第14話:『重圧の罠(グラビティ・トラップ)』
1
新宿の廃墟ビル群に、不気味なほど低い、地鳴りのような音が響き始めた。 それは物理的な音ではなく、空間そのものが「圧縮」される際に生じる悲鳴だった。
「――なんだ、この圧力……っ!」
真っ先に膝をついたのは、結衣だった。 周囲のアスファルトにクモの巣状の亀裂が走り、捨て置かれた車両がまるで巨大なプレス機にかけられたように、見る間にひしゃげていく。
「ハルト、ルカ様……体が、動かない……!」
「……やられたね。これはただの魔法じゃない。『土帝』直系の法則操作――広域重力加圧だ」
ルカが空間を固定する障壁を張るが、上空から降り注ぐ「重さ」に障壁がガラスのようにひび割れていく。 ビルの屋上に立つ土色の仮面の男たちが、一斉に腕を振り下ろした。
「神代晴人。君が『命を削る加速』の持ち主なら、この一〇倍の重圧にも耐えられるはずだ。……さあ、その身を捧げてもらおうか」
2
俺の視界が赤く染まる。 脳内の演算回路が、未だかつてない速度で火花を散らした。 通常なら、俺は自分を加速させることでこの場を脱出できる。だが、それでは俺以外の二人は、この重圧に押し潰されて肉塊になるだけだ。
「(……クソッ、自分だけならともかく、範囲を広げれば確実に『法則』だと検知される……!)」
迷っている間にも、重力はさらに増していく。一五倍、二〇倍。 結衣の口から苦しげな吐息が漏れ、彼女の杖がパキリと音を立てて折れた。
「ハ、ハルト……逃げ、て……」
その声を聞いた瞬間、俺の中で何かが「逆転」した。 正体がバレる恐怖? 処刑されるリスク? そんなもの、俺の目の前で消えかかっている、この少女の命より重いわけがない。
「……ハク。全部、喰え」
「キュォォォォォォォン!!」
ハクの三本の尾が扇状に広がり、銀色の霊気が爆発的に膨れ上がった。 俺は脳内の計算式を、根底から書き換える。 加速じゃない。加重でもない。 ベクトルそのものを、一八〇度、真逆へと。
「――法則、逆転。適用範囲、半径一〇メートル」
3
ドッ!!
空気が、弾かれたように上空へと吹き飛んだ。 俺たちの周囲だけ、物理法則がひっくり返ったのだ。 降り注いでいた数十トンの重圧が、そのまま上空の暗殺者たちへと「反射」される。
「なっ……!? ぐ、がはあぁぁっ!!」
屋上にいた男たちが、自分たちが放った重圧によって逆に空へと「墜落」し、ビルを突き抜けて遥か上空へと放り出された。
「……ふぅ、ハァ……ハァ……」
俺は膝をつき、激しい眩暈に襲われた。 今の力……『法則逆転』は、ただの改変よりも遥かに脳への負荷が大きい。 結衣が信じられないものを見るような目で、俺を見上げていた。
「ハルト、今のは……? 重力が、逆に……」
「……ただの、一か八かの賭けだ。……ハクの隠し玉だよ」
俺は震える手でハクの頭を撫でた。ハクは意識を失ったように、俺の肩でぐったりとしている。 ルカだけが、静かに俺の隣に立ち、周囲の光景を眺めていた。
「……見事だ、ハルト。君は今、世界の理を完全に裏返した。……これで、君はもう後戻りできない」
ルカの言葉通り、俺は今、禁忌の深淵に足を一歩踏み入れた。 新宿の廃墟に、俺が放った逆転の衝撃が木霊する。 暗殺者たちは退けたが、俺の本当の「不適格者」としての正体は、もう隠しきれない領域へと加速していた。




