第17話:『決別の雨、あるいは……』
1
炎帝との謁見を終えた日の夜、空はどんよりとした雲に覆われ、冷たい雨が降り始めた。 学園の屋上。そこは、俺と結衣が幼い頃、将来立派なスクーラーになろうと誓い合った思い出の場所だ。
「……来ると思ってたよ、ハルト」
雨音に混じって、震える声が聞こえた。 屋上のフェンス際、雨に打たれながら立っていた結衣がゆっくりと振り返る。その瞳には、かつての温かさはなく、氷結魔法を操る彼女の心さえも凍りつかせたような、深い絶望が宿っていた。
「……結衣。風邪を引くぞ、中に入ろう」
「もう、嘘はやめて!!」
彼女の叫びが、雷鳴と共に響いた。 結衣の周囲でマナが暴走し、降り注ぐ雨が瞬時に鋭い氷の礫へと変わる。
「私にはわかるよ。今のハルトの周り、雨粒が真っ直ぐ落ちてない。……ねえ、新宿で、そしてさっきの炎帝様の前で、何をしたの? その肩に乗ってる銀色の狐は、本当にただの式神なの……?」
俺の肩で、ハクが悲しげに「キュ……」と鳴く。 隠し通せる限界は、とうに超えていた。
2
「ハルト……お願いだから、本当のことを言って。あなたが、私の知らない誰かになっていくのが、怖いの……っ!」
結衣は泣いていた。雨と涙が混じり合い、彼女の頬を濡らす。 本当のことを言えば、彼女の安全は保障されない。法則改変の存在を知る者は、たとえ被害者であっても監査部によって「処置」される。 俺が彼女を守る唯一の方法。それは、彼女を俺の世界から完全に切り離すことだった。
「……ああ、わかったよ。本当のことを教えてやる」
俺は一歩、彼女に歩み寄った。 脳内の演算回路をフル稼働させ、わざと「威圧的」な重力波を周囲に放出する。
「お前の知ってる神代晴人は、もういない。……俺は、ルカと一緒に世界をひっくり返す力を手に入れたんだ。お前みたいな、ただ『属性』を与えられて喜んでる温室育ちの魔法使いとは、見てる景色が違うんだよ」
「……え?」
「結衣、お前はもう、俺の隣に立つ資格はない。……邪魔なんだよ。お前のその『心配』が、俺の成り上がりを鈍らせる」
心を殺して、言葉の刃を突き立てる。 結衣の顔から、一気に血の気が引いていくのがわかった。
「……嘘。……嘘だよ、ハルト」
「嘘じゃない。俺は炎帝に選ばれた。次はランカーになる。……お前は、この安全な学園で、一生おままごとでもしてろ」
3
結衣が、力なくその場に崩れ落ちた。 彼女が握っていた杖が、パランと虚しい音を立てて床を転がる。
「……さよならだ、結衣」
俺は背を向けた。 足を踏み出すたびに、胸の奥が物理的な重力よりも強く締め付けられる。 雨脚が強まり、俺の背後で結衣の小さな嗚咽が雨音にかき消されていく。 屋上の入り口、影の中に立っていたルカが、どこか悲しげな、だが残酷なまでに美しい微笑を浮かべていた。
「……最悪の役回りだね、ハルト。でも、これで彼女は死なずに済む」
「……うるさい。黙ってろ」
俺の頬を伝う液体が、雨なのか涙なのか、もう自分でもわからなかった。 大切なものを切り捨て、俺は孤独な「怪物」になった。 もう、後戻りはできない。 残されたのは、手の中に握られた世界ランカー選抜試験の招待状と、銀色の狐、そして止まない雨だけだった。
成り上がりの代償は、あまりに重すぎた。 だが、その重さこそが、俺をさらなる高みへと加速させる動力源になる。




