第15話:『疑惑の残響』
1
新宿での死闘から二日後。 俺たちは「怪異を退け、暗殺者の襲撃を生き延びた英雄」として学園に帰還した。だが、校門をくぐった俺を待っていたのは、称賛の拍手ではなく、刺すような冷たい視線だった。
「神代晴人くん。……悪いが、放課後、学生監査部の特別室へ来てもらおうか」
教室に入るなり、黒いスーツに身を包んだ男たちが俺を囲んだ。 学生監査部。学園内の規律を守る組織だが、その実態は「異常な能力者」や「異端者」を監視する、エンペラー直属の末端組織だ。
「……何の用だ。報告書なら提出済みのはずだけど」
「君の報告書には、物理的に説明のつかない『空白』がある。……新宿のあの場にいた生存者の証言によれば、重力が反射したそうだね? 君のランクでそんなことが可能なのか、詳しく聞かせてもらいたい」
心臓が嫌な音を立てる。 新宿で『法則逆転』を使った代償は、肉体のダメージだけではなかった。俺という存在そのものが、この世界の平穏にとって「ノイズ」になり始めていた。
「(……しくじったな。ルカの言う通り、一度見せた牙は隠せない)」
俺の肩で、まだ力の戻りきらないハクが「キュ……」と小さく震えた。
2
監査部の取り調べは、数時間に及んだ。 窓のない密室。魔力を封じる鎖。執拗な尋問。 俺はルカと打ち合わせた通り、「ハクが新宿の特異点から漏れ出した未知のマナを偶然吸収し、暴走気味に放出した結果だ」という嘘を突き通した。
結局、証拠不十分として釈放されたのは、陽が沈みきった頃だった。 重い足取りで学生寮へ向かう途中の渡り廊下。 そこには、一人の少女が待っていた。
「……遅かったね、ハルト」
結衣だった。 街灯のオレンジ色の光に照らされた彼女の顔は、泣き出しそうなほど歪んでいた。
「結衣。……悪い、監査部に捕まってて。もう大丈夫だ」
「嘘。……大丈夫なんかじゃない」
結衣は俺の言葉を遮り、一歩、また一歩と詰め寄ってくる。 その瞳には、今まで俺に向けていた信頼や安心ではなく、もっと根源的な「恐怖」と「不信」が入り混じっていた。
「あの時……新宿で、ハルトが私の前に立った時。……世界の色が変わった。音が消えて、空気が逆に流れて……。あれは魔法なんかじゃない。もっと、別の『何か』だった」
「……」
「ねえ、ハルト。私に教えてよ。ハルトは、誰なの……? 私の知ってるハルトは、あんな……神様みたいに世界をひっくり返せる人じゃなかった!」
3
結衣の声が、静かな夜の学園に響く。 俺は答えられなかった。 俺は『神代晴人』だ。お前の幼馴染だ。……そう言いたかったが、その言葉が今の俺にはあまりに白々しく感じられた。
「……すまない、結衣。今はまだ、何も話せないんだ」
「……どうして? 私はハルトの味方だよ? どんなに辛いことがあっても、一緒に背負うって決めたのに……!」
「――ダメだ。お前を『これ』に巻き込むわけにはいかない」
俺は彼女の肩を掴もうとして、手を止めた。 俺の手は、今や世界の理を書き換える「禁忌の力」に染まっている。結衣のような、純粋な属性魔法の使い手が触れていい領域ではないのだ。
「……わかった。もう、いいよ」
結衣は俺の手を振り払うと、背を向けて走り去った。 追いかけることはできなかった。 俺の足は、重力加速度をいじらなくても、ひどく地面にめり込んでいるように重かった。
「……いい判断だ、ハルト。真実を知れば、彼女も『消去』の対象になるからね」
いつの間にか、闇の中からルカが姿を現していた。 彼は冷徹な碧眼で、結衣が消えていった先を見つめている。
「悲しんでいる暇はないよ。監査部は納得していない。……そして、ついに『本物』が動いた。土帝直属の暗殺部隊ではない、八帝の一角――『炎帝』が、君に会いたいと言ってきている」
成り上がりの代償。 それは、平穏な日常との決別と、さらなる怪物たちの饗宴への招待状だった。




