……」
影がぶつぶつと、バグった機械のように数値を呟きながら、這うようにしてこちらへ向かってくる。
「ハルト、危ない!」
結衣が即座に氷の槍を放つ。だが、氷の槍は影に触れる直前、まるで巨大なプレス機にかけられたように瞬時に粉砕され、地面へと吸い込まれた。
「魔法が……消えた!?」
「彼らは『亡霊』。かつて法則改変に挑み、演算の重圧に脳を焼き切られ、存在そのものが世界のOSから削除された者たちの成れの果てだよ」
ルカの言葉に、背筋が凍る。 あれは、俺が歩んでいる道の「終着点」の一つなのだ。
「……あいつ、苦しんでるのか」
俺は一歩、前に出た。 亡霊が手を伸ばす。その瞬間、俺の周囲の重力が一気に数十倍へと跳ね上がった。
「――が、はっ……!」
全身の骨が悲鳴を上げる。だが、俺の脳内ではハクとの同調が加速し、亡霊が垂れ流している「バグった計算式」が手に取るように理解できた。
3
(……重力の定義が、ループしているのか。それを、今ここで断ち切る)
「ハク、演算を引き受けろ! 外部定義、再上書き――『静止重力への回帰』!」
俺は亡霊の胸元に手を触れた。 瞬間、俺の脳を数千、数万のノイズが駆け抜ける。亡霊が最期に見た、狂った世界の景色。 だが、今の俺にはそれを「喰らう」ハクがいる。
「キュォォォォォン!!」
ハクの紋章が黒く発光し、亡霊を縛っていた歪な法則を飲み込んでいく。 やがて影は穏やかな光へと変わり、粒子となって崩壊した。 後に残ったのは、かつてスクーラーが身につけていたであろう、錆びついた認識番号札一つだけだった。
「……ハルト、大丈夫?」
「ああ。……でも、わかったよ。この街には、こういう連中がまだ山ほどいるんだな」
俺は拾い上げたタグを握りしめた。 ルカは崩壊したビル群のさらに奥、霞んで見える「皇居」跡地を指差した。
「あの中心に、世界のOSを再起動させるためのコンソール……『開かずの門』がある。だが、そこへ辿り着くには、ここを守る三人の『番人』を倒さなければならない」
その時、頭上の浮遊ビルから、凄まじい風圧と共に何かが降り立ってきた。 土煙の中から現れたのは、亡霊とは比較にならないほどの威圧感を放つ、漆黒の甲冑を纏った「剣士」。
「……不適格者か。土帝の言った通り、面白い獲物が来たものだ」
番人の一人が、ついに姿を現した。




